夜が明けたら
高橋家の洗面所、鏡の前で二人肩を並べている。
一人はまだ半分ほどしか開いてない目を鏡に向けて歯を磨いていて、
もう一人は自慢の金髪をツンツンと上向きにセットしている。
「ぷ、おい藤原ぁ、おまえ何つけてんだよ」
寝癖の残る髪に白いものが飛んでいる。
手に取ってみると歯磨き粉で、いったいなぜそんなとこまで飛んだのかと
苦笑しながらまだ髪に残っているそれを啓介が丁寧に指を濡らしながら洗い流す。
「ついでに寝癖も直してやるよ」
大人しく寝ているわりに、後頭部の髪がよくはねている。
啓介は可笑しさをこらえつつはねた毛先に指を通す。
「いつもワックスか何かつけてたっけ?」
「いえ…特には」
「しっかしさらさらだよなー」
口端に白い泡を残しながらもごもごと答える拓海の髪を
手櫛で荒く整えてから、ブラシで梳かしていく。
ガサツに見えて器用に動く手に規則的に撫でられると
まだ眠気の残る思考が徐々に固まってくる。
「おーい、立ったまま寝るな」
我に返って後頭部を小突く指から離れ、冷たい水で口をゆすいで顔を洗い、
差し出された柔らかいタオルで水気を拭いていく。
顔を上げると至近距離でまじまじと見つめる啓介の顔がある。
「おまえってあんまヒゲ目立たねーよな」
「…そうっすかね…あんま気にしたことない」
「つるーんとしてるし」
ほら、と啓介の指先が顎のラインをなぞっていく。
そのまま指先が耳に辿りつき、そこに唇が添えられる。
産毛が立つような感触に肩を竦め、慌てて誤魔化すように距離を取る。
「け、啓介さんヒゲ剃ってないじゃないですか」
「オレは風呂入ったついでに全部やっちまうから朝はいいんだよ」
生えてねえだろ、と顎を突き出して見せつけるように近付くと
拓海の前髪を両手でかき上げて、剥き出しになった額に躊躇なく唇を押し付けてくる。
啓介の手は後頭部をがっしりと掴んだままで、そのまま唇が瞼や頬に向かって、
あっという間に拓海の唇に到達する。
「あっちょ、…ッ」
抵抗するには相手が手慣れ過ぎていて、気付いたときにはもう
啓介の舌が拓海の中で動き回っている。
洗面台に腰が押し付けられて身動きが取れず、啓介が素肌に羽織っただけのシャツに
しがみついて受け入れるしかない。
「ふ…、んぁ」
昨夜、寝間着代わりに借りた大きなTシャツの隙間から指が滑り込んできて
腰から背中を辿ってうなじへと指先が移動し、そこからまた背骨に沿って下りていく。
指の動きを敏感に感じ取って震える体を啓介に押し付けると、支えるように抱きしめてくる。
「…っ、啓介、さん」
「ん?」
「あの…」
言い淀む拓海の言葉は分かっているのに、気付かないふりでキスを続ける。
流されまいとする拓海が何とか腕を解こうと体を捩るのを器用にかわして、
さらに腰を引き寄せると今度は腕を突っ張って離れようとする。
「ほんと、可愛いなあおまえ」
ついこぼれた言葉に片眉を上げた拓海の指が、啓介の頬をつねり上げた。
甘い余韻すら取り去って、据わった目で睨んでいる。
「イテテテテ」
「可愛いとか言われても嬉しくないって言ってるじゃないですか」
「ったく…ちょっとは手加減しろっつーの」
「啓介さんが悪いんですよ」
ぼやきながら頬をさすって体を離し、Tシャツの裾を握りしめる拓海の指に手を添える。
絡めた指先を引き寄せて、耳元に唇を近付けた。
「じゃあ…好きだ」
不意打ちに囁いて、真っ赤になって固まった拓海に絡めたままの指先を引いて部屋に向かう。
こんなときには長く思える廊下を通って、逸る気持ちを抑えて階段を上っていく。
絡んだ指の先が熱くなって、振り返るとやっぱり真っ赤なままでうつむきながら後をついてくる。
昨夜の天気予報通り外はあいにくの雨模様で、それなら映画でも行こうかと
夜のうちに計画を立てていたのに、このまま予定は繰り下げになるだろう。
ヘタをすれば、いや上手くいけば予定が流れると言うこともある。
拓海には秘密の作戦は少しずつ遂行されている。
怪しまれないようにわざわざ髪の毛まで立ち上げて、我ながらガッついているなと
啓介は自嘲気味に笑って、顔の火照りを隠そうとする拓海を組み敷いて口づけた。
2012-08-28
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