雨音の中で 3

「啓介さ、ん、もう……ッ」
 部屋に着くなりベッドに組み敷かれ、熱い口づけを受けている。唇だけではなく、指先から脚の先までくまなく全身に啓介の唇が触れている。 降り続く雨のようにずっと長く、あんまり優しく触れるから、とにかく照れくさい。
「もう、なに?」
 耳に掠れた声を注がれてぞくりと肌が粟立った。痛いくらいに張りつめたそこを優しく宥めるだけでは足りなくて、早く解放してほしくて、拓海は啓介の顔を両手で捕らえて口づけた。
「あっ、朝までオレの上にいるつもりですか」
「……それもいいな」
 艶めかしい笑みを見せる啓介に脚をすり寄せれば快感を待ちわびるそこが熱源と触れ合った。反射的に腰を引くと、啓介の手が拓海の尻を掴んで引き寄せる。
「藤原のでこすって。手、使わないでこのまま」
「ん、……ンッ」
 ぬるぬると滑りながら互いの雄が絡み合う。息が上がって、間近で啓介の表情を観察する余裕などないはずが、快感を堪えるように眉を寄せた啓介から目が離せない。
 雨で冷えていた体は、もうずいぶん前に温まったはずだ。今はそれ以上に熱を持って、どろどろに溶けてしまいそうなほどの衝動が体の中に渦巻いている。
「も、終わって、……はやく」
 もどかしくて恥ずかしくて、ドキドキしすぎて心臓がもたない。
「やだよ、さっさと終わっちまったらもったいねーじゃん」
 そう言いながら拓海に覆いかぶさると、啓介は蕩けるような笑顔のままキスをせがんだ。器用に腰を合わせたまま小刻みに揺らしては、拓海の熱を煽っている。
「は、ぁ……」
 鼓動が響いてうるさいくらいだ。吐く息の熱さはどちらのものと分からない。体を震わせて限界を訴えながら、切なく顔をゆがめる啓介をじっと見つめる。
「藤原も、オレのこと好きなんだよな?」
 全裸で組み敷いておいて今さらなことを改めて問われ、拓海は真っ赤になってパクパクと口を動かすが言葉が音になって出てこない。啓介の顔は睦言を求める、色香を振りまく男そのものだ。
「……顔見ただけでココこんなになるの、啓介さんだけです……っ」
 抱きついて顔を隠し、腰をすり寄せた。肌の間で熱くはち切れそうな拓海が啓介に助けを求め、とめどなく涙を流している。 啓介は嬉しそうに微笑むと、拓海の髪に口づけた。
「藤原、今度の遠征終わったらちゃんと最後までしような」
「あっ、あ、……っ!」
 啓介の言葉を理解しようとする前に、大きな手が暴発寸前の二人の性器を包んだ。キスで唇を塞がれ、脚の先まで痺れるほどの刺激が拓海を襲う。 口端を伝う唾液もこぼれる涙も構わず、ぐっと息を詰めて啓介の手の中に欲望を吐き出した。飛び散った二人分の熱を肌で感じながら、焦らされた分だけ長引くような射精感に乱れた息がなかなか整わない。
 とろりと蕩けた眼差しを啓介に向ければ陽だまりのようなぬくもりに包まれる。
「水取ってくる」
 啓介は羽のようなキスをして起き上がり、白濁を拭って下着だけを身に着け階段を下りて行った。拓海はその動きを視線で追い、姿が見えなくなってからようやく布団を頭までかぶった。
(め、めちゃめちゃ気持ちよかった……)
 布団の中で熱い吐息を漏らし、もぞもぞと体を拭いながら啓介の視線や掠れた声、ゆっくりとした手の動きを反芻してしまう。ひとりでするよりも快感が何倍にもなっている気がする。
(……ていうか、すげー恥ずかしいこと言った気がする……ッ)
 勢いよく起き上り、真っ赤になった両頬を押さえる。いくら経験値の差があるとしても、自分ばかり余裕がなかったみたいで少し面白くない。拓海は散らかった部屋の中から下着を拾い上げた。 雨に濡れた服は啓介に玄関で脱がされたことを思い出す。乾燥機に入れると言っていたはずだが、洋服も啓介もなかなか戻ってくる気配がない。
 拓海は仕方なくトランクス一枚のままベッドを降りた。 床に広がるたくさんのものを避けながらドアに近づくと、話し声が聞こえてきた。声の主は啓介と、兄の涼介のようだ。
「げっ、涼介さん帰ってきちゃったのか?」
 口元を隠しながら呟いて、少しだけ開いたままの扉に耳を近づけた。
「ハチロクが停まっていたな。解決したのか」
「藤原の前でわざと暴露したくせによく言うぜ」
「終わりよければと言うだろう。……それにしても手が早いな」
「念願叶ってやっと、だっての。セーブしてるだけでも褒めてくれていいと思うぜ、アニキ」
「セーブ、してるのか」
「心配しなくても無茶はしてねえよ。正直、拷問に近いけどな」
  兄弟の明け透けな会話はこの際目をつぶるとして、ため息まじりの啓介の言葉に、拓海は体が熱くなった。余裕そうに見えて、案外そうでもなかったのか。そう思うと胸が勝手にキュンとなった。
「暴走するなよ、啓介」
「分かってるよ。アニキには感謝してる」
「二人にとってベストな選択をしたつもりだ」
 そう言って涼介が薄く笑ったのが分かった。
 涼介は、拓海が啓介を受け入れると踏んでいたのか。それとも拓海が自分の気持ちに気づく前から拓海の気持ちが分かっていたと言うのだろうか。
