静かな夜 2

 啓介の手で隅から隅まできれいに洗われたあと、今はふたりしてベッドの上で脚を投げ出している。
「それで? クリスマスは仕事だって?」
「あ、はい」
 ほうっと一息ついているところに突然切り出され、思わず背筋を伸ばした。 人の話を聞いていないようでしっかり聞いていて、それでなおかつ言葉を遮るようなキスをしていたのかと思うと耳が熱い。
 まだ学生の彼と、年下でも社会人の自分とでは生活のリズムもスタイルも何もかも違っている。共通しているのは車を走らせるのが好きだということくらいで。
「啓介さんも予定とかあるだろうし早めに言っておいたほうがいいと思って」
 言うより早く肌を重ね合ったあとでは説得力に欠けるかもしれないが。
「そっか」
「すいません……」
「謝ることじゃねえよ」
 それだけ答えると、啓介はうつむいた拓海を背中から抱きしめ、まだ湿っている髪をタオルで拭き始めた。時折拓海の首筋にキスを落としている。
 もう少し食い下がられたり、詰め寄られたりするのかと思っていたが意外にもあっさり引き下がられたのは拍子抜けだった。イブは絶対に会いたいなんて言われても困るが、むしろそのあっさり加減に不安さえ覚えるくらいだ。 至れり尽くせりの待遇にこそばゆさを感じつつも、ついには鼻歌まで聞こえてきて、こんな風に甘やかされていていいのかという疑問も浮かぶ。
「こんなん、楽しいんですか?」
「うん。おまえを甘やかすの好き」
 あとは自分でやるというつもりで言ったのに、啓介の即答にそうですかと引き下がるしかなかった。次男として育った啓介は甘やかされることはあっても誰かを甘やかすことが少なかったのだと笑いながら言った。 照れくささは消せないけれど、啓介が楽しいならいいかと拓海はされるままじっと膝を抱えて目を閉じた。
「おまえ耳まで真っ赤だぞ」
「う、うるさいです」
 耳に舌を這わせながらからかわれ、肩を竦めて逃げるとすかさず追ってきた啓介に組み敷かれた。
 何も言わない啓介に不満があるわけではない。だけどどこか啓介らしくないとも思う。伸ばした手で笑みが残る頬に触れてみる。
「……もっと……なんか言われると思ってました」
「オレはそんなちっせー男じゃねえ」
 そう言いながら口を尖らせる啓介に笑顔で答え、首に腕を回して抱き寄せた。ちゅっ、ちゅっと音を立てて拓海の首筋をくすぐる啓介の耳を食むと、啓介は少しの沈黙の後顔を上げた。
「……ていうのは嘘で」
「えっ?」
「そりゃたしかにクリスマスにかこつけてヤラシイことしたりエロイことしたりあれやこれやしたいけどさ」
「それ、ぜんぶ同じじゃないですか」
 赤い顔のまま呟く拓海の言葉に声を上げて笑い、啓介は肩を揺らしながら拓海の体を抱きしめてくる。ぎゅうぎゅうと脚まで絡めて全身をがっちりホールドされ、なすがままになっている。
「はー……ひさびさに笑った。藤原、マジでさ、気にすんなよ」
「あの、ありがとうございます」
 きっと自分が想像しているほどに平気ではないと思う。だけど拓海は、できればそうであってほしいと、啓介の笑顔を見ながら願った。
「やらしーことはクリスマスじゃなくてもできるんだしさ」
「…………」
「そこはそうですね、だろうが。拗ねるぞ」
 その言葉に、今度は拓海が声を上げて笑った。

 多忙を極めるこの時期は、いくら若いと言えど体はへとへとに疲れ果ててしまう。拓海は一人、トラックのキャビンで盛大にため息をついた。運転席で伝票を確認しているところにメールの着信を知らせる音が鳴る。 確かめると啓介からで本文には『頑張れ!』とだけあった。添付された写真を確認すればそこにはカラオケらしき場所でマイク片手にサンタ帽を被ったケンタと史浩、松本と宮口まで映っている。 男所帯のむさ苦しさよりは哀愁を漂わせる背中がちらほらと見え、手に持ったタンバリンがさらに物悲しさを強調している。
