Gonna get you

 時計を見るとまだ午前5時前。
「んだよ、全然寝てねーんじゃねえの……」
 起きるつもりが全くないのに珍しく早朝に目が覚めてしまった自分を恨みながら二日酔いで痛む頭を押さえて起き上がると、上掛けがはらりと体から滑り落ちた。
「ん? なんでオレはだ……か」
 脱いだ覚えはない。それでも何も、下着さえ身に付けていない。
 おぼろげな視線で部屋を見回すと自分の隣に膨らみがある。枕にさらさらとした髪が波打っている。
「え……?」
 記憶が確かなら昨日はDのメンバーとのバーベキューだったはずだ。男所帯で気兼ねなく楽しんでいたはずなのに、自分はちゃっかり誰かを自室へ「お持ち帰り」してしまったらしい。
 慌ててベッド脇に置いたごみ箱の中をのぞくと、どう見ても最後までいたしちゃった残骸がある。が、まったく覚えていない。
「う……うそ……」
 自分で自分が信じられない。自分の身に何が起こったのかさえ、把握できない。隣で規則正しい寝息を立てる人物をとりあえず確認しなければ。
 恐る恐るシーツをめくって、すぐさまその行為を後悔して自分の目から隠すようにシーツをかぶせるとこれが現実でないことを祈って自分の目も両手で覆った。
「……………………」
 誰か嘘だと言ってくれ。
 ガンガンと痛む頭は二日酔いだけではなくなった。昨夜の出来事を思い出そうとするが、動揺してかうまくいかない。
「うそだろ……? オレそんなに飲んだっけ……」
 前後不覚になるほど飲んだことは過去にはあったし、朝起きて隣に人が寝ているということも数少ないこともないが、そのことを覚えてないというのは初めてだった。しかも相手は。
「さっきから何ぶつぶつ言ってんすか……」
 鼻から上だけをのぞかせてこちらを見ている大きな目。見覚えがある。
 さらさらと流れる柔らかくて手触りが良さそうな髪も、よく覚えてる。
「……おまえ……何でここに……?」
「何でって……イテ」
 起き上がると同時に顔を顰めたのは藤原拓海。およそ二か月前にできた恋人だった。
 言葉がなくなるってこういうときなんだろう。パクパクと口を動かすも音が出ていない。
「ったく啓介さん……あんた結構ムチャしますね」
 顔を赤らめてちらりと睨むとヘッドボードを背もたれにして腰のあたりに枕を入れて啓介の隣に座り直した。その間もどこかが痛むらしい、顔を顰めたり舌打ちが聞こえてくる。
「ムチャって……やっぱり……オレが……」
「まさか……覚えてないっていうんですか?」
「へ……?」
「あんな無理やりに……ガンガン腰使っといて?」
「へ……え?」
「散々オレのこと好きだとか可愛いとか言っておいて?」
「……………………」
 拓海の口から零れる仰天のセリフに絶句し固まったのはもちろん啓介。石化したまま微動だにしない。
 拓海は腰に挟んでいた枕を啓介に向かって投げつけ、見事頭にヒットしたそれは頼りない音をさせて布団の上に落ちた。それでも動けないでいた啓介を残してベッドを抜け出そうと起き上がる拓海を、引き留めようと咄嗟に掴んだ。
「放せよ」
「いやだ」
「すいませんね、相手がオレでがっかりしたんでしょ」
「ちがう!」
 それはとんだ誤解だ。取り繕っても失態は取り消せないが、とんでもない思い違いだ。
 落胆と怒りに震え、呼びかけても頑なに振り向かない拓海を抱き寄せた。
「なあ……今の、マジか?」
「どうせ覚えてないんでしょうが」
「そうだけど、いや、まだちょっと混乱してるっつーか……それよりマジなのかって聞いてんだよ」
「何逆切れしてんだ、ふざけんな……っ」
 振りほどこうともがく体を力強く抱きしめた。拓海の背中から鼓動が伝わる。
「ごめん」
「別に謝ってもらわなくても……」
「じゃなくて、ひどくして、悪かった」
「……は?」
 身を捩って振り返った拓海は、驚いたように双眸を開いた。眉根を寄せながら啓介が呟く。
「無理やりって言ったじゃんか」
 今度は正面から抱きしめて、啓介はごめん、と繰り返した。頬に当たる拓海の耳が熱い。
 勢いのまま押し倒したのは拓海が啓介の背中に腕を回そうとしたところだった。
「ちょ、ちょっ……と」
「クソ、初めてが無理やりとか自分が許せねえ。……マジでごめん」
「啓介さん……」
 付き合い始めてからこれまで、キスやその先の触れ合いも多少はあっても最後まで体をつなぐことはしなかった。 どう頑張っても拓海の体に負担がかかるのは目に見えている。相当な忍耐は必要だがゆっくりと関係を育んでいた。
 何よりそれを覚えていない自分に心底腹が立ち、取り繕えないほどに表情が曇っていく。 拓海は啓介の柔らかい髪に指を差し入れると、そのまま頭を引き寄せてくいしばったように噤んだ啓介の唇に口づけた。
「……藤原」
「痛かったのは本当だけど……う、嬉しかったですよ?」
「……痛いのが……?」
「じゃなくて!」
 額を出すように髪を撫でつけていた手を頬まで下ろして親指で目元を軽く撫でる。その感触に目を細め、鼻先を擦るように少し顔を傾ける。
「いっつも余裕綽々って感じの啓介さんが、あんな必死にオレのこと欲しがってくれた……」
「どんだけガッついたんだよオレ……」
