SHAKE IT!!
「ドライブ行こうぜ」
そう言って朝早くから藤原豆腐店にやってきた啓介は、その両手に大きな球体を下げている。程よく深い緑色で、独特の黒い縞が走っている。
「毎年贈られてくるんだけどさ、家じゃ食べきれねえしお裾分け」
何ですかそれはと言いたげな拓海の気持ちを正しく察した啓介は笑みを浮かべながらそう言った。
拓海は行儀よく両手を差し出して受け取り、啓介がまだ持っているもう一つはどういうことかと視線を向ける。
「親父さんと藤原の分、いっこずつ」
「いや、ありがたいけどそんなに大きいの食べきれないっすよ」
「凍らせてアイスにして食っても美味いぜ。ゼリーとかにもできるらしいし」
笑顔でハイと渡され、落としてはいけないと咄嗟に手を伸ばしてしまった拓海はスイカを両脇に抱えながら啓介に家に上がってくれと誘った。
「麦茶くらいしかないですけど」
「いや、お構いなく」
台所の冷蔵庫には入らないと踏んだのか、拓海は躊躇いなく店の冷蔵庫のガラス戸を開けている。居間の方から文太も顔を出し、啓介と二言三言交わしている。
「藤原、明日仕事も配達も休みなんだって?」
嬉々として声をかけてくる啓介に、拓海はこっそりと小さなため息をついた。
「ええと、まぁ、そうです」
「何だよ、言えよそういうことはよ」
取引先のホテルが臨時清掃を行うとかで、数日前に聞いたことだが啓介には告げていなかった。それを文太はあっさりと暴露してしまったのだ。
余計なことをと文太を睨み付けるとそんな視線もどこ吹く風とまた居間へと戻って行った。
「じゃあ今日はちょっと遠出できるな」
嬉しそうな笑顔につられてそうですねと答えてしまったのは決して惚れた弱みではない。
出かけるときはほとんど啓介まかせだ。行先も、時間も、何もかも。
「わざわざこれを食べるために来たんですか? 埼玉のこんな山奥まで?」
食後のコーヒーを啜る啓介に、拓海は率直な疑問を投げかけた。
「うん」
「うん、って」
「人里離れた辺鄙な場所でやってるステーキハウスって気になるじゃん」
高速を降りてさらに1時間ほど掛けて登ってきた山は、道が細くガードレールが怪しい形に変形している場所もあった。
それでも他府県のナンバープレートがついた車が小さな駐車場に入りきれないほどいて、店内も家族連れやカップルでずいぶんにぎわっている。
「ここまで来た甲斐はあっただろ?」
「確かにめちゃめちゃ美味かったです」
「ならよかった」
上機嫌に笑う啓介に不覚にも胸がときめき、拓海は赤い顔をごまかすようにカップを手に取った。
「秋に来たらすげーきれいなんだろうなぁここ」
幸運にも眺めのいい窓辺の席に案内された。生い茂る木々やその隙間から見える山間の風景は切り取って絵にして飾っておきたいほど見事だった。
「そうですね。でもオレ今のこの緑も結構好きです」
とりどりの緑色と空の青が混ざり調和してひとつの景色になっている。眩しい太陽はいい具合に隠され、時折葉の影から鳥が飛び立つ。真夏の盛りでもこの空間だけが涼しげだ。
「人途切れねーみたいだし、そろそろ出るか」
啓介の一言に頷き、腰を上げた。
店から離れるにつれ、車の数はどんどんと減っていく。助手席で頬杖をついて車窓を流れる緑豊かな景色を眺めている。満腹のせいかそれとも安心感のある運転のおかげか、心地良いリズムに揺られて気持ちがいい。
拓海はこっそりとあくびを噛み殺す。付き合い始めのころは多少の遠慮もあってそうそうできなかったことも、今ではずいぶん好き勝手にできるようになったと自覚している。
眠気をごまかそうと横目で啓介を盗み見る。まっすぐ前を見るその横顔は穏やかだ。
「何かこの峠、どっかに似てる気がするんだけど思い出せねえ。おまえどう思う?」
「えっ」
ちらりと流し見られて思わず座り直す。
うっかり見惚れているのがばれたのかと焦ってしまった。拓海は小さく咳払いをし、前方へと視線を移した。
車道の狭さやコーナーのリズム、勾配のきつさ。遠征で行ったいろいろな場所に思いを馳せる。自分で運転するのとは感覚が違うが、ふと「正丸峠」が思い浮かんだ。
