メインディッシュ

「うわ、降ってきた!」
「だからオレは車出すって言ったんだ」
 今にも降り出しそうな曇り空だったのにガソリンの無駄だとか言ってさっさと歩き出しちまいやがって。
 歩いて10分もかかるコンビニから帰り着く頃には汗が噴き出すような季節でも、汗と、急に降られた雨にTシャツの色が変わるくらい濡れて部屋の中に入れば強めに効かせた空調に身震いするくらいだ。
「オレは傘持ってったほうがいいって言いましたよ」
「へーへー、悪かったな。てかもう濡れちまったもんは仕方ねえ。おら、さっさと風呂場行け」
 不満気な顔も気にせず背中を押して脱衣所に押し込むと、一段抜かしで階段を駆け上がって部屋に入り、その辺に置いてある服を着替え用に引っ掴む。 そのまま戻って脱衣所の扉を遠慮なく開けるとちょうど全部脱ぎ終わったところらしかった。いいタイミングなのはさすがオレ。
「ちょ、何で入ってきてんスか」
「そりゃおめー、待ってられっかよ。バトルも近いってのに風邪引いたらどうすんだ」
 もっともらしく言いながら次々と身に着けているものを脱ぎすてて、答えに詰まって固まった藤原の手を引いて風呂に入る。 入浴剤を入れて豪快に湯に身を沈めると、続いて藤原も足を浸けた。それでもどこか目を逸らせて見ないようにしているらしい。
「何だよ、照れてんのか? オレの体なんてもう見慣れてるだろうが」
「そういう問題じゃないです」
 一般家庭にしては広いほうだろうバスタブに男ふたりで入ったところで窮屈なほど狭くはないが、温泉に入るみたいに脚を伸ばすわけにはいかない。 隅っこで小さくうずくまるように膝を抱えた藤原を引き寄せて、背中から抱きしめる。
「ほら、こうすりゃ肩まで浸かれるだろ」
 裸の胸に、裸の背が当たる。風呂に入ってるんだから当たり前だけど、薄暗い部屋の中で見るのとは違う、照明を反射する濡れた体は何かエロイ。 だけどそんなガチガチに固まって警戒することないだろ、取って食おうってわけじゃねえんだから。……今のうちは、だけどな。
「そういえば……この前渉さんと会ったんですよ」
「渉? ああ、埼玉のレビンか。……会ったってどこで?」
「たまたま、バイト先だったスタンドに寄ったときに偶然。そのときにちょっと話して……今度のバトルの相手は多分4WDだろうって聞きました」
「フーン」
 何か、気に入らねえなあ。わざわざそれ教えるために群馬まで来たってのかよ。バトルの相手がどんなクルマだろうが関係ないしふたりで会ったってのも気に入らねえ。
「同じハチロク乗りとしていろいろ聞いてみたいこととかあったし……偶然でもラッキーでした」
「ああ? オレじゃ話になんねえってか」
 これじゃ言いがかりだ。けどムカつく。アニキならともかく、藤原がそんな尊敬のマナザシであいつを見てるなんて知りたくなかった。
「あの、啓介さんって……フラれたこととかないですよね」
「何の話だ? 全くつながってねえぞ」
「も、もし付き合ってる人が、目の前で別の人を選んだら……とか経験ないですよね、やっぱ何でもないです」
「そりゃ藤原がオレを振ってあいつを選ぶってことか?」
 冗談じゃねえぞ。誰が渡すかよ。抱きしめる腕にどんどん力が入っていく。密着する肌がどうしようもなく熱い。
「何言ってんスか。そんなわけねーでしょ」
 腕に添えられた藤原の手にも力がこもる。正面に固定して前の壁を見つめてた顔をオレの肩に預けて、少し傾けて見上げてくると藤原の鼻先が顎に当たる。 これわざとやってんのか? ったく、タチが悪い男だこいつは。
「あのなー。よく分かんねえけど、だいたいオレはいっぺんおまえに振られてるだろ」
 だけど、すみませんなんて言うんじゃねえ。あれはおまえに必要な時間だったって思えるようになってんだからな。
「まあ、家に連れてきたカノジョが実はアニキ狙いだったとか? あれはあんま笑えねえし二度と経験したくねえっつーか何言わすんだよ」
 慣れないノリツッコミで茶化して言いながら苦い経験を思い出してみる。そんな奴も、いなくはなかった。あのアニキ相手じゃ仕方ねえって思えるオレは重度のブラコンだったな。
「……分かんねー。啓介さんを好きなら涼介さんに惚れることないと思うけ……あっ、いや、今のはえっと……」
 ぶつぶつ言ってた今のその言葉、すんげー愛の告白じゃね? 今さら顔隠しても遅いっつーの。実はそこんとこちょっと不安に思うこともあったわけよ、さすがのオレも。 アニキには敵わねえって思うけど、藤原のことは譲れねえよ。そんな心配することが時間の無駄だってアニキに言われたけど、アニキにその気がないにしても、 もしかして藤原がっていう不安もさ、けど今の一言でキレーさっぱり無くなっちまった。
「オレもう無敵かもしれねえ」
 表情はよく見えないけど、たぶんすごく焦った顔をしてるんだろう。見え隠れする頬がすげえ赤い。 濡れて冷えた体を温めるだけのつもりが、オレの体は余計な熱まで持ってしまったらしい。隠された唇を暴き出して、吸い付いた。