「ふっ……、なにやってんだよ」
 束の間の休息にぽつりと呟いて携帯をポケットに差し込むと、目の前にそびえ立つ、煌めくイルミネーションに彩られた商業施設に荷物を運びこむ段取りに入った。
 店内はクリスマスのせいだろう大勢の客で賑わい、ごった返している。 普段のルートはなんとか配り終えたものの、急遽応援に入ることになったこの場所は何度か啓介と訪れたことがあった。まだ遠くない記憶に思いを馳せながら人の波をかきわけ、誰にもぶつけないように辺りに気を配りながら搬入作業に没頭していく。
 トラックに戻る途中の歩道で老婦人に道を聞かれたりもして、すべての作業が終わったのは深夜に近いほどの時間だった。棒のようになった足を引きずって家に帰ると、見覚えのある派手なボディカラーの車が停まっている。 しんと静まり返っていて、指先で触れてみるとボンネットはすっかり冷えているようだった。ドアから店の中へと入り、自分と父親のものではない靴も確認できた。 どすどすと足音を鳴らして部屋に入ると、バツが悪そうな笑顔を見せる啓介がいた。
「おかえり」
「……なにやってるんですか」
 はあ、と大きくため息をついてそのまま疲れを取るべく風呂場へと向かう。ひとまず啓介のことは引き続き文太に任せることにする。

 風呂から上がり、冷蔵庫を覗くと見覚えのない箱があった。もしかしなくても啓介が手土産にと買ってきたであろうケーキだ。拓海は小さくため息をついて父親への挨拶もそこそこにコートと荷物を持って自室へ向かうと、啓介は文太と二言三言交わして拓海の後をついてくる。
「わ、悪いな、疲れてるとこ」
 拓海からは少しばかり距離を取り、ぼりぼりと頭をかいてうつむいている。
「みんなで集まってたんじゃないんですか?」
 そんなつもりはないのに、口調がきつくなってしまう。言ってしまってすぐに後悔が過ぎる。 だけど会えないと予め伝えていたのに、こんな展開は反則だ。
「……いきなり来て悪かったよ。そんな迷惑だったか?」
 どんな反応を示せばいいのか分からずに立ち尽くしている拓海に、啓介がぼそりと呟いた。 バッグを肩から下ろし、コートも床に放り投げる。その音に顔を上げた啓介の胸に勢いよく飛び込んだ。
「そんなわけないじゃないですか」
 啓介の体を抱きしめる腕に力がこめられていく。拓海の体を受け止めた啓介も、ほっとしたように両手を回してきつく抱きしめ返した。
「わざわざケーキまで買って、オレなにも……ッ」
 ケーキどころか、プレゼントだって用意していないのに。
 啓介は何も言わず背中をさすり、髪を撫で、より一層強く拓海の体を抱きしめる。部屋の入口辺りで抱き合ったまま、無言の時間が過ぎていく。痛いくらいの力を感じながら鼻孔をくすぐる啓介の匂いを胸いっぱいに吸い込み、やっと一息つけた気がする。
 穏やかに鼓動が重なり、うっかりすればそのぬくもりで瞼が閉じてしまいそうになった頃、啓介は僅かに身じろぎ、拓海の耳朶に触れた。
「あ……」
 ただ触れるだけの、ひどく優しいキスだった。
 拓海は一瞬戸惑って、けれど腰に回された手の温度に誘われるようにゆっくりと目を閉じ、唇を合わせた。
「…………ん」
 ただ触れていただけの啓介の唇が拓海のそれを食んで、少しずつ口づけが深くなっていく。そのまま啓介の首に腕を回し、薄く開いた唇を舌でつついた。
「は、……っ」
 熱く濡れた口腔内に招かれ、絡みつく舌に鼻から甘い息が抜けていく。膝が崩れ落ちないようにしがみつくと、啓介は拓海の背を支えながら足を踏み出した。なだれ込むように倒れたベッドの上で、互いの唇を貪る。 キスが深くなるたびに、疲労困憊な体と心が癒されていくようだった。
「ぁ、……はぁ、……も、戻らなくていいんですか」
 啓介のパーカーを握りしめながら鼻先を擦り合わせると、啓介は口端を上げて拓海の前髪を梳いた。
