お気に入りの場所
「そういやこの前ラーメン食いに行ったんだよ」
「はあ」
タウン情報誌を読んでいた拓海を黙って後ろから抱きしめていた啓介は、
繰られたページのラーメン特集記事を目にして思い出したように口を開いた。
「…大学のダチとだぞ」
「別に、何も」
「あっそ。でな、そこの餃子と炒飯がとにっかく美味いんだよ」
「…ふーん」
「やっぱ重要じゃねえか、ラーメンに餃子は」
頻繁に外食をするほうではない拓海は、曖昧な相槌を返していた。
体勢が体勢だけに、耳のすぐ傍で話す啓介の声に気を取られてしまう。
「けど肝心のラーメンがな、すっげーまじーんだよ」
その味を思い出した顔は心の底からの気持ちがこもっていて、声にまで表れていた。
「今度連れてってやるよ」
「え…でもすっげーまじーんですよね?」
「だからだろーが」
「ええー? 嫌ですよ、オレ」
わざわざ不味いと分かっているものを食べに行くだなんて。
どうせなら美味しいところに行けばいいのに。
啓介の胸に寄りかかりながらページをめくると今度はお花見特集の記事になった。
「だってラーメン屋だぜ? ラーメン不味かったらシャレになんねーのにさ」
「なおさら行く意味がわかりませんよ」
「…どんだけ不味いか気になるだろ?」
「……別に」
「餃子と炒飯はめちゃくちゃ美味いのにだぜ?」
「……うーん…はは」
啓介の必死さに、どれだけ連れて行きたがっているのかと可笑しくなった。
本当は啓介と行くならどこでもいいのだ。
テーブルマナーが必要になるような高級店以外なら。
だけどわざわざ不味いという店に喜んで行く気にはなれなかった。
後頭部を啓介の肩に押し付けながら情報誌を目線の高さまで持ち上げて、
流し読みするようにページをめくる。
「ラーメン食ったあとココ行くならどうだ?」
膝の上に雑誌が滑り落ち、拓海の顔がみるみる火照る。
啓介が指差したのは、誌面の後半にあるホテル特集記事の中の一室だった。
「…いいだろ?」
掠れた声で囁き、耳朶を噛む。
逃げようとする体を抱きしめられて、鼓動が速くなっていく。
拓海を囲い込む腕の中で、剥き出しの背中から体温が直接伝わってくる。
「ここは、この前行きました…っ」
「あれ、そうだっけ。んじゃー今度はこっち行ってみるか」
雑誌を拾い上げ別の一室を指さす啓介がゆっくりと体を入れ替え、
支えをなくしてベッドに横たわった拓海に覆いかぶさった。
開かされた脚の間に啓介の体が滑り込み、顎や鼻先に口づける。
意味ありげな視線から逃げるように顔を背ける。
「……や、オレここがいいです」
「ここって…オレの部屋?」
情事の声も後始末も、考えればホテルのほうが楽なことは明確だったが、
散らかり放題でベッドの上しか居場所がなくても隣の部屋に気を遣っても、
大好きな匂いに包まれるこの部屋がいい。
無防備な二の腕や首筋を嬉しそうに辿る唇を感じながら、静かに頷いた。
2012-04-05
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