「あー、あそこか。オレそこではバトルで走ってねえからかなぁ」
「どこも同じ道じゃないってのはおもしろいですね」
「そこなんだよな。初めての場所をどうやって攻略しようか考えるとワクワクする」
「そうですね」
「おまえもやっと峠の楽しさが分かってきたかよ」
「……Dでの活動のおかげですよ」
小声で言いながら、照れくさくなって顔をそむけた。啓介は拓海の頭をひと撫ですると、右足に力を入れた。
「なーんかさっきから煽ってくるのいるし、ちょっと付き合ってやるか」
まだ日は高いとはいえ対向車がほとんどない峠で、売られた喧嘩を買わずにおとなしく走っていることが我慢できないようだ。
「無茶しないでくださいよ」
楽しそうな顔を前にそういうのが精いっぱいだった。
ぐんぐんとスピードを上げ、車の性能を活かしたフットワークでコーナーを駆け抜けていく。バトル本番で走っている姿を見ることが少ないせいか、拓海は内心高揚していた。
後ろの車も負けじと追っては来るが正直なところ相手にならないだろう。早々に見切りをつけ、啓介のドラテクだけを熱心に見ていた。
「んだよ張り合いねぇなー」
いくつかのコーナーを抜ければもう後続車はいなかった。
これでも抑え気味に走ってやったのにと不満気な啓介に、拓海は苦笑いをこぼした。
少し先に対向車を見つけた啓介は、それでもスピードを落とさずドリフトの体勢に入った。
片側1車線だけのドリフトですれ違う。少しの乱れもないFDと対照的な対向車線のランエボが動揺しているのが手に取るように見えて可笑しかった。
山頂の展望台らしき開かれた場所に車が停まる。だが啓介は車を降りようとはせず、シフトノブに添えていた手を拓海の太腿に乗せた。親指がジーンズの厚い生地越しにゆっくりと肌を撫でている。
「ちょっと、啓介さん」
「本気出すまでもなかったなー。つまんねぇし全然物足りねえ」
それとこれとどう関係があるというのか。拓海は啓介の手をぴしゃりと叩いた。
「いて! 殴ることねぇじゃん」
啓介は名残惜しそうに手をひっこめ、電波の乱れたラジオのチューニングを合わせている。
他愛もない会話の最中、背後から排気音が数台分聞こえてきた。
振り向くと先ほどすれ違ったランエボを先頭に走り屋と呼ばれる改造を施したらしき車が停まったところだった。ランエボの運転席から男が降りて、啓介のFDへと近づいてきた。
拓海は僅かに身構えたが啓介は素知らぬ顔でまだラジオの調整に夢中だ。
「おいおい、オニーサン。なに危ない運転してくれちゃってんだよ」
窓ガラスをノックし、車内を覗いてくる男に啓介が一瞥をくれた。
めんどくさそうにため息をつき、車外へと降り立つ。
「危ないって何が?」
背の高さに圧倒されたように後ずさったランエボのドライバーが、それでもなけなしの勇気を振り絞るような震えた声で吠えている。
「しらばっくれんのかッ! あんなとこでドリフトなんかしやがって」
「はぁ、けど十分スペースあっただろ?」
「なっ、生意気な! オレが避けてやったから大事にならずに済んだものを」
憤慨する男に、啓介は再度ため息をついた。
「いいぜ、そんなに勝負したいんだったら受けてやる。おまえの顔見てたらなんかむかつくやつ思い出してきた」
成り行きを見守っていた拓海もその一言に思い当たる節があった。そう言われればどことなく顔や話し方が似ている気がする。埼玉遠征でバトルした、卑怯な手を使ってきたあの男たちの一人に。
「お、おまえの思い出話になんか興味ねーんだよ。チームに話つけてくるからちょっと待ってろッ」
男は啓介を指さしながら車の方へ戻っていく。
啓介は視線を外さずにその一連の動きを睨み付けていて、男は精いっぱいの虚勢を張っているのだろうFDから少し離れたところからは小走りになった。
「啓介さん」
「心配ねーよ。たぶん運転も話にならねえレベルだろ」
軽く肩を回し、運転席のドアを開ける。拓海も無言のままで助手席のドアを開けた。
「お、おいっ、逃げるのかーっ」
遠くからそんな台詞が飛んできた。途端、啓介のこめかみに青筋が浮かんだ。
「ちょ、啓介さん手は出したらダメですよっ」
「チッ!」
