BITTER

 もしかしてオレ……これって欲求不満ってやつなのかな……。
 せっかくふたりで会ってるっていうのに話し掛けても素っ気ないし、啓介さんからあんまりしゃべってくれないし、今日はキスも……まだ1回もしてない。 いや、別にどうしてもしてほしいってわけじゃないけど、一緒にいるのに何にもしてこない啓介さんなんて逆に不気味っていうからしくないっていうか、とにかくいつもと違うのは落ち着かないんだよな。
 隣に座った啓介さんの顔を覗き込んでみたら、目が合ったのに慌てて逸らして「ごめんやっぱ帰る」なんて言って立ちあがったと思ったらすぐに部屋から出て行ってしまった。
 なんかすげーショックで呆然としてしまって、追いかけることもできずにFDの音が遠ざかるのをただ黙って聞いていた。

 一晩明けたらだんだん昨日の啓介さんの態度がムカついてきて、ごめんなって来てたメールも無視してしまった。 構ってもらえなくて拗ねてるみたいでカッコ悪いけど、理由もなくあんな態度取られるなんて納得できねえんだよな。
 春から始動するプロジェクトのために赤城峠にいる今も、レッドサンズの人たちに囲まれてるから何となく近寄りがたいし啓介さんからはフォローもない。いいけど、別に。 考え出すとまた頭にくるから気にしないように視界から締め出して、ハチロクを挟んで松本さんといろいろ話して頭を切り替える。
 キャーっていう悲鳴みたいな声がして、思わず振り向くと涼介さんがFCから降りたところだった。ギャラリーの女の人たちがざわざわ騒いでる。 啓介さんが涼介さんの元に近づいて行ったら余計に悲鳴が大きくなって、写真を撮ってる人までいるくらいだ。
「すごいなあ、あのふたりが並ぶと」
 ひとごとみたいに松本さんが笑って言う。
「そうですね」
 たしかに涼介さんは男の目から見てもカッコイイと思う。背も高いし、顔がアレだもんな。 けど啓介さんだって涼介さんとほとんど身長変わらないしオレには啓介さんのほうが……ってまたそんなことを考えだす頭を両手で抱えた。
「もうすぐバレンタインだからかな、いつもより人出てるんだってさ」
「へえ……」
 冷たい手に息を吹きかけて擦り合わせながら、ハチロクの屋根に視線を落とす。 あのふたりはどれくらいチョコもらうんだろうなんて考えて、虚しくなった。考えたって、どうしようもない。もらわないでくれなんて言えないし、言うつもりもないんだから。
「藤原」
 涼介さんがオレを呼ぶ。駆け寄るとそこには啓介さんもいて、無言のまま睨むみたいに見てくるからちょっとだけ会釈をして涼介さんに視線を移した。 正面から、近くで見ると緊張してしまって、たった一言二言なのに、涼介さんと話すときはいつも顔が赤くなる。
 ちくちくとした視線を感じて横を見ると、啓介さんがますます不機嫌になったみたいな顔で睨んでくる。なんだよって思って睨み返したら、眉毛がピクって動いたあと顔を背けて行ってしまった。
「藤原、気を悪くしないでくれ。啓介は今ちょっと機嫌が悪いみたいなんだ」
「え? いや、そんな別に、オレはなんとも」
 顔の前で手を振りながら慌てて答える。 身内としての言葉なんだろうって思うけどどこか後ろめたさもあって、涼介さんに微笑まれると、変にドキッとするからやっぱり正面からはじっと顔を見られない。 誤魔化すように啓介さんに目をやるとちょうどFDに乗り込むところだったから、不機嫌なのはこっちのほうだって思いながら背中が見えなくなるまでじっと見つめていた。

