この距離
藤原とキスした──、はいいけどその日からずっと避けられてる。
へたくそだったかなーとか、がっつきすぎて引かれたのかとか、ちょっといろいろ考えてる。
さすがに初っ端からべろちゅーかましたのがまずかったのかな、いや、まずかったんだよなぁきっと。
だからってあんなにあからさまに避けられるのは、正直つらいもんがあるんだけど。
とっ捕まえて問い詰めてもいいんだけど何となくそうできずにいて、ここしばらくは藤原の顔すらまともに見てない気がする。
深夜の赤城山頂上付近。解散の声とともに人がはけていく。
プラクティスとはいえ手抜きなことなんてできなくて、セーブしているとはいえ結構熱入っちまったから体が火照ってる。このまま帰ってもどうせ眠れそうにないから、自販機でコーヒーでも買おうかと向かったその先に、藤原の背中が見えた。
「よう」と声をかけたらあいつは「ぎゃっ」って。いくらなんでもそりゃねーぜ。ヒトを化け物みてーによ。
「あのさ……」
ああ、沈黙が重い。
藤原はちょっとだけ顔を赤くして、だけどあんまり目を合わせてもくれねーしこの場から逃げ出したそうだし藤原の緊張が伝わってきて、オレだって気まずくてたまらない。
顔見るのも嫌ってことなのかよ。あーあ。いい加減自信失くすぜ。
「悪かったな」
「えっ」
あ、ちょっと乱暴な言い方だったかも。藤原、すげー驚いた顔してる。
「この前のこと、気にしてんだろ」
なかったことになんて絶対したくない。だけどいつまでもこのままってのもいただけない。
「オレは、その、なんていうかおまえとキスしてんだって思ったらたまんなくなってさ」
藤原の顔が、また赤みを増した。
「なんかちょっとがっつきすぎたっつーか、つい夢中になっちまって……引いた、よな?」
ぶんぶんと赤い顔を横に振って、消えそうな声で「違うんです」と言った。一歩近づいてみるけど、藤原は逃げない。だけどまだ目を合わせようとはしない。
「じゃあなんで避けんの?」
「避けてたわけじゃ……」
咎めるように片眉を上げたオレに対して、ないとは言えない藤原が口を噤んでうつむいた。
「責めてるわけじゃないぜ。ただちょっと、オレだってへこむっていうかさ」
「あの、あの、オレ……どういう顔すりゃいいのかわかんなくて……すみません」
藤原は気の毒になるくらい赤くなった顔を両手で隠しながら呟くように吐き出した。
「……ごめん」
呆気にとられながらそんな言葉がポロリとこぼれた。
めちゃめちゃに意識されてたんだと思うとすげー嬉しくなってきて、自分の現金さに笑いが出そうだ。
オレはちょっとだけ辺りを見回して、藤原の体を引き寄せた。顔を隠したまま飛び込んできた体をぎゅっと抱きしめる。
「顔見せて」
耳元で囁くとびくっと肩を揺らして、頭を横に振った。
「なんで」
髪を撫でながら覗きこむと藤原は抵抗らしい抵抗はしないまま、ゆっくりと視線を合わせた。
「はは、真っ赤……」
むすっと尖らせた唇が、自販機の灯りに照らされている。これ以上じっと見てたらたぶんオレは自分を抑えきれない。だからごまかすように藤原の髪をくしゃくしゃにかき混ぜて、結局コーヒーじゃなくてミネラルウォーターを2本買った。
1本は藤原に手渡して、車へ戻ろうと足を踏み出した。
「け、啓介さん」
ツン、と突っ張りを感じて振り返ると、藤原がオレのシャツの裾をがっちりと掴んでいる。
「どうした」
問いかけると藤原は何か言いたげに唇を開いたり閉じたりして、赤い舌がちょっとだけ見えた。
「あの……まだ少し、その、時間ありますか」
「え?」
「あの、本当にほんの少しでいいんですけど」
頬を染めた藤原にちらりと上目づかいに覗かれて、同じ男だってのになんだよこれ。心臓の音がすげえ。ああ、もうだめだ。オレには分かる。これダメなパターン。絶対ダメなやつ。
「じゃあ車ん中で話すか?」
ちょっとだけ邪な思いを抱きつつ、小さく頷いた藤原をFDのナビに座らせた。
がっつきそうな勢いを極力抑えるには黙っているしかなかった。間を持たせる術もなくミネラルウォーターを一気に半分くらい飲んじまった。
