芳香
「何を怒ってんですか、いつまでも」
藤原が唇を尖がらせて不満をぶつけてくる。
だけど、そりゃ不機嫌にもなるってもんだろう。心当たりもねえって態度が余計に腹立つ!
「胸に手ぇ当てて考えろ」
「は? オレのせいっていうんですか?」
ずいっと詰め寄ってきて、どアップ。こんなときじゃないなら押し倒したいくらいだ。なのにオレが顔をそらせばこれ見よがしにでっかいため息なんかつきやがって。
「啓介さん意味わかんねー」
さらにツンと唇が尖った。赤いそこに思わず釘付けになる。藤原はそんなことまったく気づいてすらいない。
くそう。オレばっか夢中でなんか悔しい。
でも今日ばっかりは下手に出て機嫌取ったりする気になんねー。たとえすぐそばにある藤原のベッドが目に入ったって、どんなにキスしたくってもだ!
「……せっかく会えたってのに」
今にも消えそうな声で呟いた藤原の言葉は、静かすぎる部屋には十分なインパクトを持っていた。体育座りで膝の上に頭乗っけてうつむくなんて、オレの前でよくもできたな。絶対オレのこと試してんだろ。
「おっ、おまえ」
声を上げればちらりと上目で見てきやがって。今度は叫びだしそうな欲望を押さえる方に必死だ。藤原は全然悪びれる様子もなくて逆にオレが勝手に怒ってるみたいな目で咎めてくる。
本当の本当にやましいことなんて何もないのかよ? オレの早とちりでいいってのか?
いまいち納得はできないが、真相を確かめるべくごくりと喉を鳴らして、オレは藤原の正面にしゃがみ込んだ。
「どこで風呂入ってきたんだよ」
「……はぁ?」
これでもまだ分かんねーってのか? すっげーとぼけた顔してやがる。
「だから、どこのどいつとホテル行ったのかって言ってんだよ!」
吐き捨てるみたいに叫んだら、藤原は極寒の空気をまとって白けた目を向けてきた。
ナンだよ。オレの心だってブリザード吹き荒れてハリケーン真っ只中みたいに大荒れ、大寒波だぜ?
「何の話してるんですか」
藤原は今日一番の、盛大なため息をついてめんどくさそうに切り出した。
だけどまっすぐオレの真意を探ろうと見上げてくるから、オレは誘惑に抗えず藤原を抱き寄せた。
「藤原のともオレのとも違う匂いがすんだもん」
髪に鼻先を埋めて、寄りかかる体をぎゅっと抱きしめる。
いつもと全然違う。人工的で甘ったるい林檎みたいな香りがする。こんなのはオレの好きな藤原の匂いじゃない。
「そんなことまで分かるんですか?」
「オレの嗅覚なめんなよ」
嗅覚だけじゃねーよ。藤原に関しちゃオレの五感のすべてが研ぎ澄まされてんだよ。
藤原はふふって小さく笑って、少しだけオレとの距離を取った。藤原は自分で髪に指を差し入れながら、何回かまばたきを繰り返す。
「近所のおばさんにもらったんですよ。長野旅行のお土産だって」
「……え?」
「商店街にあるでしょ、そこの果物屋さんです」
「は?」
「懸賞だかくじ引きだかに当たったらしくて。うちもちょうどシャンプー切れそうだったし」
「……懸、賞……?」
「いつも同じの使ってるだけで親父もオレも別にこだわりなんてないんですよ」
すらすらとこぼれる藤原の言葉に、オレはどんどん力が抜けていく。藤原がこの手の嘘なんかつくはずがない。オレはついには畳の上に大の字に寝転んだ。
「なんだ、そっか、そーかよ」
乾いた笑いがもれて、安堵のため息をつく。
すぐにソッチ方面に疑っちまうなんて、オレとしたことが。ちょっと考えれば藤原が浮気とか二股なんてそんな面倒なことするはずないんだ。
「面倒だからしないんじゃないですけど」
声に出ていたらしいオレの思考に、藤原が今度こそ不機嫌になった。もういいですなんてそっぽ向く藤原に、オレは慌てて起き上った。
「ごめんごめんっ、オレが悪かった。お前を好きすぎるオレが悪ぃ」
またいつものパターンで、宥めすかして何度も甘い台詞を囁いて、どうにか藤原の機嫌を取ってようやく許されるキス。それはいつもの藤原の味だった。
林檎みたいに赤くなった藤原を腕の中に閉じ込めて、匂いを移すように肌を擦りつける。
「オレの匂いにしてもいい……よな?」
藤原は何も言わないけど、しょうがないですねって顔で笑った。
あれ、けっこう機嫌治ってる? あんま怒ってない?
「いいけど、でも……」
と思ったけどそうでもなかった。藤原の微笑みはアップルパイみたいに甘くない。それどころか、バトル直前のような鋭さを持っている。
「オレを疑った報いは受けてもらいますよ」
慣れない藤原のリードは、オレにとっちゃすげぇ甘い前戯で、めちゃくちゃ求められてるって感じで、たまにはこんな日があってもいいかな、なんて実はちょっとクセになってきてる。
オレとは違って好き好き言ってくれない藤原の数少ない愛情表現と思えばどれだけだって耐えてやろうじゃねえかって気になる。
結局藤原にオレの匂いを移すまで、散々辛抱させられて、とにかく限界まで焦らされて、理性がぶっ飛びそうになるまで酷く切ない思いをさせられた。
疑った報いだっつってこれだけ焦らされるってことはつまり、藤原はそれだけオレを愛してるってことなんだろ?
性懲りもなくニヤついた顔で藤原を見てたら、眉根を寄せてもう限界なんて囁いた。その表情でオレの方がノックアウト寸前だ。
主導権をバトンタッチで受け取って、すくいあげるようにキスをした。
「夢中なのはお互いさまか」
きつく抱き合い、藤原とオレの匂いが溶けて混ざってひとつになった。
ジャムみたいに蕩けて甘い笑顔を見下ろしながら、伸びてくる手に指を絡めた。
2014-11-07
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