SWEET

 今年のバレンタインは平日で、学校が終わればバイトが入ってる。
 おあずけってこういうことを言うのかな、なんて考えながら、上がりの時間が近づくにつれて、内心そわそわとする気持ちを止められない。
 それなりの交通量がある通りから聞き覚えのある音を耳が拾う。その音の発生源がスタンドに入ってくると、池谷先輩が驚いた顔でオレとその黄色いFDを交互に見ている。 啓介さんは近くまで来るだけだと言っていたのに、結局バイト先まで来てしまった。気軽にハチロクを出せないオレを迎えに来てくれたのはありがたいんだけど。
「わりーわりー」
「あの……あともう少しだから、ちょっと待っててください」
 小声で話しかけて残りの仕事を片付けて行く。スタンドの端に寄せたFDから降りてきた啓介さんは池谷先輩と車の話で盛り上がっている。 オレはそういうメカのこととか詳しくないからその輪に入っていけなくて、ただ黙々と仕事をこなして時間通りに上がって着替えを済ませると、2人のいるところに駆け寄った。
「お疲れ。じゃ行くか」
「……はい。じゃあ池谷先輩、お先に失礼します」
「おー、お疲れ、拓海」

 走りだしたFDの中で啓介さんは流れている音楽を口ずさみながら、想像より丁寧なハンドルさばきで進んでいく。
 もう少し荒い運転をする人なのかなと思っていたから、意外と言えば意外だった。
「それどうする? 着替えるならいったん家寄ろうか?」
 信号待ちの間、ダッフルコートの下の学生服を指さして顔を向けてくる。冬だし、1日くらい着替えなくてもオレはどうってことないんだけど。
「つーか明日も豆腐の配達あるのか?」
 お泊り前提に進んでいく話に戸惑いながら、それでも自分も期待していなかったとはとてもじゃないけど言えなくて。
「え……と、いえ、明日は親父が……」
 強引にお願いしたのは秘密だけど。
「そか。じゃあガッコ始まる前に送ればいいか。服はオレの貸してやるよ」
「え……」
「まさか今夜中に帰れると思ってねえよな?」
 意味深に言って笑顔を見せる。 カッコいいんだから無駄に笑顔を撒き散らさないでほしいなんて心の中で悪態をつき、話題をそらせたくて窓の外に視線を逃がす。走りだしたFDはそのまま高崎方面へと向かっている。
「……啓介さんは大学は?」
「大丈夫。心配すんな」
「心配なんてしてません」
「んだよ、冷てーな」
 この前みたいに笑っているような声で言って、オレの耳たぶをキュッと摘まんだ。