「……っ」
 咄嗟に声を抑えることに成功した藤原は顔を背けて、両手で口を隠してる。肩甲骨が浮き上がって、思わずその窪みにも舌を這わす。 逃げようとしてどんどん前屈みになっていく藤原を追って体が重なっていく。
「やめ……、啓介さんッ」
 耳の中に舌を入れ、耳たぶも耳介も全部舐め上げる。唇で挟んで引っ張り、逸らせた顔の向きを変えさせて覗きこむ。 さんざっぱら快感を覚えこまされた体は素直に反応してるのに、鋼鉄の理性が邪魔してぎっちりと睨みを利かせてくる。その視線がゾクゾクとオレを煽る。
「明るいところじゃ、そんなにヤッてねえもんな」
 朝陽の中でも真昼間でも、体をつなげたことはある。それでもその前には十分な前戯でもって体だけじゃなく心まで蕩けさせてから、藤原がオレを欲しがるくらいまで焦らして追いやってから、が常だったから、 今みたいにはっきり理性が勝っている状態でつまみ食い程度に悪戯を仕掛けると、往々にして鉄拳制裁が飛んでくる。だから両手を封じてんだって、今頃気付いたのか?
「はな、し……」
 全部は言わせずに再び口を塞ぐ。こぼれていくのは汗だかお湯だか雨の滴か分からない。湿った肌は手のひらにしっとりと吸い付いて、もっと触れと言わんばかりに離れない。
 脚の間で藤原の体を転回させて膝の上にのせ、正面から抱きしめた。湯の中で漂うには硬度を持ちすぎたそこを擦り合わせて腰を揺する。 頑なな藤原の口から出るのは吐く息の音だけで、なかなか声を聞かせてくれない。それどころか止めろなんて言ってくる。 オレの手を振り切った腕を首に回して必死に縋りついてきながら、そりゃないぜ。鎖骨に噛みつきながら奥に指を埋めると、すぐに抗議の声が上がる。
「い、って、啓介さんッ」
 嫌だと言われても勃ち上がりきったそこは解放を求めて主張している。こうなりゃオレも藤原も収まりがつかない。抜いてしまうしかないから、片方の手は前に移動させた。 腰を引こうとする体を抑えて前も後ろも容赦なく攻めていく。藤原がオレの肩に顔を埋めて、熱い息を吐きながらもまだ止めろなんて言ってやがる。
「……ぁ、や、だ……お湯、入って……」
「だったら、栓しとかねえとな……ッ」
 おまえの中に入っていいのはオレだけだ。
 藤原の背を壁のタイルに押し付けて脚はバスタブの縁に掛けさせて広げ、埋めた3本の指を引き抜いた代わりに一気に押し入る。 お湯が溢れるのも構わず揺さぶってると、堪え切れなくなった声が少しずつ耳に届く。途切れ途切れ聞こえるそれは、ダメとかやだとかそんなんばっか繰り返してる。
「も……熱い……」
 涙目で見上げられたらしょうがないから腰の動きを止めて、それでも藤原の中には埋めたまま抱え上げてバスタブから出る。段差の振動で深くなったり浅くなったりするのがたまらねえ。 キスをしたあと一旦引き抜いて、今度は壁に向かって立たせてまた後ろから打ち込んだ。腰を抱えて崩れ落ちそうになる体を支えて貪っていく。 中の弱いポイントを狙って攻めると無意識に声が出て、藤原の体からはどんどんと力が抜けてついに膝をついてしまった。 浴室の壁に縋りつく腕は背中よりも日に焼けていて、うっすらと腕を覆う筋肉が動くのを見ながら角度や深さを変えていく。
「啓介さん……啓介さ、……っ、うぁ」
「ん? ココ、気持ちいい?」
「あ、……こっち、い……やだ……ッ」
 流れ落ちる涙も構わず、苦しそうに振り向いて訴える。真っ赤になった顔が、やべえくらい可愛い。藤原より先に暴発しちまいそうだ。
「そん、な締めたら出ちまうって」
 バックがいやだって言うんだから仕方ねえよな。出ていこうとするオレを引きとめるみたいに締めるそこから体を離し、バスタブの縁に座って藤原の手を引く。
「自分でできる……?」
 膝を跨がせ、腰を支える。いつもならその腰をちっとも待てずに引き落とすのと同時に突き上げて埋め込むばかりで、自分から入れろなんて言ったことなかったけど。 信じられねえって顔でオレの目を見ながら、躊躇いがちに、それでももう解放を待ちわびた体が勝手に動くみたいに藤原が降りてきて、ずぶずぶと呑み込まれていく。
「あー……やべ。……藤原ん中、すっげぇ気持ちイイぜ」
 目の前に来た唇に舌を這わせ、少し厚めのそこの弾力を楽しむ。体を支えるように回した藤原の指先が背中に食い込む。動かないオレに焦れたのか片手をオレの膝に乗せて、自分から腰を振っている。 腰に添えた手をそれに合わせて一緒に動かしてやると一層深く奥を抉って、ねじ切れてしまいそうなほど締めつけられた。
「ぁ、も……イク……ッ」
 藤原の口の中にそう呟いて、目の前の体を力いっぱい抱きしめながら溜まっていたものを吐き出した。荒い息を整えながら、腕の力を緩めて顔を覗くと真っ赤になった藤原も少し伏し目がちにオレを見ていた。
「わり……先にいっちまった……」
「や、オレも……出しましたから……」
 触ってねえのに、と歪む口元からこぼれる笑みにどうしようもなく胸が苦しい。掬いあげるようにキスをして抱きしめた。

