Merry Smile

「あの、すみません。ごちそうになっちゃって」
 FDに乗りこむなり拓海は頭を下げる。仕事終わりに会社の近くまで迎えに来ていた啓介に連れられるまま来た焼肉屋。 いつもは割り勘だからと油断した。今夜もそのつもりで遠慮なく食べてしまった。
「いいって、たまにはカッコつけさせろ。ココ、うまかっただろ?」
「はい、すごく。でもオレ働いてるのにおごってもらっちゃって……なんか悪いです」
「んー……じゃあケーキでも買って帰ろうぜ。そこはおまえのおごりってことでどうだ」
「あ、じゃあハイ、ぜひ」
 ケーキでお返しになるとは到底思えなくても、きっとここで現金を出しても啓介は受け取らないだろうから譲歩案に乗ることにする。

 啓介の友人が薦めてくれたというケーキ屋は客が五人も入れば店内がいっぱいになってしまうほどの広さで、美味しくて評判なおかげか閉店ぎりぎりのせいか、もうそれほど数多くのケーキは残っていなかったが、 クリスマスにぴったりのブッシュ・ド・ノエルはまだ少し数に余裕があった。小さめのほうを選んでラッピングを待っている間、店内を見渡すとシャンパンも置いてあり、緑や赤のリボンがかかっている。
「啓介さん、ケーキだけじゃなんだし、あれも買っておきますか?」
 隣でショーケースの中のケーキを眺めていた啓介に小声で聞くと、耳元に顔を寄せ、こっそりと呟く。
「あれ買ったら飲むぜ、オレは。そしたらおまえのこと送ってやれねえよ。それでもいいのか?」
「……あ、えっと」
「ま、帰すつもりはねえけどな」
 とどめにそう囁いて、拓海が赤くなって固まっている間に赤いリボンが飾られたボトルを1本手に取った。