「今度こそ拗ねるぞ、マジで」
「……はははっ、んむぅ」
 やっと笑顔になった拓海を勢いよく抱きしめてくる。啓介の腕の中に閉じ込められて息苦しさに背中をタップすると渋々だろう、少しだけ力を弱めてくれた。
「ぶはっ!」
 大げさに息を吸い込んで顔を反らせると、啓介は拓海の頬や耳、首筋に唇を押しあててくる。大人しく口づけを受けていると啓介が吐息で囁いた。
「働いてるおまえ、わりとカッコよかったぜ」
「……え」
 拓海は啓介の顔を覗きこみ、まじまじと見つめた。啓介は堪え切れずにくっと喉を鳴らして破顔した。
「ばーさんに道聞かれてたろ。見てたぜ」
「え、え、ええッ?」
 どうやら最後に回ったあの商業施設の近所にあるカラオケボックスにいて、二次会に行こうかと店を出たところで偶然にもその瞬間を目撃されていたらしい。
「うわ、なんかすげー恥ずかしい」
 覆いかぶさる啓介を押し退けて起き上がると、赤い顔のまま振り返った。啓介は枕に半分顔を埋めてまだクスクスと笑っている。何も悪いことをしたわけでもないのに、照れくさくて仕方ない。
「着替え、オレのでいいですよねっ」
「あ、オレそろそろ帰るわ」
「えっ」
「ん?」
「いや、え、……っと」
 このまま朝まで一緒なんだとすっかりそう思ってしまっていた。 じわじわと赤くなる顔に啓介があっと気付いたような表情を見せ、次いで半分困ったような、嬉しそうな笑顔になった。
「なに、居ていいのかよ?」
「いい、っつーか」
 せっかく来てくれたのに追い返すのも忍びない。 だからと言って朝まで一緒にいてほしいと告げるのはなかなか難しい。前髪をくしゃくしゃとかき混ぜ、横目で啓介を見た。 啓介は立ち上がって、ゆっくりと拓海の前まで足を進める。その姿を正視できないまま、脚の横で拳を握り込んだ。気力も体力もまあまあ使い果たした状態で、許されるなら今すぐにでも寝てしまいたいくらいだ。だけどできれば啓介にはここにいてほしい。
「オ、オレ明日も仕事だしたぶんすぐ寝ちまうんでその……なにもできないけど」
「人をセックス目的に来たみたいに言うなよ」
「え、だって……啓介さんいつも、あ、すみません、けどやっぱそのつもり、かなっていうかだからその」
 何言ってるんだろ、と焦りながら拓海は自分に言い聞かせるような言い訳がましい言葉を並べる。啓介は無言のまま拓海を抱き寄せ、ポンポンと頭を撫でた。
「どうして欲しいのか、言ってみろよ」
「けど」
「言ったろ? 藤原を甘やかすの好きだって」
 拓海はおずおずと背中に腕を回し、肩口に額を押し付けて呟く。
「オレ、我儘ですね」
「どこが。ぜんぜん足りねえくらいだけど?」
 大きな手に両頬を挟まれ視線が絡み合う。意志の強そうな切れ長の目を見つめ返して、背中に回した手に力を込める。 近づいてくる少し薄い唇に視線を移すと啓介の手が拓海の頸部に添えられた。拓海は顎を上げ、自ら啓介に口づけた。
「……啓介さんって見かけによらず優しいんですね」
「おまえ、こんなできたカレシ捕まえてひでー言い草だな」
「好きですよ」
「は?」
「すげー好き」
 言いながら顔を隠すように啓介に抱きついた。 予想外の告白に呆気に取られていた啓介が拓海の言葉を理解するまで、ぎゅっと目を閉じて高まっていく頬の熱を感じていた。それからもう一度言えよと肩を掴んでくる啓介に引き剥がされないように全力でしがみついて、もつれ合いながら再びベッドに倒れ込んだ。
「おい、藤原。ずりーぞ今のは。完全に油断してた」
「なんの話ですか」
「なあもう一回言ってくれよ」
 ベッドの上で啓介を組み敷くような格好になっている。拓海は啓介の胸元に顔を埋めて頑なに動かない。
「クリスマスプレゼントってことでいいからさぁ」