 ぬるめのシャワーで火照りすぎた体を冷まして、脱衣所に連れ出してこの前買ったまま一度も袖を通してない新しいTシャツを着せる。 かいがいしく世話を焼くオレに身を預けたまま、すみませんなんて言ってくる。謝るのは調子に乗ってやりすぎちまったオレのほうだってのに。
「歩けるか?」
 のぼせた藤原を抱きかかえてリビングのソファに寝かせる。足元で扇風機を回し、冷やしたタオルを額と首元に当てる。冷たい水を飲ませてやると喉が大きく動いて、ほっとしたように溜息をつく。
「……すみません」
「謝るのはおまえじゃないだろ」
「でも……」
「いーから、少し寝てろ。まだ顔が赤い」
 ソファの横にしゃがんで藤原を覗きこみながら指の背で赤い頬を撫でる。目を閉じると撫でてたオレの指を掴んでそこに口を寄せ、薄く笑う。 そして掴んだ手を離さないまま、あっさりと眠りに落ちていってしまった。
「この……ッ、小悪魔め」

「……じわら?」
 ぼんやりとした思考は目が覚めかけているからなのか、だんだんと意識は浮上してきて半分だけ目を開けるとすぐそこに心配そうに見下ろす啓介さんがいる。
「あ、……啓介さ……ン」
 近かった顔がさらに近付いて、ゆっくりと唇に触れ、離れる。
「起きたか? ごめんな。もう大丈夫?」
「……はい……大丈夫、平気です」
 額に置かれたタオルを取って起き上がると、手に持ったそれはもうずいぶん温くなっていた。見回して時計を見ると、午後8時前。 確か啓介さんが食べたいと言っていたこの時期限定のデザートを買いにコンビニに行って濡れて帰って来たのは5時台だった気がする。 風呂にいた時間が長かったのは想定外として、それでも結構寝てしまっていたようだ。まだ尻の間は何かが挟まったままのような感覚ではあるけれど、のぼせた体はすっかり回復している。
「飯、食える? パスタならあるぜ」
 水の入ったグラスを差し出して、それでもやっぱりまだ心配そうな顔をしてる。ソファの背もたれから体を離して無言で頷く。 受け取ったグラスを傾けて乾いた喉に水を流し込むとほんのりレモンの味がした。
 手を引かれてテーブルに着くと、啓介さんがキッチンから運んできたのは豚キムチのパスタだった。
「遠慮しねーで食えよ。あ、少しくらい辛いの平気だよな?」
「はい。じゃ、いただきます」
 予定外の運動をして、ぐっすり眠って今起きたばかりでまだ頭はぼうっとしてるくらいなのに、キムチの辛みで食欲が刺激される。
「わ、美味いっすねこれ……どこのですか?」
 冷たいパスタはあんまり食べたことがなかったけどキムチと豚肉と、キュウリの歯ごたえもなかなか。タレは……ごま油とにんにくも入ってるのかな。 材料だけ見れば自分でももしかしたら作れそうだと思うけど、売っているならそのほうが早いし買って帰りたい。たまには親父にも食わせてやるのもいいな。
「またうちで食べさせてやるよ」
「え、まさかこれ、すげー高いやつとか……?」
「ちげーし」
「うーん、でもこれ超美味いですもんね」
 多少高くてもいいからまた食べたいなあ、でも自分で作るしかねえかな、なんてぶつぶつ言ってると、もぐもぐと食べ続ける啓介さんの顔がほんの少しだけご機嫌になったような気がする。 その変化に、自分でも驚くくらいのひらめき。
「……もしかして啓介さんが作ったんですか?」
「まあオレだってこれくらいはな、けっこう評判よかったぜ」
 フフン、と鼻高々な様子が一層上機嫌に見せている。確かにコンビニで売っているものなら、啓介さんはわざわざお皿を移しかえたりしないはずだ。だけど前に料理なんてしないって言ってた気がする。 料理どころか家事ができるかどうかすら怪しい。部屋はあの有り様だし洗濯だって普通はクリーニングに出すもんだろとか言ったりしてたのにまさか料理ができるなんて。
