glasses
「おいイツキ、どういうことだよー」
たまには奢るからいつもと違うところに行ってみないかとイツキに誘われ、駅前に新しくできたというダイニングバーに来てみれば、先輩である池谷とその親友の健二、
そして二人の前には女性が四人座っている。
「これじゃ合コンだろ? 騙したのかよ」
「何だよ、別に嘘は言ってないだろー」
ひそひそと小声でイツキに抗議するも、心は目の前の女性に奪われているらしい。
「オレ帰る」と踵を返すと、左腕をがっちりと掴まれ、
「池谷先輩を慰める会だって。帰るなんて薄情なことするなよ拓海ぃ」
懇願するような目つきでそう言われ、今まで散々世話になっている池谷がまだあの彼女を吹っ切れていないことを考えると、イツキの言う通り薄情な真似をすることは拓海には出来なかった。
ため息とともに席につき、目の前の女性の笑顔を見るたびにタダ飯に釣られたことを後悔した。
健二の計らいでやっと実現したという今夜の飲み会は、走り屋に女はいらねえと虚勢を張るイツキが半ば暴走する形で進んでいった。碓氷峠の彼女との恋が儚く散った池谷もそれに引きずられるように、普段は見せない積極性で挑んでいる。
拓海はと言えば、気の利いた会話もできず相手の話に相槌を打つばかりで、こうなれば嫌というほど食べるしかないと開き直り、うつむいたままただひたすらに運ばれてくる食事を腹に掻きこんでいた。
リスのように頬を膨らませた拓海の携帯が、着信を告げる。拓海はジーンズの後ろのポケットから携帯を取り出し、ディスプレイに表示されている名前に瞠目した。
ある程度口の中のものを嚥下してから電話にでると、その相手は第一声を聞いてさっそく、飯食ってたのかと笑った。
「すいませ、……あの今」
椅子に横向きに座るように体をずらし、盛り上がっているイツキの声を遮るように背中を丸めて反対側の耳を手でふさぐ。
『もしかして外か?』
「あ、えっと、ハイ」
『そっかー。んじゃしょうがねえな』
もともと今日は予定があって会えないと言っていた。だからイツキの誘いに乗る羽目になったのだが、会いたかったんだけどな、と甘く囁く恋人の声に、拓海は騙されて引っ張り出されたとはいえ合コンに参加していることに罪悪感でいっぱいになった。
「オ、オレも」
『カワイイこと言うなよな』
後ろめたさからこぼれた言葉に嬉しそうに応える啓介のその顔を想像して、胸がチクチクと痛んだ。
「やだー拓海君、もしかして彼女?」
「えっ?」
「顔赤いよー」
「ねー」
目の前に座っていた女性がからかうように言ってくる。
拓海は少しだけ顔を赤くして、だけど否定できずにいると通話口の向こうで啓介の空気が凍るのが伝わってきた。
『藤原』
「は、はい」
『今どこ?』
「え?」
『迎えに行く』
有無を言わさないような啓介の声音に、素直に駅前の店だと告げた。電話を切る直前の啓介の顔が想像しなくてもわかる。拓海は冷や汗と愛想笑いを浮かべ、女性陣の攻撃をしどろもどろにかわすのが精いっぱいだった。
気さくな盛り上がりが続くところに、一人の男性が現れたことでボックス席の誰もが言葉を失った。
「だ、だれ?」
フォーマルな細身のスーツに身を包み、しかも眼鏡をかけていれば誰だってそう言うだろう。
拓海の一言に啓介はわずかに不機嫌な仕草を見せ、拓海から視線を外すと池谷と健二を手招いた。
二人の間に入ると肩に腕を回して背中を向けた。何やら作戦会議を始めているようだ。腰の位置の違いに、イツキは絶対に並んで立ちたくないと心の底から思った。
ふと向かいに視線をやると、女性たちは一人残らずたった今現れた男に意識を奪われている。それはもう仕方のないことだろうとイツキはがっくりと肩を落とし、涙をのんだ。