「そりゃちょっと怖かったしまだ痛いけど……正直ホッとしてます」
「え?」
「オレだって……啓介さんに触れたかったから」
 痛い思いをしたのは確かだけれど、酔っ払いの力を振り切れないほどか弱くはない。 眠っていた啓介の部屋に足を踏み入れたのは拓海本人の意思だった。
 真っ赤な顔で何とか励まそうとするその気遣いがいじらしく、啓介の理性を断っていく。 啓介の手が下から伸びて同じように拓海の目元を親指で撫で、そっと唇が触れた。触れるだけのキスがだんだん深くなって、熱い啓介の手のひらが拓海の体を這っていく。
「あ……っ」
「やり直す」
「えっ?」
「もしかしたら思い出すかもしれないし」
「なに……」
「今度はちゃんと、腰抜けるくらい気持ちよくしてやる」
「なっ……んン」
 拓海の返事が啓介の口の中に吸い込まれるように消えていく。宣言通り、身も心も蕩けさせるほどのキスが拓海を襲う。 ひどく酔っぱらっていた昨夜の啓介と同一人物かと疑うほどの差に縋りついていないと意識が飛びそうになる。その瞬間。
「啓介さ~ん! 起きてますか!? 朝飯買いに出ますけど何がいいですか?」
 元気な声と大きなノックが飛びかかった拓海の意識を引き戻す。
 そういえば昨夜はメンバー数人が酔いつぶれて高橋邸に泊まることになったのを思い出した。
「チッ……ケンタかよ」
 舌打ちをして小声でぼやくと拓海から体を離して起き上がろうとする啓介を引き止めて、手早くかぶせたシーツごと引き寄せて口づけた。
「ふじ……」
 いつになく積極的な拓海に戸惑いながらも、その甘えるような攻撃に啓介が抗えるはずがなく。顎や頬にまで口づけてくる拓海に視線をやると、啓介の思い込みでなければ拓海の眼に宿るのは……。
「啓介さん? 開けますよ~?」
 言うと同時に扉が開かれる。
 頭までかぶったシーツの中で、体の隙間に紙一枚すら入らないほど抱きしめて息を潜めた。 拓海の耳に啓介の鼓動が響く。体温が上昇して脈も少し速い。じっと息をひそめて、ケンタが諦めて部屋を出て行くのを待つ。
「ちぇっ。まだ寝てるのか」
 ポツリとこぼすと静かに扉を閉めて隣の涼介の部屋へと移ったようだ。 ぼそぼそと会話する声が漏れ聞こえる。弾んだ足音が階段を下りて行くのを確認してからシーツから頭を出すと赤い顔をして黙り込んだ拓海をまじまじと見つめる。
「藤原……ケンタもう行ったみたいだぜ?」
「…………」
「なあ……ケンタがどうかしたか?」
 二度目にその名を口にしたとき、拓海の眉間に縦皺が入るのを啓介は見逃さなかった。
「おいまさか……ケンタに何かされたんじゃねえだろうな?」
「……へ?」
 予想外の問いに拓海の思考が一旦止まる。起き上がって馬乗りになる啓介にがっしりと肩を掴まれて揺さぶられる。
「な、ち、違いますよ! きもちわりーこと言わないでください」
「じゃーなんでそんな怒ってんだよ」
 啓介の手を振りほどこうともがくと、今度は容易く両手首を掴まれて頭の上で一絡げにされる。 マウントポジションを取られては悔しいが拓海に勝ち目はない。
「別に怒ってないです」
「怒ってるじゃん」
「怒ってない」
「じゃあ何?」
「…………」
「こっち見ろって藤原」
 逸らせていた顔をゆっくり正面に戻して啓介と向き合う。苛立ちと不安が混じったような顔がカーテンの隙間から差し込む朝日で照らされている。
「本当にケンタとは何でもないんだな?」
「あるわけないでしょ」
「……なあ、ケンタが来てから変だぜ……何だよ?」
「~~~っ そうやって、オレの上で他の人の名前ぽろぽろ呼ぶからでしょうが!」
「……藤原?」
 珍しく声を荒げる拓海に驚いて少し体を離した啓介の躊躇いがちな呼びかけと自分の言葉にはっと我に返り、真っ赤になった顔を拘束が解かれた両手で覆い隠すと勢いよく体を反転させてうつ伏せになる。 知らず、うなじや肩まで赤くなっているのが啓介の眼前に晒される。
「すみません……」
 蚊の鳴くような声で呟く拓海の言葉にさっきの視線の意味にもようやく合点がいく。
 やきもち……嫉妬……。
 過去ぶつけられてきたそれらはただ面倒で鬱陶しいだけの感情だったのに、なんて甘い縛め。
「ごめんな……」
 うつ伏せの体に覆いかぶさるように抱きしめて肩口に顔を埋めて囁く。 見えない中の刺激でびくりと震える体に、さらにだらしなく顔が緩んでいくのが分かる。だって相手はケンタだ。天地がひっくり返ったって拓海が想像するような何かが起こるはずもないのに。
「ベッドの中じゃ、おまえの名前以外呼ばないようにする」
 これ以上ないというくらい紅潮した顔がもぞもぞと動いて、潤んだ目が向けられる。 何か言いたげなのに、何も言わずただ見つめるだけ。胸が高鳴って、呼吸が浅くなる。ぐりぐりと額を擦り合わせて抱きしめるとまたねだるようなキスを繰り返す。
「ん、あっ」
「藤原……好きだ」
「啓介さん、オレも……」

 耳元で囁かれた名前。
 欲しかった言葉。
 ご褒美のように与えられる快感と安心感に、熱い体を引き寄せて夢中で絡みついた。

2012-04-10

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