 高橋邸のリビングは、啓介の背丈ほどある大きなツリーが飾られていた。 色味を少なめにシックに飾りつけられたオーナメントが、チカチカと点灯を繰り返す電飾の光を淡く反射している。 その大きなツリーは窓辺にあって、誰もいない邸でひっそりとクリスマスムードを漂わせていた。
「でっけぇ……」
 見たままの感想を口にし、ケーキとシャンパンをテーブルに置いて近くに寄ってみた。 見上げる天辺には大きな星型の飾りが付いている。金色のクーゲルに自分の顔が映り、魚眼レンズで撮った写真のように顔が歪んで見える。
「そんな珍しいかよ?」
 キッチンから細いシャンパングラスと 拓海のためにコーヒーを淹れて戻ってきた啓介が、ソファに腰をおろしながら声をかける。
「こんなでかいの、家の中にあるの見たのは初めてですよ」
「それ飾るの結構大変なんだよな」
「でしょうね……」
 こんな大きなツリーがあるのに、クリスマスに家人がいないとは贅沢な話だ。卓上の小さなツリーしかない我が家とは大違いだと思いながら小さくため息をついて、啓介の座るソファに腰を下ろした。 目の前にあるローテーブルにはシャンパンとコーヒーと、箱から出されたブッシュ・ド・ノエルが並んでいる。
「ちょっとくらい飲めるよな」
「……はい」
 ゆっくりとグラスに注がれるシャンパンは泡がたち、上品な香りが漂う。
「ガキの頃さ、朝起きたらあのツリーの下にプレゼントが置いてあったんだよ」
 グラスを傾け、ふと懐かしそうに口を開く啓介を、シャンパンを飲みながら眺める。
「普通は枕元に置いてあるはずだろ、プレゼントって。オレ当時はすげー納得できなくてさあ」
 フォークの先で、ケーキに乗っている砂糖菓子でできたサンタをつつく。
「いつまでも信じてたわけじゃねえけど夢がねえっつーか現実的っつーかさ」
「オレの家はクリスマスとか習慣なくてプレゼントなんてもらったことないですよ」
「マジでか!」
 声とともに勢いよくブッシュ・ド・ノエルにフォークが刺さる。 形が崩れてもったいない、なんて思いながら啓介を見るとフォークで掬い取ったケーキを目の前に差し出された。
「え」
「あーん」
「あーんって……」
「なんかちょっとおまえが冷めた風に見えるの分かった気がする。若いくせになあ」
 口に頬張ったケーキのせいで何も反論はできなかったが、何より口の中に広がる甘みに意識が向いた。
「甘くてすげえうまいです、これ」
「そうか? じゃー食え、好きなだけ食え」
 フォークを握らされ、啓介は変わりにシャンパングラスを持ち直した。
「食べないんですか?」
「ん? じゃあはい」
 拓海に向かって口を開け、食べさせろと目で催促してくる。
「えっ」
「え、じゃねえよ。はい」
 はいじゃねえよ、とは言えないのでフォークに乗せたケーキを啓介の口へ運ぶ。恥ずかしさのあまり目を逸らしながらおそるおそる近付けると、啓介はフォークを持った拓海の手を掴み、 その先の獲物に勢いよくかぶりついた。
「ん、なかなかンめーな」
 ご機嫌に笑いながら唇を舐めて、またシャンパンを口にする。
 車を始め、拓海の仕事や啓介の大学の話、 昔のバイト先であるガソリンスタンドでの話などで会話が弾む中、ボトルの中身がなかなかのペースで減っていく。 会話が途切れ、ケーキが残り三分の一になったところで手を止めると近付いてきた啓介に引き寄せられ、唇を舐められた。 驚いて身を引くと、薄く開いた唇からのぞく舌にクリームが付いているのが見えた。何も言えないまま固まって啓介の視線に囚われる。 ソファの背もたれに腕を掛け、笑顔を見せるとまたゆっくりと近づいて口づける。 キスをしたまま押し倒されて、触れるだけのものからじわじわと濃くなっていく。舌の裏側を辿り、上顎を掠めると拓海の体がピクリと跳ねる。小刻みに震え、力いっぱい握りしめた手で啓介の胸を押し返す。
「藤原……?」
「あ、すみません、その……前みたいになったらどうしようって、……ちょっと怖い」
 顔を背ける拓海の言葉が意味するところを察し、ぎゅっと抱きしめた。
「なあ。あれはおまえが気持ち良くなってくれたって証拠だろ? 怖かっただけか?」
「そういうわけじゃなくて……恥ずかしいっていうか自分の体じゃないみたいで、オレばっか1人であんな……」
「ひとりって……おまえとえっちしててオレが何も感じてないとでも思ってんの?」
 啓介はぎゅっと握ったままの拓海の手を取り、主張し始めたそこに導いた。
「キスだけでもうこんなハズカシーことになってんだぜ、オレは。お互いさまじゃね?」
 拓海の緊張をほぐすためか、からかうように言いながら熱い吐息を耳に注ぎ込んで、耳たぶに舌を這わす。 重なった体に押さえられて逃げることはできず、啓介の与える刺激にびくりと震える。
「……怖いか?」
 気遣うような声にゆっくりと頭を横に振って視線を合わすと、前髪を梳いて額に口づけられる。
「もしまたあんな風になってもさ。おまえの全身で好きだって言われてるみたいで、オレは嬉しいけどな」
 ニカッと笑って、触れるだけのキスを繰り返す。くすぐったいその唇を捕らえ控えめに舌を差し出すと、少し驚いたように笑ってすぐに絡め取られた。
「ふ……ぁっ」
 啓介の言葉と笑顔に怖いという感情はすっかり身を潜めてしまっても、これ以上の甘い囁きに耐えられる自信がない。布越しとはいえキスのたびに欲の証を押し付けられて、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。 キスだけで昂ってしまうような体になったのは啓介だけではない。
「も……全部、啓介さんに任せます」
 すっかりその気になった体はどうあがいても啓介の手に抗えるとは思えず、こんな体にした張本人に責任を取ってもらうしかないと開き直る。
「先に謝っとくけど」
「……んッ」
 蕩けるようなキスの合間に啓介が囁く。
「途中でやめてやれねえと思うから」
「あ……ッ」
 セーターの裾から忍び込んで来た啓介の指が、胸の突起を摘まむ。こねるような動きに、また体が跳ねる。
「安心して気持ち良くなっていいからな」
 返事は啓介のキスに阻まれ、しがみつくように抱きしめた。


