足の先まで
啓介さんのスキンシップは、オレの常識とか基準値を遥かに超えて熱烈だ。
人によって許容範囲とか価値観とか違うものだって分かってる。嫌だというわけじゃない。ただ場所や時間を考慮してほしいだけなんだ。
「だから、藤原は気にしすぎなんだって」
「それくらいでちょうどいいですよ」
誰が見ているか分からない峠の駐車場で、啓介さんはオレにキスしようとした。だから思わず体を突き飛ばしたんだ。そしたらすげー怒っちゃって。
さっきからこんなやりとりばかり続いている。
「そんな嫌がることねえだろ」
「だから、こんなところではやめてくださいってオレ何度も言ってます」
どうして分かってくれないんだろうかと小刻みに震える拳を握る。
「別にここでおっぱじめるわけじゃねえのに」
唇を突き出してとんでもないことを言う。拒むオレが悪いみたいな空気で、オレはそれも納得いかない。
オレの方が年下でしかも未成年だし啓介さんと違って頭だって良くないけど、オレだってそこまで世間知らずってわけじゃない。
何よりただでさえプロジェクトに差し支えないようにと気を遣わなければいけない環境だっていうのに、啓介さんには危機感ってものがないのかよ?
「帰る」
「はッ?!」
背中を向けたオレに、啓介さんが焦った声を出す。だけどそんなの構うもんか。ココじゃいやだって言ってるだけなのに、分かってくれないアンタが悪いんだ。
「マジで帰るのかよ」
「マジで帰りますよ」
「久しぶりだってのに、オレのこと置いてくのかよ」
ハチロクのドアに手を掛けながら、一瞬体の動きが止まってしまった。耳元で囁かれたからだ。息がかかった耳を押さえながら睨み付けたら啓介さんはニヤッと笑った。
これはえっちなこと考えてるときの顔だ。オレはそのにやけ顔を片手で押しのけて運転席に乗り込んだ。
「待てよ、藤原」
立ち塞がれてドアを閉めるチャンスを失ってしまった。オレの横に啓介さんがしゃがみ込んで見上げてくる。
「本気じゃねえよな?」
半袖の裾から指先を入れて二の腕をなぞる感触に、オレはきゅっと唇を噛むしかなかった。
「藤原?」
少し前までライバルの顔をして隣に立っていたのに、今はもうすっかり恋人の顔になっている。この切り替えの早さはオレには絶対まねできない。啓介さんの手から逃れてゴシゴシと腕をこすりながら、恨めし気な視線をやる。
「分かったよ。ヤマじゃ大人しくするから、帰るんじゃねーぞ」
ため息ついでに立ち上がってオレの頭をくしゃっと撫でてから啓介さんはFDに向かって歩き出した。
ドアを閉めてから、啓介さんが去り際に器用に触れた耳たぶをぎゅっと掴んだ。
啓介さんのセックスは、経験の少ないオレにだって分かるほど濃厚だ。
一回や二回じゃ済まないんだ。
朝の配達がない日ならまだしも、そうじゃないときだって容赦がない。最中は気持ち良すぎてワケがわからないけど、終わった後、すごく消耗してることに気づくんだ。
峠でキスを拒んだせいか、息苦しいと音を上げても今日はずっとキスされたまんまだったから、今夜は余計に酸素が足りてない気がする。
「のぼせそうなんで先上がりますね」
ジェットバスの泡に包まれた体を起こすと水音がガラス張りの浴室に響いた。バスタブにもたれかかっていた啓介さんがオレの手を取って、心配そうにオレの顔を覗きこんで肩を貸してくれる。
「大丈夫か」
こんな関係なのに、こういうのはなぜか無性に照れくさい。
「あの、啓介さんはゆっくり浸かってていいですよ」
気恥ずかしくて足早に出ようとする体を抱き寄せられてバランスを崩し、啓介さんの胸に倒れ込んだ。
「寂しいこと言うなよ。時間までゆっくりしてようぜ」
オレの腰を抱えながらそう言って、ちゅっと軽くキスされた。
恥ずかしいけど、これは嫌いじゃない。オレは啓介さんの首に腕を回して、同じように触れるだけの軽いキスをした。ホテルみたいな絶対誰にも見つかる心配がないような場所なら、オレだってちょっとは積極的だ。
