Valentine's Day
あのとき一度だけ触れた唇が想像以上に柔らかかったのを今でも覚えている。
熱くて、だけど。
器用に口の端に咥えられた煙草を煙そうに見るふりをして、けして視線が合わないように注意して、唇から鼻筋……長い睫毛……その横顔を焼き付ける。
だけどどうかこっちを見ないで。その目に見つめられると、どうすればいいか分からない。
肩が触れないこの距離を、届きそうで届かないこの距離を、望んだのはオレのほう。差し出されたその手を取れなかったのに。
だけど恋をしている。
誰かを必要としているならそれが自分であってほしいなんて。今でも自分を好きでいてほしいなんて。
「何?」
あからさまにじっと見すぎていたようで、気付かれてしまった。
こっちを見ないでほしいのに、その目に映る自分を探してしまう。
「いえ……すみません……」
慌てて目を逸らす。手持無沙汰な両手の指をいたずらに擦り合わせたりして。
「変な奴」
薄く笑いながら大きな手が髪の毛をかき回して、心を乱していく。心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと不安なのに、振りほどけない。
頬の熱さは伝わりませんように。
「あのさ」
頭の上で止まった手が、やんわりと上を向かせるように動くとそのまま肩に降りてくる。
視線の先には恋してやまないその顔がある。真正面から見つめられれば、動けない。肩に触れているのとは反対側の手で煙草を落とすと、流れるような仕草でポケットへと移動し、
そのまま目の前に差し出される。その手の中には、小さな包み紙。きれいにラッピングされたそれはバレンタインデーの贈り物らしいのが見てとれる。
「…………」
何でですか、と言っているつもりだったのに声が出ていなかったみたいで唇が震えるだけだった。
しばらく無言で見つめた後、決心したように少し大きめに息を吸い込む姿をただ見返すしかなかった。
「前も言ったけど、オレは藤原が好きだ」
「…………」
「藤原が言うこともわかるし気持ちを尊重したいって思ってたけど、やっぱりはいそうですかって諦めるのは無理だ」
半ば強引に握らされたその小さな包みに、震える指を添える。確かにそこにある、啓介さんからの気持ち。
一度は距離を保とうと申し出た手前、やっぱり本当は好きだなんて言えなかった。
なのに、開けようとした距離をこんな風に縮めてくれる啓介さんには、やっぱりかなわない。
「あ…ありがとうございます……嬉しい……」
うつむいて涙をこらえて、そう言うのが精いっぱい。
肩に置かれたままの啓介さんの手のひらから、じんわりと熱が伝わる。その手に触れて、確かめる。
ちゃんと気持ちを伝えたいのに、言葉が出てこない。触れているところから全部、自分の気持ちが伝わってしまえばいいのに。
「藤原」
呼ばれて顔を上げると、唇に何かが触れた。とっさに体を引こうとして、力強い腕に背中を捕われていることを知る。
ゼロになった距離、空を切った自分の腕が落ち着くのは啓介さんの背中しかない。
この感触を今でも覚えている。
想像した以上に柔らかかったこと。
あのときよりさらに深く重なるそれは初めての領域。
熱くて、だけど……。
「……苦い」
啓介さんのキスは、その日からしばらく煙草の味がしなかった。
2012-02-14
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