一歩
解散式をいったん終えた一行は、場所を居酒屋に移して飲んでいた。ケンタがよく利用するという、安くて早くて美味いが売りのチェーン店で、個室や宴会場もあり、団体客に人気の和風居酒屋だった。
何より自慢はメニューの数で、一晩では頼みきれないほどの赤枠ポスターが壁一面にぎっしりと並んでいる。混んでいるのだろう、時折襖の向こうから大きな笑い声が響き渡る。
高い肉を食べさせてもらったあとではやはり見劣りはするものの、それでも十分に美味しい一品料理に食欲は刺激されっぱなしだ。
「なんで男しかいねーのに王様ゲームなんかするんだよ」
「いいじゃないですか、無礼講ですよ!」
隣からそんな問答が聞こえてくる。呂律が回っているのか怪しい口調の二人組だ。メンバー内唯一の未成年である藤原拓海は飲酒を許されず、理不尽さを感じつつもソフトドリンクをがぶ飲みしていた。
テーブルに備え付けられているアンケート用のボールペンで、ケンタは上機嫌で鼻歌交じりに準備をしている。王様ゲームというのは男女がちょっと親密になれるようにするゲームだったと記憶している。
「ったく趣味疑うぜ」
ぶつぶつと不機嫌さを隠さないのは、ともにプロジェクトのダブルエースとして張り合ってきた高橋啓介だ。
口は悪いが誰よりこの壮大なプロジェクトに貢献し、実兄である高橋涼介に尽くしてきた。拓海もずいぶん気にかけてもらったし、ここまでやりきれたのは啓介の存在があったからだと言ってもよかった。
男だけでやって何が楽しいのか、拓海も啓介の意見に心の中で賛同していたが、無情にもゲームは始まってしまった。
「はいっ、では引いてください」
元気よく両手に割り箸を持ってメンバーの輪の中央へ差し出すケンタの表情はいつも以上に晴れやかだ。若干鼻息が荒くなっているようにも見えるのは気のせいだと思いたい。
皆がそれぞれ手を伸ばし、ケンタが握る割り箸を取る。あの涼介までも参加しているのだから拓海としてはやらないわけにもいかなかった。
最初の王様は涼介だった。涼介はゆっくりと一人ずつメンバーの顔を見てから、にやりと笑った。嫌な汗が背中を伝う。
「一番と三番、この会が終わるまでずっと手をつないでもらおうか」
「誰、誰ですかっ」
外れたのだろうケンタが喜び勇んで聞きまわる。拓海は手の中の割り箸を燃やしてしまいたくなった。そこにはきっちりと一番と書いてある。
「一番、オレです」
ため息とともにそう答えると、啓介が隣で驚いたような声を上げた。いやまさか。そんな予感は的中するものだ。
啓介は渋々といった感じでずいっと左手を差し出してきた。初めて握る手は温かく、少し乾いていた。
「こら、そうじゃない」
二人のやり取りを見ていた涼介が窘める。ついでに自身の手を涼しげな顔の横で握り合わせてこうだと見本を見せている。指が絡み合った、いわゆる恋人つなぎと呼ばれるアレだ。
「アニキめちゃくちゃ酔ってるな」
「全然、まったくそうは見えませんけど」
「あれは相当だぜ。やらねーともっと面倒なことになる」
据わった眼を向けながら小声で言って、啓介は兄の言いつけどおり拓海の指を絡め取った。自分のより少しだけ大きな手。まぎれもなく男のそれで、女の子とすらこんな手のつなぎ方をしたことがないというのに、複雑だ。
拓海はどことなく落ち着きがなくなるような、変な気分になっていた。
ゲームを繰り返していくうちに、だんだんとお題はエスカレートし始めた。人生最大の失恋話や今までで一番高かった買い物、一発ギャグなどはまだマシだ。耳を舐めたり、胸を揉んだりなどという下ネタまで出始めた。
史浩と松本のディープキスは目を覆いたくなったが啓介とケンタは爆笑だ。そうだ、ここは男だけの酒の席だ。拓海は自分以外のメンバーが酔っていることを忘れそうになっていた。
史浩が王様になったときにようやく地獄絵図のような光景から解放された。
「じゃあちょっと趣向を変えてみるか。えーっと四番と六番、今一番気になる相手について思う存分語ってくれ。あ、芸能人とかはなしだぞ」
「はぁ~~?!」
奇声を上げたのは啓介だ。割り箸を握りしめているところ見ると、当たりを引いたらしい。