啓介さんの嬉しそうな顔も見られるからっていうのは、本人には絶対に内緒だけど。
バスローブに包まれ大きなベッドに転がされたと思ったら、啓介さんはオレにのしかかってきて唇を塞いでくる。さっきもあんなにしたっていうのに、よく飽きないな、なんて変な感心をしてしまう。
「藤原ってさ、キス、好きだよな」
「……啓介さんほどじゃないと思いますけど」
否定はしないけど、素直に認めるのも悔しくてそんなことを言ってみる。啓介さんはくっと笑ってまたキスをした。
「確かに。けど藤原見てるとキスしたくなるんだよ」
「なん、っすかそれ」
啓介さんが嬉しそうに顔を近づけてくるのを拒めないでいる。オレはたぶんまんざらでもない顔をしてるんだと思う。
触れたところが温かくて、抱き締められると嬉しいなんて思ってしまう。
「すげー好きってこと」
耳元で囁かれてオレは自分で分かるくらいに顔が熱くなった。
「もう、オレにどういう反応求めてるんですか」
ストレートな表現に慣れてないから、こんな時にどう答えるのが正解なのか分からない。啓介さんと同じように言葉にしろなんていうのが正解なんだとしたら、きっとできそうにない。
「どういうっつってもなぁ。別にどうこうしてほしいってのはねえよ」
啓介さんは鼻の頭を掻きながらオレの隣に大の字に寝転んで天井を見上げた。
「そりゃまあ藤原がたまには言葉で言ってくれるってのもすげー嬉しいけど」
オレは顔だけを啓介さんに向けて、だけど何も言えなくてじっと続きを待っている。
「他人なんか興味ありませんって感じの藤原がさ、オレの言葉に照れたり拗ねたりすんのがたまんねーの」
「……オレってそんな感じわりーですか」
「だから、そういう顔させられんのがオレだけだって思うとすげーキュンとすんじゃん?」
いたずらっぽく笑って、勢いをつけて起き上った。備え付けの冷蔵庫からペットボトルを取り出して戻ってくるとベッドの上に胡坐をかいた。オレは起き上がって啓介さんの向かいに座ってその姿をじっと見つめた。
オレより年上で、女の子にモテて、もしかして同じ男からだってモテてたりするかもしれないのに、オレみたいな無愛想な男にこんな可愛いこと言っちゃうなんて誰が想像できるだろう。
「ナンだよ?」
別に、なんて言って緩む頬を片手で隠しながらずりずりと膝で移動して啓介さんのすぐ近くまで寄った。膝立ちのまま啓介さんの手からペットボトルを取り上げて、少し湿った唇にそっと口づけた。
「だからって人前とか、外でするのやめてください」
我ながら可愛げがない言葉とは思いつつも、どうしても誰かに見られたりするっていう心配をするのが嫌だった。キスなんかしてるところをもし見られたら、ごまかしようがないじゃんか。
ていうかそもそも人前でイチャイチャするっていうのがまず理解できないんだ。
「そりゃ藤原的にはやりすぎかも知んねーけど、ちょっと考えすぎだと思うんだよな」
人の視線を集めるタイプだってこと啓介さんが自覚してないのかもう麻痺してるのか分かんないけど、人がいようがいまいが外ではしたくないという気持ちは変わらないし、変な噂が立つのが嫌だとか、それもあるけどそういうことじゃない。
だって涼介さんの言う広い世界で活躍する啓介さんを一番近い場所で見ていたいんだ。オレなんかのせいで駄目になってほしくない。
それに、本人には言えないけど、恋人モードのときの啓介さんをあんまり人に見せたくないってのも大きい。こういう、ちょっと情けない啓介さんを見るのはオレだけでいい。
なかなか返事をしないオレにしびれを切らしたのか、啓介さんが頭をがしがしと掻きながら「分かったよ」と呟いた。
「けど、ふたりっきりのときならいいんだろ?」
押し倒され、あっという間に唇を塞がれてしまった。