 誰が見ているわけでもないのに、赤い顔を隠そうと手のひらで覆った。 そこから伝わる熱とうるさいくらいに感じる鼓動に拓海はますます恥ずかしくなった。何より、啓介が心を乱して走りにまで影響が出ていた恋煩いの相手が、本当に自分だったのだと今、拓海はやっと実感がわいてきた。
 第三者の、何より啓介の一番の理解者である涼介の言葉だからだろうか。
 立ち尽くしていると、ふいに目の前のドアが開いた。
「あっ」
「藤原?」
 少しだけ背の高い啓介を見上げている拓海の顔は、自分でも分かるほどに赤い。片手にペットボトル、片手に服を抱えた啓介はそのまま足でドアを閉めると拓海をぎゅっと抱きしめた。頬に裸の胸が強く押し当てられている。 拓海は啓介の背中にそっと腕を回した。耳を澄ませば啓介の鼓動が聞こえてくる。さっきよりもずっと速いような気がする。
「今の聞いてたのかよ」
「あ、あの立ち聞きするつもりじゃ……」
「ダセーな、オレ」
 拓海はかける言葉が見つからず、ただぎゅっと啓介の体を抱きしめた。少し速くて規則正しくリズムを刻む音を目を閉じて聞いている。啓介はしばらくそのままでいたあと、拓海の耳たぶを唇で挟んだ。 ペロリと舐めて、フッと息を吹き込んでくる。
「ふ、……ぁっ……ッ」
「好きだって、もう伝えたっけ」
「何度でも言ってくれていいですよ」
 なーんちゃって、と続けようとして、啓介の言葉に遮られた。
「藤原は言ってくれねーの?」
「い、言ってませんでしたっけ」
「オレ、全然困んねーんだけどなぁ」
 啓介が小さな笑みを浮かべ、拓海の顔を覗きこむ。 その笑顔に駐車場でのやり取りを思い出し、間近で見る楽しげな表情に胸が鳴って言葉が詰まった。あちこちに視線を漂わせながら啓介を見ると、かすかに劣情を滲ませた目で拓海を追っている。 だけどおそらく、拓海の言葉を期待してはいないらしいのが見て取れた。下唇を噛んでぐっと拳を握り込み、啓介を見上げた。
「オレは啓介さんが好きです。だから、オレと付き合って、……ください」
 口にしている最中から裸で抱き合った後の言葉ではなかったかなと考えもしたが、意表を突かれたような啓介の表情を見れば口角が自然と上がった。なのに。
「はい、喜んで~」
「……って、居酒屋かよ……く、ふふっ」
 思いがけない啓介の回答に、せっかくのしてやったりな気分が台無しになってしまった。茶化した言い方なのに、だけど不思議と腹も立たない。
「もう、オレ真剣に言ったのに。っていうか、啓介さんにバイトってなんか似合わねえ」
 拓海は照れくささも忘れて、啓介の腕の中でくすくすと肩を揺らした。ふと目の前に影ができて見上げると、驚きの声を出す間もなく唇がふさがれた。
「ん、……っン、……ッ」
 キスをされながら、啓介が器用に脚を進めるのがわかる。床に散らばった雑誌に何度も足をぶつけながらスプリングの効いたベッドへとなだれ込んだ。 体が弾んで唇が離れても、またすぐさま熱い唇が重なった。
「藤原」
 ようやく解放された唇は甘く痺れて、真剣な眼差しの啓介に釘付けになる。どれくらいの時間見つめ合っただろうか。降りやまない雨の音が二人を包んだ。 紅潮した頬はさらに血が巡って赤くなり、まばたきの間も惜しいほどに目が離せない。
「大事にする。ずっと」
 啓介の言葉は、雷に打たれたように強烈に響いた。親指が拓海の髪を優しく撫でていく。 指の動きを追うと、視界の端には乾燥を終えた拓海のTシャツが転がっている。あとは着替えを済ませて帰るだけだと思うと無性に啓介と一緒にいたくなった。
「啓介さん」
 拓海はやっとの思いでそれだけを口にすると、啓介の胸に手のひらをあてた。それを合図に離れていこうとした啓介の首に、腕を回して引きとめた。大胆なことをしている自覚はある。 下手をすれば気まずい空気になるかもしれない不安も拭いきれない。
「藤原?」
「……セーブ、しなくて、いいです」
「え……?」
 それ以上はとても言えず、気持ちが伝わればいいとただ夢中で口づけた。

 あの雨の日から、数回のバトルをこなした。危うい場面は何度もあったが、奇跡的な勝ちを拾って今夜の遠征は終了した。
 ペットボトルの水を流し込みながら愛車に近づくと、フロントガラスのワイパーに何かが挟まっているのに気が付いた。 覗きこむと、それは行ったこともない喫茶店の名前が入ったマッチ箱だった。
 拓海はわずかに頬を染めながら少しだけ辺りを見渡して、その小さな箱を手に取った。マッチ棒が入っている中箱の裏面に、啓介からの短いメッセージ。
──いつもの場所で待ってる──
 あの日以来、啓介は好んでこの方法を使った。二人だけの秘密を抱えた小箱は逢瀬の回数とともに少しずつ増えている。高鳴る鼓動を鎮めつつ、拓海はマッチ箱をジーンズの後ろポケットに忍ばせた。

2014-10-25

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