 しかも評判良かったとかどういうことだよ……前にも誰かに作ってあげたってこと? それはちょっと……すげー嫌だ。啓介さんの一言に悶々として、いろいろなことが頭を駆け巡る。
「ばーか、何つー顔してんだ。史浩に作り方聞いたんだよ、そんでアニキにも食ってもらったんだっつの」
「……そう、ですか……」
 内心ほっとする。ばかばかしいほどに、安心している。相手が分かった途端にこんなだなんて、オレって嫌な奴だな。 自分の現金さに呆れてしまうと同時に意外なところで独占欲が強いんだって自覚してしまった。
「前にさ、手料理食べさせてくれただろ。おまえも料理できるんだからオレも負けられねえって思ってさ」
「いやそんな大したものできないし、だいたい勝負するものじゃないですよ」
「けど初めて作ったときはひどかったんだぜ。やっと段取りとかな、分かるようになってきたんだ。まだまだだけどな」
 そうは言っても、もし啓介さんが料理を本格的に始めるとなると、たぶんきっと上達するのも速い気がする。もともと持ってるセンスってやつが違うんだ。 店とかけっこう知ってるし美味しいものいっぱい食べてるだろうし。
「つーかオレ気付いたんだけどよ。こうやって自分で飯作って食うとなるとさ、その分長く居れるし誰にも邪魔されねーんだよな」
「は……?」
「ほら、店とかじゃやっぱこんなことできねえしな」
 右斜め前に座っていた啓介さんは体を乗り出して近付き、あっと言う間もなく唇が軽く触れる。一瞬の出来事に呆けて、事態を理解した頭は軽く混乱してすぐに顔に血が上ってくる。
「ちょ、食事中ですよッ」
「キムチくさいのはオレも一緒だって。気にすんな」
 そんな問題じゃなくて。咄嗟には反論できず、がっくりと脱力してしまう。そんなオレには構わずただただ上機嫌で平らげていく。
「いずれもっとすげーもん食わしてやるからよ」
「じゃ、オレももっと練習しないとですね。あんま洋食とか作らないから」
 レパートリーが増えるのは助かるし、味気のないただの日常にも啓介さんが関わってくると普段とは違うものに変わる。そういう不思議な力がこの人にはあるんだ、悔しいけど。

 食後の片づけはオレがするって言ったのに、ふたりでやったほうが速いっていう啓介さんに押され、広いキッチンに並んで立っている。 オレが皿を洗って、それを啓介さんが拭き上げて食器棚に戻す。雑に拭かないで下さいよ、なんて言いながら笑うと分かってるって言ってこめかみにキスしてくる。 啓介さんの上機嫌がオレにも伝染って、ついつい顔がニヤけてしまう。
「なんかいいなあ、こういうの」
「……そうですね」
 考えてることが似てるなんて、オレらお似合いなんですね、なんて絶対口に出しては言えないけど。こんなに甘やかされたらちょっと調子に乗ってしまう。
「啓介さん、料理ができるなんて……外では言わないで下さいよ」
「なんで?」
「なんでって……なんででもです。はい、終わり」
 他の人には啓介さんの手料理を食べさせたくないって思ってるなんて絶対秘密だし口に出しては言えないけど。心の狭い自分にまたまた呆れたりもするけど、やっぱりこの啓介さんはオレだけが知っていたい。 片づけ終了の合図を出すと、隣では啓介さんがコーヒーを淹れていた。
「ほい、コーヒー。んじゃ、オレの部屋行こうぜ」
「あ、そういえばさっきせっかく買ってきたのにデザート、食べないんですか?」
「ん? デザートの前に、食べるものあるだろ」
「……今、食べたじゃないですか」
「オレのメイン、もういっこあるじゃねえか。なあ、拓海」

 欲張りで大食漢ってことも、絶対誰にも秘密にしてくださいよ!

2012-07-26

back