六番の当たりを引いた拓海も変な声を上げそうになっていたが、啓介に先を越されたためにぐっと飲み込んだ。このゲーム中、なぜか啓介と対で当たることが多くて何か仕掛けがあるのではないかとすら思い始めている。
「ていうかそれ、フツーに恥ずかしいじゃねえか」
「誰? 誰なんですか、啓介さん」
目を輝かせたケンタが急かす。啓介は酒で赤くなった頬を掻き、一つ咳ばらいをした。
「ちょっと掴みどころねぇっつーか何考えてるのかよくわかんねーんだけど目が離せないっていうか、気づいたら目で追ってるっつーか」
「まさに恋ですね、それは! いやー夏っぽい!」
ケンタが興奮気味に乗り出してくる。
啓介は照れくさそうに強めの否定をしながら、ハイボールを半分ほど飲んだ。
「すげーやつなのにその自覚がないっつーのがまた頭にくるんだよ」
「可愛いんですか、その人は!」
サワーをぐびぐびと飲みながらケンタが質問を投げかける。
「かわ……? とは思ったことねえけど……そこそこいい線いってんじゃねーかな」
「ノロケですか~いやだぁ~啓介さぁん」
「てめーが聞いたんだろうがっ」
「で、その子とはどうなんですか」
松本がケンタをかばうように慌てて話題を振った。
「どうって、別にどうもこうもねー」
「でも上手くいきそうなんだろう?」
「いや、そりゃねえな」
史浩にそう答えながら枝豆をかじる。拓海もつられて枝豆に手を伸ばした。
「なんだ、珍しく消極的だな」
「ボヤボヤしてたら取られるんじゃないんですか?」
松本と史浩が声をそろえる。
この一年はストイックなまでに走りに集中してきた啓介だ。プロジェクトが解散となった今、そろそろ解禁してもいいのだろう。啓介に彼女ができてしまうのか。そう考えたときになぜだか胸が痛んだ。
「啓介さんは黙ってても相手が勝手に寄ってくるんですよね。どうなんですか、その子は」
「だからそういうんじゃねーって。はい、この話終わり。六番どーぞ」
「えーっ?!」
ケンタが聞き足りないと不満げに頬を膨らませているが、啓介は用済みになった番号の振られた割り箸をケンタへ押し付けた。
「もー啓介さん絶対教えてくれねーんだもんな。じゃあ六番の人」
「あ、オレです」
答えた途端、メンバーの目が拓海に集中した。いたたまれなさを感じながらもふと天井を見上げる。気になる相手と言われて真っ先に出てきたのは、自分でも驚いたが啓介だったのだ。思う存分語れと言われて何をどう言えばいいのか。
「えーっと……、出会ったことで人生変わったというか、今のオレがあるのはその人のおかげ、って感じですかね」
「それって運命ってやつじゃねーの」
ケンタは拓海をじっと見つめながら呟いた。
「あっ、いや、全然、そんなんじゃなくて」
「てめー! つくづく羨ましい男だな。どんな女だよそれ。いっそむかつくぜ」
ケンタに絡まれながらも視界の端では啓介を意識していた。
涼介と松本はそれはどんな相手なのだろうかと語り始めるし、史浩は暴走しそうなケンタを窘めている。啓介の表情は読めないが、さっきからまるで睨まれているような視線を向けられている。
「オレなんか相手にされませんって」
乾いた笑いをこぼしながらごまかすように後頭部を掻く。ケンタは相手を探ろうと根掘り葉掘り聞きだそうとしてくる。
「そろそろネタも尽きてきたし、次で最後な」
「はぁーい」
助け舟を出してくれたのは啓介だった。啓介に釘を刺され、ケンタは渋々うなづいて割り箸を差し出す。
「じゃー次のターン!」
一転陽気なケンタの声に、もう一度割り箸を引く。今度は王様も、当たりの番号も引かなかった。ほっと胸を撫で下ろすのと同時に今更ながら右手に意識が集中してしまい、最後のお題は耳に入ってこなかった。
気を逸らそうとテーブルにある料理を視線で物色する。一つの皿に目を付け箸を手に取ろうとして気が付いた。拓海が差し出したのは右手だった。
見渡してもスプーンやフォークなどの気の利いたものがない。利き手が使えないので仕方なく左手で箸を持ち、目当ての角煮に手を伸ばす。不自然に力の入った腕がプルプルと震えるが、なかなか箸でつかめない。
もたついていると啓介が拓海の手から箸を取った。あ、という間もなく口の中に角煮が入ってきた。甘辛い味付けが口内に広がる。
「もう一口?」
「あ、……いえ」