「拓海はこれから用事あるみたいだから、よかったら場所変えるってのはどうかな」
幹事でもある健二が切り出すと、女性から矢継ぎ早に啓介に向かって質問が飛んでいく。
啓介はそれを次々に撃ち落とし、後はヨロシクとばかりに拓海の腕をつかむと爽やかな笑顔を残して店を出た。残された三人への女性の態度がずいぶん好意的なものに変わったのは悲しいかな高橋啓介効果だったかもしれない。
拓海は啓介が乗りつけたまま店の前に待たせていたタクシーに押し込まれ、さらに乗り込んできた啓介に奥へと押しやられた。大きな紙袋を避けようとして窓に頭をぶつけた。
顔をしかめながら座り直すと、肩を抱き寄せられて赤くなったそこに口づけられた。
鼻孔をくすぐるのはいつもと同じ香水と煙草の混じった匂いだった。妙なことに安心感を覚え、それでも突然のことに抗議しようと拳を握ると、柔らかく笑った啓介は長い脚を組んで流れる景色に視線を向けた。
スーツ姿の啓介と、ただのTシャツ、ジーパン姿の自分を見比べ、拓海は居心地悪げに少しだけ窓の方に寄った。
「先輩たちには、なんて」
「今度オレの友達紹介するって言った」
「はぁ」
「藤原をメンツに入れないこと条件にしたからな」
「別にいいです」
言い聞かせるような口調にムッとして、拗ねるようにフンと鼻を鳴らして窓の外を見る。見慣れた駅前の景色がどんどんと遠ざかっていく。
このままどこに連れて行かれるのだろうか。そんなことを思いながら横目でスーツ姿の啓介を盗み見る。
ネクタイはしていないが、いつものラフな格好とは違って、別人のようだ。
黒いスーツと白いシャツ。そして眼鏡。ただそれだけなのに、いつもの啓介よりぐっと大人びて見えた。ただでさえ置いて行かれまいとしている相手なのに、急に差が開いた気さえしてきた。
「なんで、スーツなんですか」
「ん? 高校んときに世話になった先輩の結婚式だったんだ」
「へぇ」
「彼女とすげー苦労していろんなこと乗り越えてきた人でさ。オレの尊敬する数少ないうちの一人」
「そうなんですか」
和らいだ啓介の表情に、少しだけ胸が締め付けられた。知らない一面を垣間見た気がして、また一歩、遠くなった気がする。
「本当は着替えて来るつもりだったんだぜ。けど藤原が楽しそーにしてっから、勢いで来ちまった」
「楽しそうなんてオレそんな、自分から行ったわけじゃ……」
「本気にするなよ。ちゃんと分かってる」
クスクスと笑う啓介に焦って反論するが、タクシーの中だったと気づいて語尾が消えかかる。
続きを言えず、膝の上でぎゅっと拳を握り、うつむいて唇を噛む。組んだ膝の上で交差する啓介の左手に、珍しく指輪が光っているのが見えた。いつもはネックレスに通しているやつだ。
「ああ、お守りっつーか藤原の代わりにな」
拓海の視線に気づいて、薬指に嵌められた指輪にちゅっと口づけた。啓介の思わせぶりな態度に頬が熱を持つ。
「め、眼鏡は」
「あー、これはホストみてーだからって同じテーブルのやつに押し付けられたんだよ」
失礼だよなとぼやく啓介の意外な一言に思わず笑ってしまった。もう外してもいいはずなのにまだ眼鏡をかけているということは、少しは気にしているということなのだろうか。バツが悪そうにまた窓の外に視線をやる啓介に、拓海はこっそりと見とれていた。
タクシーを降りて連れて行かれたのは郊外にあるホテルの一室だった。
シングルベッドが二つ並んでいるが、そこに辿り着く前に、入ってすぐの廊下の壁で捕まっている。
間近で見る啓介はいつもと変わらないはずなのに、黒いセルフレームと透明なレンズがあるだけでいつもとは違った緊張感がある。これほどドキドキするのは見慣れない格好のせいだ。拓海は何度も自分に言い聞かせた。
