蜜
頬を撫でる冷たい風に啓介は薄っすらと目を開けた。
冬の始まりを告げる雨は止んで、窓辺のカーテンがかすかに月光をまとって揺れていた。
歯止めがきかず思いのまま拓海と抱き合い、その代償とも言えよう換気のために少しだけ窓を開けたまま眠ってしまった。肌寒さを感じながら、それでも隣には愛しいぬくもりがある。
規則正しく揺れる肩と寄り添うように胸の上に置かれた手。腕枕は嫌だと顔を赤くして拒んでいたのにと口元が緩んだ。目尻にキスを落とし、拓海の下から腕を引き抜いた。
多少のことでは目を覚まさないことはもう知っているが、音を立てぬようこっそりとベッドを抜け出して静かに窓を閉めた。ひとりの夜なら煙草でも欲しくなるところだったが、甘い痺れを残す唇を指でなぞり喉の奥で笑った。
大きく伸びをしてから忍び足で拓海のそばに戻り、手のひらを枕にしてその寝顔を見下ろす。
前髪をかき上げると長い睫毛が少しだけ揺れた。頬を撫で、涙の跡を指先で拭った。啓介の手のぬくもりを探すように拓海が頬をすり寄せ、安堵のため息を漏らす。その仕草に胸が詰まり、啓介は拓海にそっと口づけた。
柔く食むように唇を挟み、上唇と下唇を交互に吸った。指先を顎に添えると無意識だろう拓海の唇がゆっくりと開く。啓介は舌を差し入れ拓海の口腔内を緩やかにまさぐった。濡れた舌を絡めて甘い蜜を吸う。
色づき始めた吐息に誘われ、啓介は拓海に覆いかぶさった。触れるだけの可愛いキスをしながら指先は拓海の体へと降りていく。拓海は啓介のリクエスト通り大きめのTシャツと、下はトランクスだけを身につけている。
バカじゃないのかと文句を垂れながらも聞き入れてくれたのだ。簡単に愛の言葉を囁くタイプではないが、こういう端々で啓介への想いを示してくれている。
下着の上から尻の丸みを撫でても腰骨のあたりから両手を差し入れてじわじわと脱がせていても拓海はわずかに眉根を寄せるだけでまだ目を覚まさない。
(これ以上はさすがに怒るかな)
いつもは盗むようなキスだけでここまでしたことはなかった。だが今夜はどうも手を止められそうにない。寝顔を見つめる啓介はいつしか悪巧みするような笑顔になっていた。
乱れる呼吸も構わず拓海に唇を触れさせたまま、脚の間に体を滑り込ませる。
唇と言わず、顔中そして喉元や鎖骨まで口づけて時々その白い肌を吸い上げた。啓介の愛撫に反応して欲望の兆しを見せ始めた拓海の体の奥に指を滑り込ませ、指先で入口に触れる。散々拓かれた体は啓介の指を容易に飲み込んだ。
小さくこぼれた拓海の掠れた声にぞくりと肌が粟立ち、啓介は我慢できずに自身の熱塊を少しずつ埋め込んでいった。根元まで入れると軽く息を吐き、肩口に額を乗せ拓海の体を抱きしめた。トクトクと少し速い鼓動が耳をくすぐる。
「これでも起きねえのかよ。はやく目開けねえとめちゃくちゃにヤッちまうぞ」
そんな脅し文句を小声で言いながら入れたままじっとしているとまるで啓介の方が拓海に抱きしめられているような妙な気分になってくる。
体は快感に悦んで暴れ出しそうになっているが、隣で熟睡してくれるのは嬉しい反面やはり反応がないのは何となく物足りない。勝手な言い分とは思っていてもやはり寝ている拓海相手ではつまらないのだ。
恥じらうような、求めるようなあの熱い目で見てほしい。
「ふじわらぁ」
花の蜜に誘われる蜂のように、その口元へと引き寄せられていく。
顎のラインに優しく歯を立ててみると拓海の目がゆるりと開かれた。夢の中へと戻ってしまわないうちに耳の後ろに舌を這わせふっと息を吹き込む。
「んっ、え……あ、ちょっとなにしてる、んぅッ」