結局時間ぎりぎりまで啓介さんは離してくれなくて、忙しなく帰り支度を済ませたところで、部屋を出る前に「そういえば」と前を歩く啓介さんが振り返った。
オレはぶつかりそうになったのを避けようとしたのに啓介さんは長い腕を広げてオレをぎゅっと抱きしめてきた。
「な、何ですか」
「藤原、今度新しくできた水族館行こうぜ」
「は、はぁ」
男二人で何でそんなところに、なんてとても言える雰囲気じゃない。というか、断られるなんて微塵も思ってないって笑顔に、オレは思わずうなずいてしまっていた。
「やっぱ平日のほうがいいよな、人少ねえだろうし」
なんて意気揚々と携帯電話を取り出してスケジュールを確認してるらしい。オレは内心ではしまったなーなんて思いながら、すぐそばにいる啓介さんを黙って見上げた。シャワーを浴びたまま下ろした前髪のせいかいつもより雰囲気が柔らかい気がする。
啓介さんが動くたびに長い睫毛の影が小さく揺れている。久しぶりの啓介さんを堪能した後だからか、何となく名残惜しい気持ちがわいてくる。
「っし、オレの空いてる日送った。あとは藤原の仕事の予定見て決めてくれよな」
言葉に続いてジーンズの後ろポケットでオレの携帯が鳴った。
取り出そうとうつむくと顎をつかまれて阻止された。また啓介さんを見上げるとぐっと近づいて唇を押し付けられてしまった。
「ん、な……にっ」
「ココ出たらできねーもん」
オレの言いたいことを逆手に取るみたいに言い訳をして、腰を引き寄せてくる。だんだん濃くなっていくキスに、オレはいよいよ脳みそが蕩けそうになって啓介さんにしがみついた。
「約束、守ってくださいよ」
「わぁーったよ。そのかわりふたりンときは遠慮しねーからな」
啓介さんは、唇を開放するかわりに言い聞かせるみたいに囁いた。
プラクティスが終わった夜、クーラーボックスからペットボトルのお茶を取り出すオレの隣に、啓介さんがいつもよりほんの少しだけ距離を開けて立っている。それが約束で、普通のはずなのに、いつもと違うってなんか不思議な感じだ。
「今日は大人しいっすね」
「あ、なに、寂しい?」
「べ、別にそんなんじゃねーっす」
がばっと腕を広げる啓介さんを避けるように後ずさって構える。
けれど啓介さんがそれ以上迫ってくることはなくて、オレはつい薄目で様子を探る。
「今なんかしたら、大事なものを失くす気がする」
「なんですかそれ」
「……自制心」
深刻そうな声音とは真逆のその言葉が妙に照れくさくて、「何言ってんだ」と捨て台詞を残して啓介さんに背を向けた。
その途端、いきなり腕をつかまれた。
視線のずっと向こうでは松本さんと史浩さんが談笑している。荒立てて気づかれるのも気まずいけど、この状況も落ち着かない。
そんなオレの戸惑いを知ってか知らずか、啓介さんはゆっくりとオレの耳元に唇を寄せた。
「明日のバトルまでもつかな、オレ」
「し、知らないっすよそんなん」
背中に感じる体温と掠れた声に体が熱くなってくる。
つかまれている腕を振りほどいて逃げてしまいたいのに、金縛りにあったように足が動かない。緊張で鼓動が速くなってくる。目を閉じて耐えている隙に、啓介さんの手がオレの口を覆った。気づいた時には手遅れだ。
ちり、と焼けつくような小さな痛みが首筋に走った。
「ア、ンタ何考えて……ここ、外っ」
口元にある啓介さんの手を引きはがしながら振り返ると、啓介さんは真面目な顔で、「失くす前に捨てちまおうか」と呟いた。
何を、なんて聞くまでもなかった。オレは慌てて啓介さんの腕から逃れて松本さんたちのもとへ走った。そこならさすがに安全だと思ったからだ。
「藤原、この後おまえもメシ行くか? ってファミレスだけどな」
松本さんの質問に答えようと口を開くと同時に再び啓介さんの手に塞がれてしまって息が吸えなくなった。
「わりぃ、オレらこれからちょっと」
「そうなのか?」
いつもは先陣を切って皆を誘導するのにと、不思議そうな顔で史浩さんが答える。
