ほしがり
バレンタインに色気も何もないコンビニで買っただけの板チョコを渡してから約1ヶ月。
思い返せば返すほど気まずいとかどんな顔をして会えばいいのかと頭を抱える拓海をよそに、都合も構わず問答無用でファミレスに呼び出されたり家に突然やって来たりと啓介の態度は以前と変わらず、
本人曰くむしろ友好的なほどだ。
走りについてはこれから一年は同じチームの仲間で、よきライバルで、それでいてエースの座は譲らないとこれまで以上の対抗心を持って接しては来るものの、
車に乗っていない時間の啓介はときどき別人なのではないかと思えるほどに優しかったり情けなかったり、そしてときにはとことん甘かったりもする。
今夜も夕飯が済んだ頃を見計らったようにロータリーサウンドが響いてきた。
最初は無関心だった父親も、手土産にと各地の地酒や銘酒を持って来るのを今では心待ちにしているようだ。
息子の拓海がどれだけ飲みすぎるなよと言っても聞く耳を持たずで、並んだ酒瓶をただじっと眺めていることもある。
そんなコレクションの中に、今日も1本加わることになった。
「啓介さん、本当にこんなオヤジのために高い酒なんて持ってこなくていいんですよ」
「こんなオヤジとはなんだよ拓海、失礼な奴だな」
口を尖らせる文太の横で、啓介は拓海に笑顔を向ける。
「ほら、ちゃんとおまえにもあるぜ?」
そういうことを言っているのではないとがっくりと肩を落とす拓海への今日の土産は温泉饅頭だった。
飲兵衛の父親を居間へと残し、茶を淹れてから自室へ上がると、我が物顔でベッドに腰掛けた啓介がふくれっ面の拓海に視線を寄越す。
「何拗ねてんだよ」
「拗ねてないです」
「そうかあ?」
差し出した湯のみに手を伸ばす啓介を見ると、心当たりがないと渋い顔をしている。そしてぱっと閃いたという表情に変わり、訝しげに啓介を見ていた拓海に軽いキスをした。
掠めるような、ほんの一瞬の接触だった。
「あ……っ?」
「アレ、違った?」
「は、はあ? 何言ってんですかッ」
啓介の唇が触れた場所を手の甲でごしごしと拭いながらじろりと睨みつける。
「いいじゃねえか減るもんじゃなしに」
「オヤジいるんですから、絶対駄目ですよ」
つれない即答にちぇ、としょぼくれる啓介は熱い緑茶に口をつけた。あち、と舌を出して湯のみにふうふうと息を吹きかけている。
拓海の視線はその啓介の唇に釘付けとなり、それに気付いた啓介が片方の口端を持ち上げた。
「愛情表現だろ。照れんなよ」
「あっち……ッ」
同じように緑茶に口をつけた拓海が啓介の言葉を遮るように声を出す。
いくら好きだと言われたからとなんでも許せるわけではない。拓海としては張り倒さないだけ十分に譲歩しているつもりだった。
唇を尖らせて不満を露わにする。
「ちょっと触れただけじゃねえか」
啓介が拗ねたように言って、もう一度緑茶を口にする。
そうだ。今のはまだ可愛いほうだ。いつもは息もできないほどに深く口づけられて、それを何度も何度も繰り返して、酸欠で意識が飛びかけるまで吸いつくされるのだ。思い出して顔と体が熱くなる。
「今度あんなことしたらいくら啓介さんでも本気で怒るからなー」
「あんなことって?」
わざとなのか本当に分かっていないのか、とぼけたような口調に素早い切り返しもできず、ぐっと息が詰まる。
「だから、……その……前みたいな……」
「前みたいなってナンだよ」
心当たりがありすぎるのか、にやけたように口端を上げる啓介の視線が拓海を捕らえ、
さらに畳みかけるように言いながらゆっくりと近寄ってくる。
「舌を……こう、なんか」
もごもごと口の中で尻切れになる自分の頭に浮かんだ言葉に照れてしまう。
「何でしちゃいけねえんだよ」
「い、いいわけないでしょ」
意外と言っていいのかあの日以来はそういう類の接触はないものの、いずれこうなるのではないかとどこか不安に思っていた。
だからと言って啓介にそうされることはいやだと言うわけではなく、恥ずかしさにどうにかなってしまいそうなことのほうが耐えがたかった。
さらに言うなら初めて知った他人の舌の感触に例えようもない快感を植え付けられてからしばらくそのことばかり考えていたのも、ましてもう一度してほしいなどと一瞬でも考えてしまったのも事実だ。