起こしておきながら言葉を防ぐように唇を塞いだ。目覚めたばかりでまだ力の入らない手で啓介の体を押しのけようとする。
その手を取って指を絡め唇を押し付けたまま体を揺さぶると空いた手が背中に回った。拓海好みのキスを続けていると、強張った体から力が抜けていくのが分かった。
蕩けた目で見上げてくる拓海を抱きしめ直し、首筋に唇を押し付ける。
「もー……寝込みを襲うなんてヒデーっすよ啓介さん」
「ごめん。キスしてたら我慢できなくなっちまった」
素直に詫びれば拓海はそれ以上は何も言えないとばかりに口を噤んで顔をそらせた。
邪魔なTシャツを脱がしにかかると拓海は唇を尖らせているものの大人しく腕を上げて啓介に委ねた。離れた体を抱き寄せ、赤い頬にキスをする。
渋々振り返った拓海の唇に指の背で触れると拓海が腕を回して啓介を引き寄せた。鼻先でキスをし見つめ合う。啓介は少し頭を傾げて拓海に口づけ、その眼を見つめたままゆっくりと抽挿を開始した。
逃げないように拓海の腰を両手で押さえ、焦らすようにして中をかき回す。啓介のTシャツをつかむ拓海の指先に力が入った。
「け、すけさんも脱げよな……」
可愛いおねだりに啓介は小さく笑って体を起こし、自らTシャツを脱ぎ捨てた。そしてすぐさま拓海の腰の横に手を置き、中の襞をこするように腰をくねらせた。
赤い顔を見下ろしながら何度もそれを繰り返す。快感に耐える拓海の顔は艶めかしい。もう打ち止めだと呆れるほど抱き合っていながら、その表情を見ているだけで何度だってできそうな気がした。
一番敏感な部分をわざと避けていたせいか、拓海の腰がもどかしげに揺れ始めた。啓介は下唇を噛んでいる拓海の頬に手を添え耳打ちする。
「藤原、上に乗って」
その台詞にさっと頬を染めた拓海が小さく頷いたのを啓介は見逃さなかった。気が変わらないうちにとペニスを引き抜き、ベッドに仰向けになった。拓海はうつむき加減のままたっぷりの間を取ってから啓介に跨った。
「今日だけ、だからな」
そう言っては何だかんだといつも望みを叶えてくれる拓海に、啓介は笑みを深めた。拓海は苦しげに息を吐き、啓介の熱塊を自ら招き入れている。
目の前に広がる絶景と張りつめた部分が包まれる感覚に腰が揺れてしまう。
「あっ、啓介さ……ッ、動くなってば」
「だって超気持ちイイんだもん」
「もんとか言うな」
「藤原」
手招きして拓海の腕を引き寄せる。拓海は大人しく背を屈めて啓介に覆いかぶさってきた。
片手は腰に回し、もう片方は後頭部を押さえるようにしてぎゅうっと抱きしめると、触れ合った肌から温もりと鼓動が伝わってくる。
「藤原、すげー好き」
わがままを聞いてくれてありがとうとか、負担のかかる行為を厭わず受け入れてくれて幸せだとか、もっといろいろ伝えたいことはあるのに、ひっくるめるとその一言だった。
返事はないが、拓海の体は小刻みに震えて繋がりになじんだところがきゅんきゅんと収縮を繰り返している。
刺激にたまりかね、啓介は少し頭を動かして拓海の唇を塞いだ。舌を絡ませ、甘い唇を堪能しながらゆるりと腰を突き上げた。浮き上がる拓海の腰を片手で撫でつけて押さえ、突き上げるスピードを徐々に上げていく。
「あッ、啓介さ、だめ、もイク、い、く……ってぅンッ」
離れた唇を重ねて言葉を奪った。拓海は必死に呼吸を求め、意図せず啓介の舌を吸い上げている。
揺さぶられて唇が離れたと同時に拓海は啓介にすがりつくようにして抱きついてくる。
「ああくそ、ヨすぎてぜんぜんもたねえ」
啓介は繋がったまま体を入れ替えて拓海を組み敷いた。恥じらいながらも啓介を求めてやまない熱い視線とかち合った。