 部屋に着いたら息つく間もなくベッドに押し倒されてキスをされた。
 心の準備なんてとっくにできてるはずなのに、オレだってこうしたかったって思ってたはずなのに、あまりの性急さにびっくりして啓介さんの胸を押し返してしまった。
「なに……」
「なに、って……」
「もうちょいさして」
 押し返した手を取られ、深いところまで入ってくる啓介さんの舌に翻弄されてしまう。
「ん、……は、ぁ……っ」
 指を絡めて握り返すと気を良くしたのか何度も角度を変えて生き物みたいに動く舌が交わる。息継ぎが追いつかなくて苦しくなって、解放された隙に深呼吸をすると、崩れ落ちるみたいに覆いかぶさってきて、 大きく息を吐きながら啓介さんが呟く。
「やっと……だ」
「ふ、……本当に、治ったんですね」
 笑いながら言うと、起き上がった啓介さんが鼻の頭にガブリと噛みついてくる。
「いってぇ」
「こっちは必死だったっつーの」
「…………。ははっ」
 啓介さんの言葉と尖がってる口がおかしくてつい吹き出してしまった。
 オレだって今日まで結構我慢したなって自分で思うけど、何の不自由もなさそうな人が男のオレとわざわざバレンタインを過ごすために必死だったなんて、 考えないようにしてもいろいろ想像してしまって笑いが止まらない。
「なに笑ってンだよ」
 ちぇって舌打ちしながらまた覆いかぶさってきて、繋いだ手を解いてギュッと抱きしめてくる。笑い声をこらえながら自由になった手を啓介さんの背中に回して力を込めてみた。 止まらないと思っていたのに笑い声は自然となくなって、久しぶりの重みを噛み締めた。隙間なく密着した体は熱くなっていて、頬に当たっている啓介さんの耳も同じくらい熱を持っている。
「意外と可愛いところあるんですね」
「はあ?」
「……オレのためかなって思うと自惚れちゃいますよ」
 不満そうに答える啓介さんに擦り寄って、肩に頭を押し付けて真っ赤になった顔を隠しながらそう言うと、返ってきたのは沈黙ときつく抱きしめてくる腕と熱。 その熱い体を抱きしめ返すと、起き上がった啓介さんに支えられたまま体が浮いて、膝の上に乗せられた。
「……重くないんスか」
 出来るだけ体重をかけないように膝立ちになって見下ろしながら言うと、啓介さんは少しだけ考えたような顔をしてみせた。
「……確かにちょっと無理がある」
 けどいいんだって笑って、下から掬い上げるようにキスされた。この体勢だとオレのほうが啓介さんより背が高くなったみたいで、変な感じた。 啓介さんはいつもこんな感じなのかななんて考えながら両手で顔を包みこんでみたら指先が耳たぶに当たって、啓介さんが何でいつもオレの耳たぶを触るのかが分かったような気がした。 夢中でそこをいじりながら、啓介さんの形の良い唇を咥えるように挟んで下唇をちゅ、と吸って軽く引っ張ると舌がオレの中に入ってきて、あっという間に絡め取られた。
「ふぁ……あ、……ッ」
 容赦なく攻め立てられて、気持ち良さに体の力が抜けていく。 啓介さんが体を離してのぞきこんだオレの顔はたぶん真っ赤で、濡れた唇を手の甲で押さえたらそこにまで口づけられて思わず「ちょ……っと、休憩」なんて弱音が口をついて出た。
 啓介さんはしょうがねえなあって感じでベッドから降りると、部屋の端に寄せられた雑誌の、その山の上に無造作に置かれていた紙袋を手に取って戻ってきた。 オレの正面に座りながら袋ごと手渡してきて、中を見るときれいに包装された箱が入っている。取り出して開けると、想像通りそれはチョコレートで、形の違う数種類のチョコがきれいに並んでいる。
「わ、うまそう」
「だろ?」
 得意げに言ってひとつ摘まむとオレの唇に押し付ける。戸惑いつつもそれをそのまま口に入れて、ついでに啓介さんの指先もペロリと舐めた。
「……煽ってんの?」
「いえ、あの……これ、すげぇ美味しいです」
 見るからに高そうな箱を脚に乗せて、もうひとつ摘まんで口に入れる。さっきのとはまた少し違う甘い香りが広がる。
 正直言うと、こんなに本格的なものをもらえるなんて思ってなくて、自分が持ってきたチョコを渡すのがすごく恥ずかしくて申し訳ない気分だ。 だけど期待してるっていうこの顔を前に渡さないわけにもいかないし、いつまでも出し惜しみしてたって高級チョコにすり替わることもないから、覚悟を決めてバッグから取り出し、 啓介さんの胸元に押し付けるように手を伸ばした。
「サンキュー……っておま、これどノーマルな板チョコじゃねえか」
「だ、……ってすみません。けどちゃんとビターってやつですから」
 確かにコンビニで買ってきたそのままってのはあまりに愛想がなかったかもしれないけど、バレンタイン用のコーナーで女に混じってチョコを買うなんてオレには無理だったんだから。 啓介さんはもしかしなくてもそうやって買ってきてくれたのかもしれないのに、いざ自分がそうするってことを考えただけで恥ずかしくなって、逃げるように枕に顔を埋めた。
「けどまあ、だいじなのは中身と気持ちだよな。ありがと、拓海」
 オレの背中にかぶさってきた啓介さんが掠れた声で、耳元で囁く。 初めて名前を呼ばれたことにびっくりして振り返って見上げると、特別な包装もされてないごく普通の板チョコを丸かじりして蕩けそうな顔で微笑んでいる。 いろんな感情が湧いて胸がギュッとなって、すぐ後ろにいる啓介さんに唇を重ねた。
「来年はできればチョコ以外のもので勘弁してください」
「……来年もくれんの?」
「……啓介さんはくれないんですか」
 質問に質問で返すと、ふっと笑った啓介さんがオレの体を仰向けに転がして馬乗りになった。そのままゆっくり屈んできて、鼻とか口とか、とにかく顔中に触れるだけのキスをする。 くすぐったくて照れくさくて、力いっぱい抱きついた。
「『オレ』ならいつでもやるよ、好きなだけな」
 そう言って触れた啓介さんの唇は、チョコより甘い味がした。

2012-02-14

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