「キス、気持ちよくなかった?」
啓介の声のトーンが一気に変わり、鎖骨の辺りがキシキシと痛みだす。
「……ないです」
今日また同じようなキスをされれば、啓介にバレないように茶化して誤魔化してやり過ごしてきた日々が丸々無駄になってしまう気がして、何とかこの空気を変えなければと気ばかりが焦っていく。
「本当に?」
「……本当に」
拓海の目の前に距離を詰めて来る啓介の眼が友情の色を消し、肉食獣のようにギラリと光る。それを見なかったことにして、立てた膝に視線を泳がせる。
「全然何とも思わなかった?」
「……全然」
「ふ~ん。何とも思わねえならもう1回しても平気だよな?」
そう言うとうつむいた拓海の両頬を強引に包み、答えを言わせる気はないと言いたげに深く口づけてくる。
「あッ、……ふッ、んぅ、……ぁ……、や……ちょ、んんッ」
息継ぎに口を開けばそこに舌がねじ込まれ、顔を背けようにも抵抗むなしく力強い手に阻まれる。されるがままに濃厚なキスを受け続け、抵抗する腕はいつの間にか啓介の背に縋りつくように回され、
ただ追い上げられる快感に耐えるのが精いっぱいだった。
前回よりもパワーアップしている気がする。ぼんやりとそんなことを考えているとチュ、と音を立てて舌を吸われた。
「う……ぁ、あッ、は……」
絡みあった舌がゆっくりと離れ唾液が糸のように2人の唇を伝ってぷつりと切れる。啓介は額を合わせて拓海の顔をのぞきこむ。
熱を孕んだ視線に捕らえられ、鎖骨に感じた、喉の奥が締めつけられるような痛みは下半身にまで転移してしまった。
「な、触って」
「ぁ……ッ」
耳元で熱っぽく拓海の名前を囁く啓介の声に反応して跳ねた体にかぶさる啓介は、拓海の手を自分の昂りへと導いた。階下には父親もいるというのに、その手に感じる確かな硬度に気が遠くなる。
啓介の空いた手は同じように熱を持ち始めた拓海の中心に触れてきた。
ぎょっとして目の前の体を押し返そうと腕を突っ張ると啓介はさらに強い力で拓海の怒張を握り込んだ。
「うぁ……ッ、あ、ちょっ……、なに考えてんですか」
「藤原がエレクトしたオレのと自分のとを一緒にこすってくんねえかなーって」
「なッ、放せよ、あんた本当にバカじゃないですかッ」
恥ずかしさのあまり吐きだした暴言に、啓介の片眉が上がる。それに気付いたときにはすでに逃げ出すタイミングを完全に失っていた。畳の上に押し倒され、制止する暇もなくまた深い口づけが拓海を襲う。
「んん、ぁ、あ……ッ」
キスだけではなく、敏感になった部分への刺激も加わりますます抵抗の手が緩む。
「ふぅ……ん、ぁッ、オヤジがいる、のにッ」
「今日まで大人しくしてただろ? だから……」
ご褒美くれよと唇が触れたまま囁く啓介にしがみつき、もどかしい刺激に自然と腰が揺らめいてしまう。
「あんた……本当にずるい……」
「そんだけおまえに溺れてんだよ」
言っていて恥ずかしくないのかと固まり、返す言葉を失った。啓介はそんな拓海をよそに寛げたジーンズから取りだした互いの前を合わせ、腰を揺らす。
「あっ」
甘い刺激に思わず零れた声に焦り両手で口を覆うと、啓介がその手を腹の間へと引き寄せた。
「おまえの手はこっち」
「は、ぅ……ふ、……ッ」
擦れ合う2本の茎をまとめて握らされ、漏れる声は啓介の唇で塞がれた。セーターの中に忍び込んで来た啓介の片手は胸の突起を好き勝手に弄り、もう片方の手は拓海の腰をがっちりと掴んでいる。
そのまま腰を揺らし続けられ翻弄されるままに体の熱は高まって、拓海の手の中にほぼ同時に2人分の熱が溢れた。
「ふ、……あッ、はあッ、はあッ」
やっと解放された唇から唾液が零れるのも構わず胸一杯に空気を取り込む。
文句のひとつでも言ってやろうと目の前の少しだけ紅潮した啓介の顔を睨むと、ふにゃ、とだらしない顔を見せて一気に毒気が削ぎ落されてしまった。
「すげぇ気持ちよかった……。……拓海は?」
唐突な質問に呆気にとられる拓海の薄く開いた唇や頬を食みながら名残惜しそうに体を起こすと、床に転がっていたティッシュを箱ごと手に取って数枚引き抜いた。
腹の上にこぼれた精液を拭き取りながら、拓海の顔をじっと見つめている。
「これでも何にも感じねえって言うのか?」
「……ッ」