その視線にゾクゾクと快感が高ぶっていく。腰をつかんで叩きつけるように肌をぶつけた。拓海は刺激に眉根を寄せ、啓介の腕をつかむ。
動きに合わせて指先が肌に食い込んだり離れたりするのを感じながら、自身の絶頂を追いかけていった。
すべてを出し切った後、啓介は余韻に浸るように拓海にキスをした。
薄く開いた唇に沿うように輪郭を優しく食んでいく。この上なく疲れさせてしまった拓海はぐったりと横たわったまま、吐く息はまだ少し乱れていた。
「体、平気か?」
至近距離で問いかけているせいで、拓海がうなずくと唇が触れる。照れくさそうにしているものの嫌がってはいないようだ。都合のいいように解釈しながら、啓介は体を起こした。ベッドの下に落としたパジャマ代わりのスウェットを身につけ、もう一度拓海にキスをした。
「シャワー浴びてる間にココアかなんか入れといてやるよ。オレも飲みたくなってきたし」
「ありがとうございます」
拓海の手を引き、頭からTシャツをかぶせた。
よろめきながら立ち上がる拓海を支え、バスルームへ送り届けてからキッチンへと向かう。
腕を組み、裸足の指先でふくらはぎを掻きながらレンジの中のカップを見つめる。
オレンジ色の淡い光をぼんやりと見ながらニヤつく口元を片手で隠した。
「啓介さん」
「お、ちゃんと温まったか?」
湯上りで血色の良い顔を両手で挟みながらちゅっと口づける。
「あの、今度こそ着るもん貸してくださいよ」
拓海はもじもじとTシャツの裾を引いて啓介を見上げている。着替えを用意しなかったのはうっかりしていたせいだが、拓海はわざとそうしたと思っているらしい。
「何だよ似合ってるぜ、その格好」
「意味わかんねぇ」
照れたような、呆れたような声音とともに温めた牛乳にココアの粉を混ぜている啓介の腕に拓海の軽いパンチが打ち込まれた。
啓介は笑い声を上げながら拓海の腰を抱き、廊下や階段の途中でもキスを繰り返しながら部屋へと戻った。気に入って色違いで買ったスウェットを貸してやると拓海はホッとしたように着替え始める。
「甘いけどたまーに欲しくなるんだよなーコレ」
ふうふうと息を吹きかけて、アツアツのココアを口に含む。着替えを終えた拓海がベッドに入ってきて、啓介の隣に座った。
啓介はマグカップを手渡して掛け布団を整えると拓海の肩に頭を乗せた。重いなどと文句も言わずただ黙って受け止めてくれる。そのことに気を良くして互いの体の間にある片手を繋いで指を絡めた。
様子を探るように振り向いた気配がしたが、啓介はそのまま肩にもたれて一息ついた。甘い匂いが鼻をくすぐり、顔を上げると拓海がマグカップを差し出していた。
拓海の手ごとマグカップを引き寄せて一口飲んで、ついでに軽く口づけてまた元の位置に戻る。啓介の早業に拓海は感心したように笑った。
のんびり時間をかけて残りを飲み干した拓海からマグカップを受け取ってサイドテーブルに置くと二人して布団にもぐりこんだ。
同じ匂いを漂わせる拓海を抱き寄せて目を閉じると心地良いぬくもりに眠気がやってくる。こんな満たされた日はさぞいい夢が見られるだろう。啓介はかつてないほど幸せな気持ちで眠りにつこうとしていた。
「啓介さん」
「んー?」
「あの、……オレも、その……」
すげー好きですよという告白を聞いたのは現実だったのか夢だったのか。
太陽の光が射し込む部屋の中、隣のぬくもりを抱きしめたまま啓介は幸せな記憶を必死にたどった。
2015-12-03
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