 涼介さんに誘われて、断ることもできずにファミレスに来ている。
 プラクティスの間は啓介さんとはロクに会話もなくて、そのせいか様子がおかしいと心配されたみたいで、涼介さんと史浩さんを前にオレと啓介さんは隣り合って座らされている。 相変わらず啓介さんは無言で、窓の外を眺めている。
「藤原、今更だが時間は良かったのか?」
「あ、はい。配達に間に合うように帰れれば大丈夫です」
「そうか。ふたりとも、わだかまりがあるならさっさと解決しておけよ」
 結局お見通しなんだろうか。そう言って少しだけ笑って、涼介さんは史浩さんと話し始めた。 涼介さんはバレンタインにギャラリーからのプレゼントや特に手作りのチョコは受け取らないように徹底してくれと伏し目がちに言って、 史浩さんもそうだな、なんて胃の辺りをさすりながら疲れたような表情を見せた。レッドサンズはそういう決まりがあるのか、それでもすごい数のチョコもらうんだろうななんてぼけっと考えながら、 オレと啓介さんはその会話から取り残されたみたいにふたりとも無言で、ただじっと座っている。
 ドリンクバーのホットコーヒーを啜りながら啓介さんのグラスに目を遣ると全然減ってなくて、「飲まないんですか」って聞いたら「ああ」って小声で答えてまた窓の外に顔を向けてしまった。
 なんかすげー感じ悪いなってだんだん腹が立ってきて、気付けば思わず啓介さんの肩を引いて振り向かせてしまっていた。
「何なんだよ、あんた昨日から」
 オレと話したくないっていうなら放っておけばよかったのに、やっぱり納得できなくて涼介さんや史浩さんの前でそんなことを言ってしまった。
「ふ、藤原?」
 焦った史浩さんの声にハッとして、啓介さんの肩を掴んでいた手を慌てて引っ込めた。
「あ、いえ、すみません……、あのやっぱオレ、帰りま……」
 席を立とうと腰を上げると啓介さんの手に引きとめられた。 まっすぐに見上げられているけど、だけど啓介さんはやっぱり無言のままで思わずその手を振り払って、涼介さんと史浩さんに頭を下げてファミレスを後にした。