そんな傷付いたような顔をされては、自分のほうが悪者になった気分だ。
「……お、オヤジが」
「……それは悪かったって思ってるよ」
「じゃなくて」
はあ、と大きく一息ついて起き上がる。
「オヤジが、……いつも貰ってばっかじゃ悪いから今度からはメシ食ってけって」
「え……でも、いいのか?」
「高い酒のお礼にはなんねえけど……うちは男2人だし、1人増えるくらい何ともないです」
「すげ、嬉しい」
拓海の顔中にキスの雨を降らせながらご機嫌な笑顔へと変わっていく。あちらこちらへと動く啓介の顔を捕まえて、形の良い唇にゆっくりと自分のそれを重ねた。
啓介の反応を見ないようにきつく目を閉じたまま顔を離すと、追ってきた唇に捕まった。濡れた舌が拓海の唇をこじ開けるように差し込まれ、上顎を掠めては舌を絡め取る。
「ん……ッ、は……」
肩を押し返して目を開けると、真剣な眼差しの啓介が拓海を見下ろしていた。
「啓介さん……?」
「最後まではしねえから、親父さんいても、マスかきあうくらいは許してくれ」
「――は……?」
啓介の言葉を脳が時間をかけて理解して、一気に頭に血が上る。
「しし、信じらんねえ! 絶対やだッ」
「じゃ目の前でオカズになってくれるだけでもいい」
「最悪、もっといやだ!」
「おま……、言いすぎだろ。つーかあんま拒否られるとオレ実はすっげーヘタなんじゃねえかって自信失くすだろうが」
「ヘタどころかむしろ全然逆ですよッ。けど、お、オカズとか何だよそれ絶対いやだッ」
「マジで?」
「だから絶対いやだって」
「じゃなくてその前、なんて言った?」
「え……?」
両肩を掴まれ、真剣な目がまっすぐに突き刺さる。その前、と言われて自分の言葉を思い返す。
その前と言われても、啓介があまりに明け透けに物を言うからそれを何とか止めさせたくて必死で、と考えながらうっかり発してしまった自分の台詞にぴたりと体が固まった。
「ちゃんと気持ちよくなってんだよな? イッてんだから実際そうなんだろうけど藤原ってあんまそういうこと言ってくれねえから」
「い、言うわけないだろそんなこと」
「大事なことだろうが」
「そ、そんくらい分かれよ啓介さんのバカッ」
ヤケクソに言葉を投げつけ、ついでに枕も投げつけた。
「こンのヤロ、生意気言うのはこの口か!」
再び押し倒されて、キスで言葉を封じられる。
嵐のような口づけに啓介の胸を両手の拳でどんどんと叩いても放してくれるどころかビクともしない。
「ん、……んんッ」
「ったく……二度とナマ言えねえようにしてやろうか」
腰骨の辺りに啓介の指先がするりと下りてくる。反射的に体が跳ねて、思わず啓介のパーカーを掴んで胸元に顔を埋めた。
「や、啓介さ……」
怖いわけではないのに情けなくもぶるぶると震えだす体を止められずに、啓介にしがみついた。
「すみません」
「……拓海」
優しい声で名前を呼びながら、拓海の体をぎゅうっと抱きしめてくる。
体の間に挟まった腕を引き抜いて啓介の背中に回し、力いっぱい抱きしめ返した。
「ごめん、やりすぎた」
背中をさする啓介の手にほっと息を吐いて、頭を振った。
「あの、……」
「おーい拓海ぃ、FDの兄ちゃん泊まってくなら風呂空いたぞー」
言葉に詰まった拓海の代わりに階下から文太の声がする。
「あ……、ど、どうしますか」
「はい、じゃあお言葉に甘えて世話になります」
啓介は下まで聞こえるように襖に向かって声を上げ、その後ちゅ、と拓海に口づけると体を起こした。
「親父さんとは前からじっくり話してみたかったんだよな」
立ちあがり、乱れた服を整えると大きく伸びをした。
「で? 何か言いかけてたろ」
「いえ、……何でもないです」
「そっか」
啓介はそれ以上は追及せずに、部屋を後にする。階段を下りる手前で顔だけを残して「妬くなよ」と軽口を叩いた。
「妬きませんよ」
――オヤジ相手に。
啓介の姿が見えなくなったのを確認してから、手土産にもらった温泉饅頭を手に取り、ひと口齧った。
「……言えるわけないだろ」
――キスが気持ち良いとかもっとしてほしいとか、そんくらい分かれよ。
指先で唇を押さえながら呟いた。
「バカ啓介」
2012-03-14
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