何か言えよ、藤原。頼むよ。
そんなオレの小さな願いがどこかの星にでも届いたのか、藤原が軽い咳払いをしてから話し始めた。
「えっとこの前、啓介さんと……ス、したじゃないですか」
「うん」
キスって言うのも恥ずかしいのか、藤原は照れたように髪をいじりながら横目でオレを見る。
「いやとか、そういうんじゃ絶対ないですから」
その一言に思わず体が動いて、藤原にキスしようとしたら拒まれた。
オレの口を両手でふさぐ藤原をなんでって片眉を上げると、藤原はゆっくりとその手を下ろして観念したように目を閉じた。
「……別に無理強いはしねえよ」
「ち、違います」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ藤原からして」
閉じていた目がばちっと開いた。戸惑ったような表情を見せてはいるけど、嫌だというわけではなさそう、だと思う。
藤原からのキスなんて本当は期待してはいないけど、大人しく目を閉じて待ってたらほんのり温かい指先が唇に触れて、下唇をむにっと押し広げられた。疑問に思いながら好きにさせていたら指先で何度もそこを押したり摘まんだりして、一向にキスする気配がない。
「おい、焦らされると結構ハズい……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
そう言いながらそれでもまだオレの唇を指先でいじって遊んでる。
色気がねえなと文句を言おうと目を開けば藤原の顔がぐっと近づいて、唇に温かいものが触れていた。藤原の指先なんかじゃない。少しだけ湿ったそれは、まぎれもなく待ち望んでいたもので。
ふっと熱い息を漏らすからたまらなくなって、ナビシートから藤原の体を引き剥がすみたいに抱き寄せた。
避けられてた日々の淋しさを埋めるように、だけど暴走だけはしないようにってことだけが頭の片隅に浮かんでは消え、オレは夢中で藤原の唇を貪った。
オレも、藤原だって吐く息が荒い。これ以上はセーブしなきゃやばいって思ってるのに止まらない。
「……っ、ぇすけさ……ッ」
肩を押し返す藤原の手と掠れた声に、オレの体がピタッと止まった。呼吸だけが荒く響く。
止められたことは不満で、だけどキスした直後の藤原の赤い顔がすげーエロくて、もっとずっと見ていたいと思った。キスだけでこれなら、これ以上のことをしたらどうなっちまうんだとかそんなことばっかり頭の中をぐるぐるぐるぐる。
もっと見たい。オレだけが知る藤原を、もっと近くで感じたい。指で頬を撫でるとその熱さと藤原の視線に眩暈がした。
「顔、エロい」
「……は?」
オレは一瞬、自分の考えてる言葉が聞こえてきたのかと思った。だけど目の前で照れくさそうにはにかんでる藤原の発した言葉だって分かって、戸惑いを隠せない。
「こういうときの啓介さんめちゃめちゃ色っぽくて困る」
藤原がちょっとだけ唇を触れさせてきたと思ったらそのままじっと見つめられて、オレも至近距離にいる藤原のデカい目に釘付けになった。
「もー、あとでいろいろ思い出しちまうからイヤだったのに」
体を離してうつむく藤原の、ちらちらと見え隠れする耳が真っ赤になっている。頭を覆い隠すみたいにして抱きしめたら、ほっとしたように背中に腕が回った。
「……オレも寝る前に思い出すよ。色々コーフンしちゃって寝られなくなるけどな」
「はッ?」
「今日もたぶん藤原のすげーエロい顔思い出して眠れねえと思うけどどうしてくれんだよ」
「そんなこと言われても……オレのせいじゃありません」
「ちぇっ。かわいくねーな。言っとくけどすげーことされてっからな、おまえ」
「は、え、それって啓介さんはオレで、ぶわっ」
「あーあ、おまえも眠れねー夜を過ごせばいいのに。そういうことなさそうだもんな」
暴れようとする体を強引に押さえつけながらぎゅうぎゅうと抱きしめる。息を乱しながらしばらくそんな攻防を繰り返して、オレの腕の中で、藤原はふうっとデカいため息をついた。
「オレだって……眠れない夜くらいありますよ」
「マジかよ」
「た、たまーにだけですけど」