 いつも通り、店の横にハチロクを納めると、追いかけて来たFDがハチロクの進路を塞ぐ位置に停められた。
 車から降りるとすぐに同じように降りてきた啓介さんがこっちに向かって大股でやってきた。じっと人の顔を見て、また眉毛がピクって動いたと思ったら腕を掴まれた。 咄嗟にはねのけようとしたけど悔しいことに今度は力で勝てなくて、そのまま力任せに引っ張られてつんのめりながら歩いていると、店の影に連れ込まれた。
「な、なんですか」
 相変わらず無言のままでいる啓介さんに訝しげな視線を送ると、口を開いて何かを言いかけてはすぐに閉じてしまう。薄暗いせいで表情がよく見えなくて、もどかしい時間に焦れてくる。
「用がないなら……オレ行きます」
「あ……っ」
 小さく声を出したあとまた黙り込んでしまった啓介さんにしびれを切らし、一歩詰め寄る。
「さっきは失礼なことしてすみませんでした」
 ショックで腹が立ってましたとは口には出さずうつむくと、消えそうな声で啓介さんがオレの名前を呼ぶ。
「藤原……」
 腰を引き寄せられて、一気に距離が近くなる。 さすがに戸惑ったけど人もいないし辺りは暗いし誰に見られるというわけでもないし、オレは別に怒ってるわけじゃないし啓介さんがこうしたいみたいだから大人しく腕の中にいるんであって、 なんて長々と自分に言い訳しながら、啓介さんのコートの中でそろりと腕を上げ、腰の辺りの布地を少しだけ握った。
「……じわら」
「……なんか、あったんですか?」
 いつもの啓介さんらしさのかけらもない声に、だんだんと心配になってくる。顔を見ようと体を動かすとそれを遮るようにさらにギュッと抱きしめられて、首元から煙草と香水の混じった匂いが漂ってくる。
「なんなんだよ、あんた本当に」
 出来る限りの小声で怒鳴りながら力任せに啓介さんの体を引き剥がして正面から見つめると、辛そうで情けない顔を返してきた。
「……啓介さん?」
 その顔はそのまま近づいて、顔中にキスを浴びせる。オレを捕まえている腕の力は強いのに羽で撫でるみたいな頼りない感触にドキドキしてきて、そのキスがいつ噛みつくようなものに変わるか気が気じゃなくて、 だけど焦らしてるみたいにずっと軽く口づけるばかりでそれが余計に恥ずかしくて顔に熱が上ってくる。こんなことまでいつもの啓介さんらしくなくて、両手で押し返して抗議する。
「啓介さんってば」
 するならちゃんとしろよ……という言葉が喉まで出かかって、何とか耐えた。自分が言おうとした言葉に赤面して啓介さんの顔を見てられなくてうつむいた。
「どうしちゃったんすか、本当に」
 らしくない啓介さんが心配だって言うと、長い長い沈黙の後、啓介さんはオレの肩に頭を乗せて呟いた。
「……口内炎」
「…………は?」
「3個も……」
 ものすごく話したくなさそうな調子で言いながら、ポツポツと言葉をつなぐ。要約すると、口内炎が3個もできて喋るのはもちろん食べるのも飲むのも一苦労でストレスが溜まっているらしい。
「それと、昨日と今日の態度に何の関係があるんですか」
 理解はしがたいけれども理由は分かったところで、その部分がうまくつながらない。
「だから……一緒にいたら…キスしたくなるだろ?」
「う……、はい」
「キスしたらさ、その先もしたくなるだろ?」
「え……、いや、まあ」
「オレ、藤原とキスすんのすきだしその先もさ、抑える自信ねえの」
「あ、……あの」
 それ以上はもう言わなくてもって止めようとしても無駄だった。
「けどイテーから思う存分できねえだろ。 そうなると物足りねえってなるし、だからって無理してキスすると移りはしないだろうけど治りが遅くなるって言われてそれでしょうがねえから我慢しよって思って、 でもやっぱおまえの顔見ると我慢きかねえっていうか」
 何度も痛そうにつっかえながらそう言うと、もう一度オレの体を抱きしめて大きく息を吐いた。そして耳元で囁く。
「バレンタインまでには意地でも治すからさ」
「え……?」
 まさかとは思うけど。
「チョコ、甘くないやつな」
 やっぱり。
「オレはちょっとくらい甘くても大丈夫ですよ」
 乾いた唇が触れて、ゆっくりと離れた。
「…………」
「…………」
 たぶん、オレだけ真っ赤だ。半分は冗談のつもりで言ったのに、こう黙られるとちょっと困る。
「藤原……それってオレからチョコが欲しいってことでいいんだよな?」
「…………そっ、……うですね」
 改めて確認されたら、嬉しそうに笑って力いっぱい抱きしめられたらもっと困る。
「あ、しょうがねえから義理は受け取っても我慢する」
 オレにチョコくれるのなんて啓介さんくらいですよって言おうと思ったけど、 きっと食べきれないほどのチョコをもらうんだろうなと思うと腹の辺りがもやっとして、素直に喜ばせるのも悔しくて止めておいた。
「じゃあオレも気にしないことにします」
「オレは藤原のだけ」
 何のためらいもなく出てくる言葉に、自分の顔がまた熱くなるのが分かった。背中に手を回して、啓介さんの肩に顔を埋めた。
「あの、……寄って行きますか?」
「……部屋行ってこれ以上我慢できる自信ねえから止めとく」
「そ、そうですね……」
「その代わり、我慢してるぶんめちゃくちゃ蕩かしてやるから期待していいぜ」
「あ……ッ、あんた、バカじゃないですか?」
 耳から入って腰に直撃した啓介さんの掠れた声に、慌てて体を離して背中を向けた。
「んだよ、冷てーな」
 言葉とは裏腹に笑っているような声で顔を寄せてきて、音を立てて頬にキスした。
「じゃーまたな」
 触れられた頬を手のひらで押さえながらFDに乗り込む啓介さんを見送っていると、 窓ガラスが下がって、啓介さんが手招きしている。そばに寄って腰を屈めたら、中から伸びてきた手に襟を掴まれてまたキスをされてしまった。
「せっかく誘ってくれたのにごめんな」
「さ、誘ってなんか」
 唇に息がかかって、心拍数がどんどんと上がっていく。触れるだけのキスしかしていないのに、まるで抱き合うときみたいに体が疼きだす。 これ以上は本当にヤバくて、襟を掴む手を解き、自分の唇を啓介さんに押し付けてFDから離れた。
「じゃ、じゃあまた」
 啓介さんは笑顔を残して、独特のロータリーサウンドと一緒に遠ざかって行った。 テールランプが見えなくなってもまだ店の前で突っ立ったまま、たったいま行ってしまった啓介さんの手をもう焦がれる自分に気付いて愕然として、 階段を駆け上って部屋に入るとすぐに布団に潜り込んで熱が鎮まるのを待った。

2012-02-12

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