盛大な舌打ちをした啓介は親指の仕草だけでランエボの男に向かってさっさと準備しろと命令した。
「藤原、せっかくのデートなのにごめんな」
これから始まるバトルは早々に決着をつけるつもりらしく、小声でそんなことを言う。
拓海は振り返って相手チームの様子をうかがう。頭数で言えば不穏な空気ではあるが、走り出してしまえばきっと追いつけないだろう。
「あの、啓介さん」
緊張感を漂わせない啓介をじっと見つめる。些細なバトルでも手を抜いた啓介は見たくないと思った。走ることが楽しいと教えてくれた啓介だからこそ、どんな理由であれつまらなそうに走ってほしくない。
「本気のやつ、見たいです」
「え?」
「相手がどうこうじゃなくて、啓介さんの本気、見てみたいです」
「……。わかった」
少しの沈黙のあと啓介が不敵に笑って車に乗り込み、拓海も続いた。
FDが咆哮を上げ、ランエボを急かす。幾ばくか青ざめた顔をしながら乗り込んだドライバーを周囲が囃し立てている。チームのメンバーらしきひとりが運転席の啓介へ駆け寄り、バトルの方式は先行後追いだと告げた。
迷わす先行を選んだ啓介はスタートラインへと移動する。ぴたりと背後についたランエボをミラー越しに確認してから、アクセルを踏み、最初のコーナーを過ぎてから一気にトップスピードへ昇りつめ、ランエボを突き放しにかかる。
ここが初めての場所だとか碌に練習走行もしていないことなど微塵も感じさせず、ただ疾風のように駆けていく。
FDとドライバーが一体になっているのがありありと伝わってくる。
いかに啓介がこの車を乗りこなしているのか、拓海は身を以て感じていた。プラクティスですれ違うだけでは決して知ることのできない感覚だ。目には見えない気迫のようなものがビリビリと肌を刺す。
先を見据える目は真剣そのものだ。まるでコクピットには啓介以外誰も存在していないような集中力で、もはや後方のランエボは豆粒ほどの大きさにしか見えなくなっていた。
アクセルワークもコントロールも、拓海とバトルした頃のものとは格段に違っている。拓海は知らず生唾を飲み込み、啓介から目が離せなくなっていった。
啓介の予言通りバトルの相手としてまるでお話にならないランエボをぶっちぎり、FDは早々に麓まで下りてきていた。一息つくように路肩に寄せてハザードをたいている。
辺りに人の気配はなく、数少ない外灯と数百メートル先にコンビニらしき店の灯りだけが見えている。
「藤原、晩飯どうす……る」
肩をつかまれた拓海はひどく体を揺らした。うつむいた顔には熱が集まっていて、とても見せられる状態ではない。隠し通せる相手ではないと分かっていても、隠さずにはいられない。
「何でおまえがそうなってんだよ」
「何でって、……だって」
以前、イツキと観戦に行った妙義山でもそうだった。啓介の走りは拓海に火を点ける。体がムズムズして、じっとしていられなくなるのだ。
膝を擦り合わせ、肩をつかむ啓介の手をぎゅっと握った。
「あーもう、殴るなよ藤原」
そう言い置いて啓介は顔を寄せてきた。瞬きの間もなく唇は塞がれ、熱く濡れた舌が入り込んでくる。
「ふ、ぁ……ッ」
両頬に感じる熱い手のひらから、啓介の想いが伝わってくる。同じように返したくて、懸命にキスに応えることで伝えたかった。
酸欠になりかけた頃ようやく解放され、滲む視界には啓介の真剣なまなざしが浮かんだ。
「家まで我慢できっかな」
表情とは裏腹の呟きに、拓海は思わず笑顔になった。
「親父明日までいないんです。だからスイカ食うの、啓介さんも手伝ってくれないと」
触れているだけの唇を押し付けて、ちらりと見上げた。
啓介は一瞬言葉に詰まり、赤くなった顔を隠すように拓海の肩に頭を乗せて大きく息を吐いた。拓海の意図はきっちりと伝わったようだった。
「もっと近場にしとけばよかったぜ」
啓介は悔しそうに言いながら再びアクセルを踏みこんだ。
2016-07-27
サイト4周年記念のリクエスト。「クルマで初めての場所にデートに来たけど、途中で見えた山が気になってやっぱりそこでも峠に行ってしまう啓拓」でした。リクありがとうございました! back