 それを言われると辛いものがある。ぐっとこらえ聞こえないふりを決め込んで、その間も啓介はゆさゆさと拓海の体を揺さぶりながらねだり続ける。
「いつまでも照れてねーで言ってくれよ。じゃねーとオレなにするか分からねえぞ」
 いやらしい手つきで背中をまさぐられると、冗談に聞こえないから困る。 まさかとは思うものの明日のことを思えば不安要素は取り除いておくしかない。それでも言い淀んでいるとスウェットパンツのウエストから指を差し入れられた。
「わ、分かりましたよ」
 たまりかねて顔を上げ、啓介の唇を塞いだ。 何度も角度を変え、深く啓介の唇を貪っていく。拓海の舌に応えながら啓介は器用に体を入れ替えて拓海を組み敷くと、手を握り指先を絡めて頭の横に縫いとめた。
「ごまかそうったって無駄だぜ」
 啓介の真剣な瞳が拓海を射抜く。締めつけられる胸の痛みに息が詰まった。頬は熱く、鼓動が激しくなっていく。たまらず顔を背けて目を閉じる。
「……言えよ」
 掠れた声で耳元で囁かれ、睫毛が震えた。 ゆっくりと視線を戻すと期待に満ちた熱い視線が注がれ、知らず息を呑んだ。
「……す、ン」
 開きかけた唇を啓介が塞ぎ、言葉は飲み込まれてしまった。
「ほら、言って」
「は……、ぁ……」
 甘えるように言えと言うくせに、拓海が口を開くたびにキスで邪魔をする。 絡めた指先で手の甲に爪を立て、咎める視線を送ると啓介の唇が弧を描いた。指を解いて拓海の髪を撫で、またキスを繰り返してくる。
「すき、です。啓介さん」
 啓介の両頬に手を添え、唇が触れたまま言葉にすると啓介は動きを止めた。一向に返事をする様子も見せず瞬きだけを繰り返し、じっと拓海の目を見つめている。至極まじめな顔で、それが余計に羞恥を煽る。 拓海も言葉を繋げないままじっと見つめ返すと、啓介がかすかに口を開いた。
「……もっと言って」
「い、一回って言った」
 ただでさえ照れくさいのに、これ以上なんて冗談じゃない。
 体ごと横を向いて枕に顔を隠した。 啓介は拓海の正面に体を横たえ、ちぇっと口を尖らせながら、だけど楽しそうに拓海の髪を梳いている。
「今さらだけどさ。本当は来るつもりなかったんだぜ」
 ウソ臭いという視線を送れば、
「けどばーさんに優しい藤原見てたらオレも優しくされたくなってきてさ」
 なんてからかい混じりに言ってくる。
「も、もうその話はいいです」
 勢いをつけて起き上がると、タンスから引っ張り出した寝巻き代わりのスウェットを啓介に押し付けた。
「オレこんな時間に布団に入るのいつぶりだろ」
 着替え始める啓介を横目にベッドに突っ伏し、そういえば一緒にいるのにただ眠るだけなのはもしかして初めてかもしれないなどと考えている自分の思考にハッとした。
「枕もないし狭いけど我慢してくださいよ」
「ん、藤原もっとこっち寄れよ」
 壁側を啓介に譲り、落ちそうなほどギリギリまで端に寄っていた拓海の体を額がつくほど抱き寄せる。 近づきすぎた顔に鼓動が速くなってしまう。きつく目を閉じ顔半分を布団で隠した。
「おやすみ」
「ん……」
 啓介は拓海の額に軽く口づけると寝返りを打って背中を向ける。
「なんでそっち」
「ま、念のためってやつ」
 啓介の言いたいことはよく分からなかったが、向かい合って寝るのは何となく恥ずかしいし、意外と場所も取るからこれ幸いとばかりに背中に擦り寄って、腕を回した。啓介の胸の前にある手を掴んで指を絡ませるときゅっと握り返してくれる。
 啓介の背中に沿わせた体に、規則正しく刻まれる心音が伝わる。目を閉じてそれを感じながらほっと息を吐き、拓海はゆっくりと眠りに落ちていった。

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2013-12-24

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