 ふと目が覚めて、手を伸ばしても隣にいるはずの体温がなく、シーツからはそこにあるはずのぬくもりが消えかかっている。
「……けぇすけさん?」
 ぼんやりとした頭を起こして部屋を見渡しながら、じわじわと昨夜の記憶がよみがえってくる。
 リビングのソファの上で互いの欲を吐き出し合い、その後は啓介の部屋で明け方近くまで抱き合った。 脱ぎ散らした服は昨夜のままくしゃくしゃで、啓介が着せてくれたであろうスウェットの中の体を見れば、情事の跡が色濃く残っている。
「いま何時だ……」
 ひとり呟いてヘッドボードの時計を仰ぎ見ると、枕元に包装された小さな袋が置いてある。
「…………?」
 手に取ってみると、『拓海へ』とだけ書かれたカードがついている。 それを持ったままベッドを出て、階段を下りてリビングへと移動する。キッチンから物音が聞こえてくるのはたぶん啓介がそこにいるからだろう。
「あれ、もう起きたのか。おはよ」
 拓海に気付いた啓介がコーヒーを手に持ったまま言うと、拓海は啓介のすぐそばに駆け寄って手に持った小袋を差し出す。
「こ、これ、この字って啓介さんですよね」
「ん?」
「ん、じゃなくて、これなんですか」
「なにってプレゼント。もらったことないって言ってたろ」
 シンクに凭れながら優雅にコーヒーを飲む啓介は、それ以外にたいした理由もないというふうに答えてまたコーヒーを啜る。
 朝起きたら枕元にあるクリスマスプレゼント。 初めての経験に口をパクパクとさせるだけで思うように言葉が出てこない。
「で、でもオレ、プレゼントなんて……」
「いや、ホントにたいしたモンじゃねえから。遠慮しねえで受け取れよ」
「……はい……ありがとうございます啓介さん。……嬉しい」
 照れた笑顔でそう言うと、拓海の後頭部の寝癖を手櫛で整えながら啓介のほうが嬉しそうな笑顔を見せる。
「あ、でもオレ……啓介さんに渡せるもの何もない……」
 うつむく拓海をよそに、しずかにコーヒーカップを置くと、昨夜買ったシャンパンから赤いリボンを外してそのままするりと拓海の首にかけて結んだ。
「あるぜ。オレだけがもらえるプレゼント」
 トン、と指先で拓海の胸をつつき、笑顔見せる。首にかかったリボンと啓介の笑顔を交互に見ながら、ハッと気付いて途端に頬が紅潮する。
「き、キザだ……ッ」
「恋人はサンタクロースってな」
 眩しい笑顔で続けて優しいキスをしたかと思うと、拓海の体を転回させて背中を押しながら歩き出す。
「ちょ、ちょっと啓介さん?」
「さ、ベッドに戻って中身を確かめあおうぜ」
 まさか、という顔で振り向く拓海の頬にキスをして、とっておきのクリスマスプレゼントに浮かれる少年のような笑顔を見せた。

「お、藤原君、暖かそうだねそれ」
 職場の先輩に声を掛けられ、首元を覆う黒いネックウォーマーに手をやりながらはにかんだ笑顔を返す。
 啓介からのクリスマスプレゼントは仕事でも使える実用的なものだった。寒い季節に役に立つそれは、吹き付ける冷たい風を防いで、啓介の独占欲のしるしも隠してくれる。
「だからってアトつけすぎだよ……啓介さんのばか」
 小声でぼやき、目の前のダンボール箱を抱えて運ぶ。ツリーを片付ける高橋邸のリビングでは大きなくしゃみが響き渡った。

2012-12-24

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