WANT ME

 うだるような熱帯夜のせいもあるのかもしれない。
 プラクティスでたまたま啓介の後ろについて走ったせいもあるかもしれない。
 グラマラスなボディラインを追いかけて走るうちに、体の中心に熱が集まってくるのが自分でも分かった。またか、とどこか冷静な自分も存在している。走る二台がもつれ絡み合うようなイメージを俯瞰している自分がいる。
 最初に啓介と成り行きで走ったときも、二回目のバトルのときにも感じたことだが、あの夜目に鮮やかなイエローを追いかけるのが楽しい。
 追いつきたい。突き放されたくない。追い抜きたくない。まだまだずっと走っていたい。 走っても走っても手の届かないような、やっと手が届いても指の間をすり抜けていくような、そんな不思議な感触がある。それを自覚するたびに、啓介の存在が自分の中でごまかしようもないほど大きくなっていることを知る。 チームメイト以上の関係になどなりようがないのに、なぜこんな気持ちを持ってしまうのか。いつからそんな目で啓介を見ていたのか。考えても仕方のないことが、出口もないままぐるぐると心の中に沈殿している。
 啓介の走りに体が反応する。こんなことが初めてではない自分に戸惑いを感じながら、解散の合図とともにハチロクに戻り、逡巡して山頂にある公衆トイレへと車を走らせた。家に帰るまで待てないことは珍しかったが、今夜は一段と熱がこもっている。
 ハチロクを降りて小走りに向かうと後方からロータリーサウンドが響いてきた。びくりと体を止めて振り向くと眩しいイエローのボディが拓海のすぐ横で停車した。降りてきたのはもちろん啓介だった。 ぎらついた目に、少し顔が火照ったような赤みを持っていた。
「何してんだ、藤原」
「あ、……いえ、啓介さんこそ」
「あー……もしかしたらおまえと同じかもな」
 FDの助手席側にいた拓海が隠れるようにしてTシャツの裾を引いたのを目敏く見つけたのだろう、啓介が少し口角を上げてそんな言葉を発した。見透かされたのかと思った。拓海は後ろめたさも手伝って頬がカッと熱くなるのを感じた。
「そういう日もあるよな。オレも同じだ」
 肯定しているようなものなのに、赤くなるばかりで何とも答えられずただただうつむいていた。
「ちょうどいいや。手ェ貸せよ」
「えッ!」
 クイ、と顎をしゃくって啓介は足を進めた。あまり見せない啓介の笑顔のせいで拓海はのっぴきならない状況に追い込まれた。 動揺しながらも何かに操られるように足が前に出てしまう。啓介は一度振り返り拓海がついてくるのを確認すると一番奥の個室の扉を開けた。
 まさか、と思った。
 自分をライバルだと公言し、敵意とも熱意ともつかない視線を投げかけてくるあの啓介とまさかこんなことになるなんて、と。 気まぐれでも何でもいいからなんて捨鉢に自慰に耽ったこともあるが、それが現実に起こる可能性など微塵もなかったはずなのに。
 建物の入り口で足が止まる拓海を、啓介が引っ張り込んだ。 赤いシャツの胸元に顔面を強打し、両手で鼻を押さえると頭上からクスクスと笑い声が漏れてきた。
「緊張しすぎじゃねぇ?」
 拓海の肩口に顔を埋めた啓介が、さっそくベルトを外している。音がやけに響く気がしてさらに緊張が高まる。 それなのに拓海は自分の分身が萎えるどころか荒い吐息にさえ敏感に反応して、今すぐここから出してくれと訴えてくるのを感じていた。
「だ、だってあの、啓介さ……わわっ」
「ほら、遠慮すんなよ」
「け、啓介さんって男もいけるクチだったんですか」
「オレも今知った」
 啓介は拓海のジーンズに手を掛け、さらには下着の中に手をつっこんでひっぱり出してしまった。
「すげーカチカチ。若いせいかな」
「うわわわっ」
 啓介の分身が拓海の分身にすり寄ってきた。 ちょっと待ってと言う暇すらなく、頭は真っ白のままで啓介の片手に腰を抱かれているこの状況に思考が追いつかない。
「おまえも触って」
 耳元で掠れ声を出す啓介に、拓海の心臓は破裂しそうなほどに暴れ出している。 どうしようと気が焦るばかりでちっとも体が言うことを聞かない。
「ほ、本当にするんですか? オレですよ?」
「一人ですんのそろそろ飽きてきた。おまえもダチと抜きあうくらいすんだろ?」
 艶めかしい笑みで聞かれても答えようがない。そんな性にあけっぴろげな友人はいないし拓海自身もそうだった。もしかして啓介にとっては男同士で触り合うことくらい、たいしたことではないというのか?