指を絡めた状態で頭上に腕を拘束され、脚の間には太腿が差し込まれ、逃げるつもりはないのに逃げ場のない焦りが胸に湧き上がる。キスをする一歩手前でずっと焦らされたまま、目をそらせないでいる。
「っ、啓介さん」
沈黙に耐えきれず啓介にキスをねだってみると、予想に反して素直にしてくれた。触れるだけの優しいキスだった。だがそれ以上には触れてくれず、またお預け状態が続く。
もどかしい。いつもみたいにしてほしい。
喉まで出かかっている言葉を唇を噛んでやり過ごす。引き締まった体にフィットするスーツをまとったままの啓介の肩に額を預け、ぐりぐりと押し付ける。
嗅ぎなれた啓介の匂いに胸がいっぱいになった。ゆっくりと両手を解いて、背中に腕を回した。啓介は壁に肘をつき、より一層拓海に近づく。
「藤原」
耳元で囁かれ、耳朶を舐められて拓海は小さく声を漏らした。啓介の手のひらがTシャツの裾からもぐりこんでくる。
指先が触れた場所からじわじわと熱が広がっていく。荒い息を吐く唇が塞がれ、舌が入り込んでくる。押し返そうとする拓海の舌とさらに絡み合って、口内を丹念に舐め回された。
角度を変えるたびに眼鏡が小さな音を立てる。いつもの啓介なのに、いつもの啓介ではないような感覚に少しだけ怖くなった。
「壁に手ぇついて」
啓介はこめかみに口づけながら、拓海のジーンズの前をくつろげ、そろりと指を忍ばせた。重力に逆らおうと力をため始めているそこを優しく握り、手を動かしてくる。
それに合わせて耳と後ろの入り口まで愛撫され、啓介から与えられる悦びを覚えきった体は素直に反応を示している。
「もしかしていつもより興奮してる?」
「けーすけさ、ベッド、に……っ」
「頭では分かってるけど、……ちょっといじわるする」
「え……っ、ぁッ」
苦しい姿勢で口づけられながら、下半身に焼け付くような痛みが走った。
「く、ぁ……っ」
痛みを逃がそうと壁に爪を立てると、啓介がその手を握りしめてくる。
壁と啓介に挟まれて息苦しいのに、背中から思い切り抱き締められると体の中身が啓介に埋め尽くされるような快感に支配されていく。膝下に残るジーンズでよろめきながら夢中で壁を伝い、やっとの思いで手前側のベッドに飛び込んだ。
後ろにぴったりと貼り付いている啓介の重みで、繋がりがぐっと深くなる。
「ン、ぁあッ、動かす……な、あッ」
「藤原ぁ、もう逃げられないぜ」
「逃げてな……いぃっ」
火傷しそうな熱の塊で弱点を執拗に攻められ、拓海の雄がとめどなく涙を流している。制止は聞き入れてもらえず、拓海はあっという間に絶頂の波に押しやられていった。
余韻に浸る拓海から熱源が抜かれた。仰向けにされてTシャツを捲り上げられ、あばらを舌先でたどる啓介を止める間もなく硬く尖る乳首に吸い付かれた。
背筋を走り抜ける電流のような刺激に、拓海の目に涙が浮かんだ。啓介が乳首を舐めながら拓海を見上げている。眼鏡があるせいで、表情がわかりにくくていつもの啓介には見えない。だがガラスの奥に見える眼に宿る火は啓介そのものだ。
恥ずかしさに目をそらすと、啓介は拓海の脚からゆっくりとジーンズを抜き去った。
濡れそぼった昂ぶりを擦られ、熱い息を吹きかけられた。
「まだ足りないよな」
楽しそうに拓海のペニスにちゅっと可愛い音を立てて口づけ、裏筋をもったいつけて舐め上げた。
括れた部分や小さな割れ目を舌でくすぐられ、拓海は手の甲に噛みついて声を殺す。だが失敗した甘い吐息が鼻から抜けていく。さらに刺激を加えられ、出したばかりだというのにまた射精感が高まっていく。
「っと、今度はまだイクなよ」
それなのに根元をせき止められて、先端だけをいじられる。解放したくてもできない時間が永遠のように思えた。