咀嚼し終わる頃にすぐ近くから覗きこまれ、拓海は自分の体温が少し上がったのが分かった。丁重に断ると啓介はふーんと興味がないような返事をし、そのまま角煮を頬張った。
同じ箸を使うことに抵抗はないのだろうかといらぬ心配をしてしまったが、よく考えなくても相手は酔っているのだ。気にしていないに決まっている。間接キスだと気にしているのは自分だけだと拓海は己に言い聞かせた。
「オレ便所行ってきます」
「ん、おう」
繋いだ手を離して立ち上がると、涼介に呼び止められた。
「啓介、藤原。まだ手を離していい時間じゃないぜ」
「は? だって便所……」
「一緒に行けばいいだろう」
「ウソだろ」
にっこりと威圧感のある微笑みだけを携えて、涼介は二人を見つめている。
拓海は予想外の展開に何も言えず、啓介は大げさにため息をついて後頭部をかき回した。
「ったくこれだから酔っ払いは」
そう呟きながら啓介も立ち上がり、拓海の手を取って部屋を出る。
「えっ、啓介さん」
「行くぞ」
冗談ですよねと尋ねる間もなく、拓海は啓介に引きずられるようにして個室を後にする。店内用のサンダルを足につっかけ、すれ違う人の視線に耐えながら目の前の背中を追った。
啓介が一度振り返るのにつられて出てきた部屋のほうを見ると、襖から涼介の顔が半分だけ見えていた。啓介は小さく舌打ちをして奥まった場所にあるトイレへと続く通路を曲がる。
「ここまで来りゃいいだろ」
拓海の手を離すと腕を組んで壁にもたれかかった。追い払うような仕草でさっさと行けと態度で言っている。拓海はそそくさとトイレへと入った。
頬が熱い。拓海は鏡に映る自分の赤い顔を見るともなしに見つめ、濡らした手で顔を覆った。
3分と経っていないのに、通路へ出てきた拓海は目を疑った。啓介が数人の女性に囲まれている。ケンタの言った通りだ。これが所謂逆ナンというやつか。
実際される人なんているんだな、なんて変なところで感心しつつ、足を踏み出せないでいた。甘い猫なで声が耳につく。啓介の表情はどちらかと言えば不機嫌そうにも見えたが、割って入ればいいのかそれとも気を使って声をかけないほうがいいのだろうか。
「あ」
啓介が拓海に気づいて近寄ってきた。女性陣に背を向けた啓介はずいぶん近い距離までやってきて、拓海は戸惑いを隠せない。
「ど、どーしたんで、す」
全部言い終わる前に、啓介の唇が頬に触れていた。
「えっ?」
一瞬の出来事に頭がついていかない。拓海が固まっていると啓介はふっと表情を和らげた。見たこともない笑顔に拓海の頬は一気に赤く染まった。
「じゃ、そーいうことで」
拓海の肩を抱いた啓介は、凍りつく女性たちの横を何食わぬ顔で通り過ぎ、角を曲がるころには再び拓海の手を握っていた。しどろもどろになりながらも拓海は何とか啓介を引き止めた。
「そ、そういうことって、なんですか、今の」
「いや、何つーか、撒くにはてっとり早くていいかなって」
「アンタいったい何やったんですか」
「大人しく藤原を待ってただけだけど?」
「っていうかこんなところでナンパなんかされますか? 普通」
「オレのせいじゃねーもん。藤原が待たせるからだろ」
「たかだか数分くらいの話じゃないっすか!」
「でもがっついてくるしその上しつこくてさ。それに付き合う義理ねえじゃん」
「だからってオレを巻き込まないで下さいよ。ちょっ! 何して」
腰を抱き寄せられ、慌てて腕を突っ張る。この兄弟はずいぶんと分かりづらい酔い方をするようだ。
「さっきのやつらこっち見てる」
耳元で囁かれ、全身に血が巡るような恥ずかしさでいっぱいになった。他の客も店員も、ちらちらとこちらを見ている気配が漂っている。もうこの店には二度と来られない。恨めし気に見上げるが、啓介は穏やかに笑うだけだ。
啓介がこんな性質の悪い酔い方をするなんて知らなかった。視線を落とし、腰に回った腕をつかむ。
「あいつらの本当の狙い、おまえなんだって」
引き離そうとしたところに追い打ちをかけるように、啓介が小声で告げる。
「えっ、なんでオレ?」
「悪いことは言わねえ。ああいうのは止めとけ。女欲しいなら紹介してやるから」
「い、いらねーし! ていうか近いって、啓介さん飲み過ぎ」
「んなことねーけど、フラつくし支えて」
細身とは言え自分よりも大柄な男が体重をかけてくる。拓海はとっさに両手を背中に回した。
