雲が晴れたら

豆腐の配達帰り、いつもと変わらない朝焼けが広がる風景の中、見慣れた車が停まっている。
流れの速い雲が太陽を隠したりのぞかせたりしながら、空がどんどん模様を変えている。
ハチロクを脇に寄せて車を降りると強い風が頬を撫でていった。

「おはよ」
「…はよ、ございます」

軽い挨拶を交わすだけで、他には何も言わない。
いつもは抱きしめてきたりキスしようとしてきたりするのに、今日の啓介さんは何かが違う。
少しだけ空気が重くて、沈黙している時間も長い。
涼介さんと喧嘩でもしたのか、それとも悩みごとでもあるんだろうかと思っていながら、何とも切り出せない。
ただ啓介さんと同じように押し黙るしかないだけだ。
強い風を受けているその顔は眉間に皺が寄っている。
風に乱された前髪を押さえつけながら背中を向けた啓介さんに、思わず抱きついた。
なぜだかすごく小さく、消えてしまいそうに見えたから。
オレからくっつくなんて珍しいことをしたせいだろう、啓介さんが戸惑っているのがわかる。
少し強張った背中に頬を押し付けて、回した腕に力を入れる。
煙草と香水と、少しだけ汗の匂い。ああでも、いつもの啓介さんだ。
ふぅっと息を吐き出す音が背中越しに聞こえて、重ねられる啓介さんの手。
指先がゆっくりと絡みついた。

「優しいな、藤原」

違うんです。
弱ってるあんたを見てるのが嫌で、掛ける言葉が見つからないだけで、そんなふうに言ってもらえるようなオレじゃない。
そう思うのに、結局オレは何ひとつ気の利いたことが言えたためしがない。
啓介さんは振り返って、顔を隠すみたいにしてオレを抱きしめる。

「もうちょっとこのままでいてもいいか?」

珍しいほど弱弱しい声色に、オレは黙ってうなずくことしかできなかった。
肩越しに見上げる空はずいぶん明るくなっていて、雲に隠れた太陽の光はそれでも地上に降り注ぐ。
光の筋を目で追いながら啓介さんの背中に腕を回した。
途端、さらに力強く抱きしめられて、オレは鼻の奥がつんとなる。
風の音が少しずつ弱まって、光の筋が増えていくのを眺めていたら、
陽の光を浴びた大輪の花みたいな、目も眩むほどの笑顔を見たくなった。
顔を覗かせ始めた太陽を目を細めて見上げながら、啓介さんをぎゅっと抱きしめた。

2015-06-17

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