「心臓の音すげーな」
 はっと熱い息を吐き、手を上下させ始める啓介の表情に、拓海は心臓が握りつぶされてしまうような錯覚を覚えた。息ができない。胸が痛い。こんな表情は劇薬だ。 それでも視線を外せず、拓海の肩に頭を乗せて目を細める啓介の熱源に恐る恐る手を伸ばしていく。焦れたように手首をぐっと掴まれ昂ぶりを握らされた。
「ぁ……イイ、ぜ、藤原もっと」
 啓介の小さな声が零れた。 その一言で拓海の理性もガラガラと音を立てて崩れ落ちた。啓介の望むように手を動かして、お互いのものをこすり合う。
「ぅ、あ……は、ン……っ」
 夢ではないのかと思う。夢であればと願う。 だけど啓介の熱が、匂いが現実を突き付けてくる。これ以上持ちそうにない。今にも射精してしまいそうだ。眩暈がしてトイレの壁にもたれかかると啓介が拓海の背中を抱き寄せた。啓介の放つ香りがいっそう鼻孔をくすぐる。
「ゴメンな」
 そう言って啓介は拓海の唇を塞いだ。自分の身に起きたことが理解できずにいるうちに拓海の口内に啓介の舌が侵入してくる。上顎を擦られ、拓海は耐えきれず啓介の手の中に白濁を放った。
「ん、ん……ッ、はぁっ、はぁっ」
 薄く開いた唇に、啓介の唇は触れたままだった。上唇の内側を舌先で撫でられ、鼻から甘い息が抜けていく。視線を感じて目を開けると啓介がじっと拓海の赤い顔を見つめていた。
 キスだけでイってしまった。それだけでも十分恥ずかしいのに啓介に見られていたと知り、ますます羞恥が拓海を襲った。
「あ、す、すいませ……っ」
「藤原、イイ匂いする」
「えっ、いやそんな、汗臭いだけですよ」
 首筋に鼻を寄せられ、思わず腕をつっぱって啓介の体から離れた。正面からばっちりと発情した顔を目撃してしまい、拓海は何も言えなくなった。 ゆったりとした動きで啓介に再び抱き寄せられ、後頭部を押さえるように大きな手が髪に触れた。汗ばむ首筋が頬にあたり直接触れ合う肌から熱が伝わる。
「藤原の声、けっこうクる」
 今度は耳を舐められた。 驚いて上擦った声が漏れてしまう。啓介の肩で口を押さえるようにしがみついた。啓介は耳元でフッと笑ってまた拓海の手ごと熱いペニスを扱きあげる。手のひらに液体が放たれるのを肌で感じながら、拓海はギュッと目を閉じた。

 冷たい水で手を洗い、ついでに熱い顔もばしゃばしゃと水を浴びるように洗った。先に表に出ていた啓介は煙草に火を点けている。頼りない外灯に照らされた啓介の背中を少し離れた場所からじっと見ていた。 ふいに振り返った啓介が煙草を持つ手で頭をかいている。何か言わなければと思うのに、言うべき言葉が何も思い浮かばない。Tシャツの袖で濡れた顔を拭いながら足を踏み出した。
「サンキューな」
 照れ笑うような顔で啓介がそんなことを言う。さっきまでの光景が目に焼き付いて離れないせいで、まともに顔が見られない。いえ、とだけ答えて視線を外した。 思えば誰もが知ることのできない啓介の一面を見せてくれたというのに、せっかくのチャンスを堪能する余裕もないまま達してしまって、今さらながら惜しくなってくる。
「藤原」
「は、はい」
「またやろうな」
「……え」
 まさかな、という思いがきっと顔に出ているだろう。本気にするなよと笑われるんじゃないかと身構えてしまう。だけど啓介は薄く笑って煙草を咥えると拓海の髪をくしゃりと撫でてFDに戻っていった。 夜風が頬を通り過ぎていく。夏の風が冷たいと感じるくらいに、拓海の顔は熱を持っていた。

 どうやって帰り着いたのか、正直覚えていないくらいにボーっとしたまま拓海は自分のベッドに突っ伏した。あと数時間もすれば豆腐の配達に出る時間だ。それが終われば今日は仕事がある。 少しでも体を休ませようにも啓介の笑顔が瞼の裏にこびりついて離れないせいで眠れそうにない。息遣いも熱も匂いもすべて覚えてしまった。目を閉じても振り払えない。たまった熱を放出したはずなのに、まだ燻る何かが腹の奥で渦巻いている。 そろそろと指を下ろし、ジーンズの上から膨らんだそこに触れてみる。
(……啓介さんが触ったんだ)
 そして自分も啓介のものを、というより他人のものを初めて触った。改めて思い出すと恥ずかしいことこの上ない。 枕に顔を押し付けて叫びだしそうな心を落ち着ける。
(デカかったな……熱くてずっしりしてて、そんで、びくびくってして)
 よせばいいのに考え出すと止まらなかった。生温かい精液の感触までばっちりと覚えている。 仰向けに寝転んで右手をかざす。
(この手で啓介さんのを触って、イかせて、……それに……キス、したんだ)