「そんなこと言ってさっきから足取りしっかりしてるじゃないですか」
「これから足にくるんだよ、たぶん」
「たぶんって」
これ以上目立つのもたまらない。拓海は個室に向かって歩きだそうとするが啓介は動こうとしない。
「こんな姿見られて幻滅されても知りませんよ」
「誰に」
「ケンタさんとか、さっきの……気になってるって人」
「あぁ……。もしかして気になってる?」
「は? そそっ、そんなわけないでしょう」
不自然なほど強く否定してしまって、やり場のない手が空を切る。
「藤原は? 幻滅する?」
「オレですか? オレは別に啓介さんに幻想抱いてないんでどんなのでも平気です」
顔をそらせて冷たく言い放つと、啓介はぶはっと盛大に吹き出した。
目尻に涙まで浮かべて爆笑する啓介は拓海をぎゅうっと抱きしめた。
「なっ、何がそんなにおかしいんですか」
「いや、何でもねー」
拓海を解放して大きく深呼吸をした啓介は再び手をつなぎ、歩き始めた。
「ちょっと、手っ」
「今度はアニキが見てる」
「うっ」
また顔半分だけを見せている涼介は、やはりいつも通りの表情にしか見えない。前を歩いていたはずの啓介が急に立ち止まり、その肩に強かに顔をぶつけた。
何事かと頬骨をさすりながら見上げると、啓介が顔だけ振り返った。
「なぁ、アニキなんだろ?」
「は?」
「さっきの、おまえの人生変えたってやつ」
「えっ」
「いや、やっぱいい。なんでもねえ」
顔を隠すように前を向いた啓介の手を、力を入れて捕まえた。進路をふさぐように壁に手を付き、動きを止める。
「ちょっと待った。何の話ですか」
いつもの拓海らしからぬ行動に気圧されたのか、啓介は口端を歪めて少し笑った。
「啓介さん?」
「なんかちょっと、……妬ける」
「え」
「人生変えるくらいのインパクトなんかアニキほどはないかもしれねーけどさ、藤原の中でオレってどんな立ち位置なわけ」
「どんな、って」
ライバルで、憧れで、目標でもあって……形容するいろんな単語が頭に浮かんでは消えていく。すぐには答えられず、拓海は困惑した表情を浮かべてしまう。
「……悪い、この一年おまえのこと意識しまくってたからさ。オレが勝手に振られた気分になってるだけ」
拓海はそう話す啓介の表情を食い入るように見つめた。絡まる視線に、落ち着いていられなくなる。
啓介の話を総括すると、とんでもない答えに行きついてしまう。いや、拓海自身がそう期待してしまっている。信じられないと思いながらも、その先へ、踏み出したいと願っている。
啓介に彼女ができるかもしれないと思った時に痛んだ胸や、見つめられれば高鳴る鼓動が、この感情に名前を付けようとしている。
「藤原」
握られた手に、ぎゅっと力がこもった。咄嗟にその手を握り返していた。
「……啓介さん、自分にやきもち妬いてるんですか」
「え?」
「さっきの、アンタのことだったんですけど」
照れくさくてうつむきながらそう答えると啓介の空いている手で顎をすくわれた。
ゆっくりと啓介が近づいてくる。吐息が触れるほどの距離で反射的に目を閉じた。
「啓介が藤原に壁ドンされる日が来るとはな」
「え、あっ、うわ、涼介さん?!」
突然現れた涼介の声に心臓が口から飛び出しそうになった。慌てて啓介から離れ、壁についていた手を引っ込める。繋いでいた手も解けてしまった。
「啓介、公共の場だ。そう何度も見逃してやれないぜ」
そう言いながら涼介は拓海と啓介の手を取り、再び握らせる。
「……こんなことさせといてよく言うよ」
「これは王様の命令だからな」
視線の熱に当てられたせいかうっかり二人の世界に入ってしまっていた。涼介が止めてくれなかったら、いったい何をしでかしていたか。拓海は唇を噛み、激しく打つ心臓を鎮めようと胸元でギュッと手を握る。
涼介も啓介をも見れずうつむいて歩き始める拓海に、啓介がそっと耳打ちをする。
「あとでな」
指の背で頬を撫でられその感触に驚いて勢いよく顔を上げると、照れ笑いを浮かべる啓介がいた。
拓海は頭から湯気を出しながら顔を逸らせるだけで精いっぱいだった。
2017-08-08
サイト5周年記念のリクエスト。「王様ゲームから互いに好きだと気づくお話」でした。リクありがとうございました! back