「藤原はココ気持ちイイもんな?」
「ンっ、あ、待っ、もぉ……出るって、ぁッ」
亀頭を口に含まれ、舌が絡むように蠢いて扱かれ、さらに指を突き入れられて官能のスイッチを押される。拓海は耐えきれず、啓介が戒めを緩めた途端にシーツをつかんで射精した。
「なんで、オレばっか……っ」
涙の浮かぶ目元を握りしめたシーツで拭いながら顔を上げると、啓介は眼鏡に手をかけたところだった。
「あーあ、借りモンなのにこんなにかけちまって。オシオキだな」
啓介は笑って言いながらベッドの間にあるサイドテーブルに眼鏡を置き、ジャケットを脱いだ。衣擦れの音が妙にいやらしく聞こえ、拓海は慌てて視線をそらす。
「待ってって言ったのに、啓介さんが触るからだろっ」
「何照れてんだよ、かわいかったぜ」
「か、かわぃ……とか言うなっ」
「AVみたいに顔射して眼鏡にぶっかけてコーフンしたんだ? えっち」
「なっ! ちがいますっ」
啓介はシャツのボタンを片手でゆっくりと外し、拓海の腰に跨るようにして膝をついた。拓海のTシャツを脱がせると脇腹を羽で触るような力加減でひと撫でし、指先が肌を伝って唇に辿りついた。
「じゃオレに舐められて感じた?」
「は、なな、何言って」
「な。気持ちよかった?」
「っ、……も、何ですか、なんで今日そんなことばっか」
体中の血液が顔に集まってくるのがわかる。目も当てられないほど赤くなっているに違いない。
啓介がいつもと違う格好をしていただけでこんなに簡単に煽られて感じまくっていつもより保たずに二度も射精して、さらには聞かなくてもわかるようなことも言葉で攻められて、これでは浮気だと責められた方が反論ができるのだからまだましだ。
啄むように口づけられたと思ったら、今度は嵐のようなキスに変わった。抗議も、吐息さえも許されないほど啓介の全てで求められているのがわかるような激しいものだった。
「はぁ……ぁ……アッ!」
朦朧とするなかやっと解放され、酸素を肺いっぱいに取り込んでいる間に再び啓介の熱を根元まで埋められた。
「オレもう藤原としかしたくねえけど、おまえは? 同じように思ってくれてる?」
「だから、あ、……っ、何、ワケわかんないこと言ってんですか」
「オレとエッチすんの好き?」
啓介の言葉が産毛を逆立てるように肌を撫でていく。快感をやり過ごすのに必死でじっと黙っていたら腰を揺すられ、指輪をした長い指で音を立てるように扱かれる。
不意打ちに、蕩けた顔を晒してしまい、拓海は悔しそうにぎゅっと唇を噛みしめる。
「なぁ、どうなんだよ」
答えは分かっていると言いたげに、けれども拓海に言わせたいのだと視線が語っている。
せき止められた快感に屈したくないと思っても、体はそれ以上の刺激を求めてしまっている。燻った熱を解放できるのは、啓介しかいないのだ。
だけどセックスだけが好きなんじゃない。眼鏡があってもなくても、結局は相手が啓介だから、啓介が好きだからこそこうなってしまう。
「じゃあ、……オレのこと好き?」
指先で唇をそっと撫でながら、そんな声でそんなことを言うなんて、どこまで反則技を使うつもりなのか。
ガラス越しではないまっすぐ見つめる啓介の目の中に見え隠れする、熱と欲と、不安が入り混じったような揺らめきが拓海の胸を締め付けて離さない。この胸の内をどうやって伝えればいいのか、どうすれば届くのだろうか。
「……じゃなきゃ、こんなことしません」
白いシャツの襟をつかみ、半分睨み付けるように言いながら唇を押し付けると、啓介は嬉しそうに笑って拓海にキスを返した。
2015-06-06
サイト3周年記念のリクエスト。「メガネプレイ」でした。リクありがとうございました! back