身じろいで顔を覗きこむと藤原は案の定真っ赤になってて、けどちょっとだけ欲情してんじゃねえのって思っちまうのはオレの欲目なのかもしれねえ。
「じゃあ今度そんな夜が来たら電話しろよな」
「え……」
「もうちょっとだけ、藤原と近づきてぇ」
「い、今だって、十分近いですよ」
「目に見える距離のことじゃねえよ」
並んで歩くときだって人ひとり分の隙間を空けたり、時には半歩くらい後ろを歩いたり、Dのときだってオレが一人じゃなかったら声を掛けてこなかったり、そういうどこかオレに対してまだ遠慮がある藤原を、隣に引っ張り上げたい。
誰にでも宣言して回りたいわけじゃないけど、こいつの隣はオレのもんだってこと、どれだけオレがそれを望んでいるのか、何より藤原自身に解らせてやりたい。
「エロい藤原、もっと見たい」
「なに、言ってんですか……」
触れ合わせるだけのキスを繰り返しながら、じっと見つめる。照れた顔を見せながら、だけど視線をそらさない藤原が好きだ。
少しだけ濃いキスを送って熱い息を吐きあって、眠りに落ちる前にきっと思い出す顔を見せ合う。
「いくら想像の中だからって、オレに変なことしないでくださいよ」
「おまえこそ妄想でオレに何してんだかな」
「……すげー優しいですよ」
小さく笑いながらそんなことを言って離れていくから思わず力任せに引き留めちまった。
「いてっ、ちょっと啓介さ」
「知らねえ男褒めるみてーな顔すんな」
「知ら……って啓介さんのことでしょ」
「だとしてもなんかやだ」
「もー、自分から言いだしたくせにめんどくせーなぁ」
藤原の言い分は尤もだ。オレも自分でそう思う。
だけど現実のオレはまだその時のリアルな藤原を知らねーんだから、仕方ねえじゃん?
狭い車の中で藤原を抱きしめ直して、髪の毛に鼻先を埋めた。
「藤原は優しいオレのほうが好きか?」
「えっ」
「わり、何でもねえ」
あーもう何言ってんだよオレすげーカッコ悪ぃ。
ぎゅっと抱きしめたら、藤原はそれ以上何も言わずにオレの背中に回した手に力を込めた。
「もう一回キスしていい?」
言いながら唇を寄せると、藤原のほうから触れてきた。理性がぶっ飛んで歯止めが利かなくなりそうだと分かっているのに、どうしてもこの手を離したくない。
「藤原、もっと」
飽きるほどキスしても、唇が離れたらまた追ってしまう。
帰してやらなきゃいけないって思ってるのに、それでもキスが止められない。まだあと少しだけ、この藤原を独占していたい。
「は、……っ、どーにかなっちまいそう」
「……オレも、です」
ようやく顔を引き離して真っ赤な藤原を覗きこむと、藤原もまっすぐにオレを見ていた。
「あの、そろそろ、行きます」
「……ああ」
ちゅって小さな音を立てて掠めるようなキスをして、藤原が助手席のドアを開けた。
一度だけ振り返って、オレが手を上げると藤原も小さく手を上げ、ハチロクに向かって歩き出した。遠くなっていくその背中を見つめながらシートに深く沈み込んでため息をついた。
「あーあ、どうしよ」
中途半端に熱を持ち始めた体はどうしようもない。ここで出すわけにもいかねーし治まるまで待つしかない。
とりあえず残りのミネラルウォーターを飲み干して、今夜も眠れないのかと喉の奥で笑いながら藤原に視線を戻した。アイドリングに震えるパンダカラーの運転席で、シートベルトでも締めてるんだろう人影がかすかに揺れている。
エンジンをかけたままなかなか発進しないハチロクを怪訝に思いながら、オレも手を伸ばしてFDに火を入れた。その瞬間、シートから伝わる小刻みな揺れとは別の振動がポケットの中でオレを呼ぶ。
「マジかよ」
取り出した携帯の画面にはもちろんあいつの名前があった。にやけた口元はここからならあいつには見えないはずだ。だけどきっとあいつの赤い顔がすんなり思い浮かぶくらいに、オレのこんな顔は藤原には見透かされてるのかもしれない。
オレは小さく咳払いをしてから通話ボタンを押した。
「もしもし藤原?」
2014-06-14
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