「い、いえっ、大丈夫です。行きます。ね、啓介さんも行きますよね」
見えないように肘鉄を食らわせ、不埒なたくらみを何とか阻止しようという笑顔なのに目が笑っていないだろうオレに、啓介さんが軽く顔を引きつらせて渋々ながら同意した。
史浩さんは若干険悪なムードが漂っていたオレたちの返答に胸をなでおろしたようだった。
涼介さんも加わって、五人で近くのファミレスに立ち寄った。
広いテーブルが空いてなくて二つの席に分かれることになったのを最後尾でぼうっとしていたオレは気づかず、啓介さんに腕をつかまれて二人用の狭いテーブル席に連れて行かれた。
「ちょっと、いちいちつかまなくても逃げませんって」
やっと解放され、これみよがしに腕をさすりながら席につくオレの顔は少し赤くなっていると思う。
「何にする?」
啓介さんはテーブル一杯になるほどのメニューを嬉しそうに広げる。最初のころは遠慮していたオレも、素直に奢られることを覚えた。
特にプロジェクト絡みの場合は涼介さんの無言の後押しもあるおかげだ。だけど啓介さんと二人きりのデートの場合はきっちり割り勘を貫いている。そんな付き合い方新鮮だって啓介さんは笑っていたけどそれが自分なりのけじめだ。
「あ、じゃあオレこれにしま……、!」
言いながら顔を上げたオレのすぐ目の前に啓介さんの顔がある。またやられた、オレは瞬時にそう思った。
やっと気づいたときの顔を見るのが止められないって啓介さんが笑いながら謝って、オレは決まって顔を真っ赤にしながら「何考えてんだ」と抗議する。
これも今ではお約束のひとつになっている。なんでオレは毎回同じ手に引っかかってしまうんだろう。何度目かのときに、こんなくだらないことでも啓介さんの笑顔が見れるならいいかって思ってしまったからなんだろうか。
本人には絶対に内緒だけど。
「はい。あーん」
「絶対やだ」
「あーん」
「いやだって」
「これけっこう美味いぜ、藤原」
運ばれてきた料理を、啓介さんが食べさせようとしてくる。
あくまで自分で食べると啓介さんの手からフォークを受け取ろうとするけど、オレに劣らず啓介さんも譲らない。強引に口元に押し付けられたサイコロステーキを、オレは観念したように口に入れ、啓介さんの手を押し返した。
啓介さんは嬉しそうにオレを眺めている。すっげー恥ずかしいから、こっち見んなって言いながらおしぼりを投げつけた。
少し離れた席から二人の様子を見守る三人は、皆同じような表情をしていた。
「あいつら、いつもああなのか」
涼介のため息まじりの一言に、松本と史浩が苦笑する。
「まあ、ギスギスして走りに悪影響があるよりは、なぁ?」
「そうですね。お互い、いい刺激になっていると思いますよ」
史浩の問いかけに、松本が穏やかな笑顔を浮かべた。
彼らの目を見張るほどの成長を考えれば、付き合いを認めるという自身の選択が間違っていたとは思わない。走りに影響がなければ目をつむるしかないが、兄としての心境は複雑だ。
感情を素直に表現するほうだとは思っていたが、ここまでスキンシップ過剰な弟を見るのは初めてだった。人目のある店内でこれなら、二人の時はいったいどれほどか……涼介は考えることを放棄した。
コーヒーカップに口をつけながら、ふとダブルエースのテーブルに女性店員がいるのに気がついた。見たくもないのについ見てしまうのはなぜなのか。水を注ぐだけなのにやたら時間をかけているような気がするのも気のせいか。
そしてその店員と何やら会話をしているらしい弟に膨れっ面を向けているもう一人のエースに、同じテーブルの二人も気が付いたようだ。
「……ごちそうさまってやつか」
史浩の一言とコーヒーのぬるさに、涼介は眉をひそめた。
2015-05-15
サイト3周年記念のリクエスト。「啓介があまりにも拓海ラブで周りがいらぬ心配をする」でした。リクありがとうございました! back