ハートビート

「藤原って好きなやついんの?」
「いますよ」
「即答かよ。で、誰? オレの知ってるやつ?」
「……まぁ、そうですね」
「まじで?」
「知らないってことはないと思います」
 思いもよらないといった風な顔で、まじまじと拓海の顔を見つめている。それを横目に、拓海は目の前の夜景に視線を飛ばす。ミーティングを終えて立ち寄った秋名の峠、湿り気を帯びた風が遠からずの梅雨入りを知らせている気がする。
「あ、だめだぜ」
「は?」
「アニキはだめだ」
 予想通りと言えばいいのか、拓海はさほど驚きもせず小さくため息をついて、再び夜景を眺める。啓介は愛車に凭れていた体を起こして拓海の肩を掴んだ。
「涼介さんじゃありませんよ」
「本当だろうな」
「本当です」
 わずかにほっとしたような息を吐いた啓介は拓海の肩から手を下ろした。その残りの熱を留めるようにそこをさする。
「ん? じゃあ誰だ?」
「それ知ってどうするんですか?」
「や、どうってそりゃ……どうもしねえけど」
「なら言いません」
「なんでだよ」
「逆になんで言わないといけないんだって話です」
 冷たく言い放すと、啓介は見るからにシュンとして拗ねたように唇を突き出し、再び愛車に凭れた。時折見せるこういう姿がたまらないと拓海は自分を悪趣味だなと内心で笑った。
「協力するって言ったら?」
 渋々といった感じで、少し低い声色で啓介がつぶやいた。
 そこまでして知りたいのかとも思ったが、拓海としてはその申し出は願ってもない。今度は己が愛車から体を離して啓介に近づいた。不意打ちよろしく啓介の唇にたった一秒だけ自分のそれを押し付けて後ずさる。
「────あ?」
「こういう対象に見れるかどうか、確認しといてもらえますか」
「え?」
「協力してくれるんでしょう、啓介さんがよーく知ってる人なんだから」
「ち、ちょっと待て、今の」
「前向きに検討お願いしますよ」
 狼狽える啓介をハチロクに凭れながら眺める。赤くなった頬や耳の先に期待を込めて、運転席のドアに手をかける。
「答えが出たら連絡ください」
 そう言い残して車に乗り込み、アクセルを踏み込む。何か言いたげな啓介に笑顔で手を振り、その場を後にした。平静を装うのも限界だった。激しく踊る心臓がこれ以上は持ちそうにない。
 慣れた峠をいつものスピードで下りているが、ステアを握る手はいつもにはないほど汗が滲んだ。啓介のもとを去ってからさほどの時を置かずして携帯電話が着信を告げる音を響かせる。 拓海は急ブレーキを踏んでステアリングに突っ伏した。誰からの電話かなど画面を見なくても分かる。 出ようか、無視してしまおうか、そんな思いを巡らせているうちに背後からヘッドライトの灯りが近づいてきた。慌てて発進しようとしたが一歩遅かった。急停車した車から飛び出してきた啓介が、ハチロクの運転席のドアに張り付いた。 窓ガラス越しに見つめ合い、幾度かのまばたきを経て拓海は大人しくドアを開けた。啓介は無言だ。じっと言葉を待ちながら、激しい鼓動を鎮めようと必死だった。
「材料が足りない」
「え?」
「答えを出すにはあれじゃ足りない」
 言いながら近づいてきた啓介は拓海の頭を引き寄せてキスをした。突然のことに瞠目しつつも、拓海は抵抗らしい抵抗もせず啓介の口づけを黙って受け入れた。 たった一瞬触れたのとは格が違うそれに、拓海は無意識のうちに啓介の首に腕を回していた。
 ゆっくりと離れた唇は濡れて、啓介の上気した頬と熱のこもった視線に膝が崩れそうだった。
「足りましたか」
 ひどく上擦った声に自分でも驚く。だが啓介は気にする様子もなく、鼻先を擦り付けてきた。
「ん、もうちょっと」
 できればもう少し触れていたいというのが本音だが、唇の間に手を差し込んでそれを阻止する。間近で見る啓介は少し不満げに眉を寄せるが強引に進める気はないようだ。
「答えが出たら、って言ったのに」
「藤原のこと好きって確信したのついさっきなんだけど、そんなんでいいのか?」
「はぁ、気づいてくれたんならいいんじゃないっすかね」
「適当かよ」
 はははと笑えば啓介が切れ長の目を見開いた。
「そんな笑うの初めて見た気がする」
「こんな嬉しいことそうそうないですよー」
「え、何おまえ喜んでんの?」
「そりゃもうめちゃめちゃテンションあがってますよ。当たり前でしょう」
「いや全然見えねーよ超フツーっつか何ならローテンションだぞ」
「何でですか、意味わかんねー」
「ぶは! 混乱してるのはこっちだっつーの」
 啓介が爆笑している。そんな姿を見るのは拓海のほうこそ初めてで、せっかく静まった心臓がまた大きく動き出している。啓介は笑い過ぎて目の端に涙を浮かべていた。ふと手を差し出してその滴を拭えばぴたりと声が止む。
「おまえも言って」
「何をですか」
「ケイスケサンダイスキって」
「なんで裏声なんですか」
 思わず吹き出してしまった。咳払いして気を取り直して啓介に向き合うと、だけどすぐに今の裏声を思い出してしまう。
「んふ、やべっ、ツボに入っちゃった」
 手の甲で口元を隠して何とかこらえようとするが、こうなると笑いが止まらない。正面の啓介は不平な顔をするがそれでもなかなか止められない。 目尻に浮かぶ涙を拭いながら深呼吸を繰り返し、何とか気を取り直して啓介を見上げる。
「ずいぶんヨユーそうじゃねえか」
「まさか。正直心臓ぶっ壊れそうですよ」
「だからそんな風には全然見えねーって」
 そう言いながら、啓介は拓海の胸元に手を当ててきた。Tシャツ越しに感じる体温に耳が熱くなった。
「あ、マジだ。けっこうドクドクいってる」
「そりゃそうでしょう。好きな人といるんだから」
「ふーん」
 嬉しそうに笑う啓介はうつむきがちな拓海を覗き込むように背を屈めた。鼓動がうるさくて耳まで届くようだ。
「知ったところで……どうするんですか?」
「どうってそりゃ……」
 言い淀んだ啓介を見上げ、整った顔を観察する。まさか照れているのだろうか、少し顔が赤い。あの啓介さんが、と妙なところで感心してしまう。
「決まってんだろ」
 近づいてくる啓介に音が聞こえてしまいそうなほど激しい鼓動が恥ずかしい。そろそろ鎮まってくれ。せっかくの大事な台詞を聞き逃してしまいそうだ。啓介の腕の中、頭の隅でそんなことを考えた。

2018-06-12

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