 拓海は羞恥のあまり両手で自分の顔を覆った。早漏と思われたかもしれないがこの際それは仕方ない。 実際光の速さで達してしまったのだから。だけどまさかの連続で心も体も追いつかなかった。ただプラクティスで高ぶった感情を吐き出して落ち着こうとしていただけなのに。
(またやろうだって……本当かな)
 本気になどしていない。だけど期待する気持ちも止められない。きっとただのリップサービスだろうけどもしまた今日のようなことがあったらどうしようなんて思っている。 ほぅと息を吐いて壁に向かって寝返りを打った。寝たままジーンズを脱いで下着の中にゆっくりと指を滑らせる。啓介が触れたそこがまたゆるく勃ち上がりはじめ、拓海は小さくため息をつきながらも啓介の顔を思い出していた。

 自分でもどうかしてると思っている。
 最初のうちは手で抜き合うだけの、ただ熱を発散するためだけの行為だったはずなのに。回を追うごとにエスカレートした行為が、今ではホテルでセックスするまでに至っている。
 男同士でどうなのかと自問する日もある。捌け口でもいいからとこの不毛な関係に甘んじているわけでも自棄になっているわけでもない。だけどそれより啓介を好きだという感情が先に立つ。触れられたいと思ってしまう。 誘われれば断れないし、拓海から誘うこともたびたびあった。啓介からの誘いが尽きないということは啓介も同じように感じてくれているのではないかと思うと、もう止めましょうなんていう言葉が言えないままだ。 それどころか気持ちを伝えてしまいたくなる自分に焦り、ロクな会話も交わせないまま何度も体を重ねてしまう。
「藤原」
 耳元で名前を呼ばれると、どうしようもなく体が悦ぶ。背中に覆いかぶさる啓介の体がぴたりと寄り添い、太腿の間で熱塊が行き交う。
「啓介さ、ん、アッ……も、ぅ」
「ん? も、イク? いいぜ」
 掠れた声に煽られる。乳首をつままれ、耳の中に舌を入れてまさぐられると自らのものを扱く手の動きが激しくなってしまう。パタパタと音を立てて精液がシーツに飛び散った。 体を支えていた腕の力が抜けて枕を抱き込む。啓介の熱はまだ拓海の脚の間で行ったり来たりを繰り返している。腰を押さえられていなければ体が崩れ落ちそうなほど快感の余韻に浸っていると急に体を転がされ、啓介の眼前に晒された。
「わ、だ、だめですって」
 男の体を目の当たりにして萎えてほしくない。慌てて枕で体を隠そうとする拓海の手を、啓介がぴしゃりと跳ね除けた。 上気した肌と、射精してなお少しの硬度を残す芯の部分を舐め回すように見つめられ、拓海はたまらず両腕で顔を隠す。
 啓介は軽くため息をつくと拓海の両脚を抱え、まるで挿入しているかのような腰の動きを次第に速めていった。拓海の腹に浴びせるように射精するまで、垂直に持ち上げた拓海の脚をぎゅっと抱きしめていた。 解放された脚が崩れ落ちるように力が抜けていく。腹にかけられた精液を指先で拭っていると、啓介が拓海の足首を掴んで指の付け根に舌を這わした。
「ンなッ?!」
 驚きすぎて変な声が出た。 啓介に何をしているのかと視線を送れば、さらに足の指を口に含まれてしまった。指の間に舌を差し込まれ、ビリビリと電流のような痺れが走る。
「や、やめ……ッ、汚、いからっ、ぁあっ」
 そんなところが感じるなんて知らなかった。ひっきりなしに声が上がるのを抑えられない。手を伸ばしても啓介は一向に止めようとはせず、土踏まずやかかとまで舐め回している。左足が終わったと思ったら今度は右足に移った。 暴れると啓介の顔に蹴りを入れてしまう気がして思うようにバタつけなかった。指先が口に含まれていくのを視線が追ってしまう。啓介は拓海の目を見つめたままで指を一本ずつしゃぶる。アクセルを踏むたびに思い出してしまいそうだ。 啓介に見られているというだけで体が熱くなるのに、赤い舌が見え隠れすると自然と息が上がってしまう。ちゅぽ、と音がして啓介の舌が離れると冷やりとした風を感じる。 拓海は啓介の愛撫から逃れたい一心で体を丸めるようにして膝を抱き込むと、啓介は構わず拓海の体側を下から舐め上げてくる。
「うはっ、や、ちょっと……くすぐったッ」
 くすぐったいのか気持ち良いのかもはや判別できないほどに体が敏感になっている。胸の横に強く吸い付かれただけでもピクリと反応してしまう。甘えるように頬に口づけられると照れくささにノックアウトされそうだ。 うつ伏せにされ、啓介の唇は背中一面をあちこちに散らばりながらゆっくりと下方へと移動する。肩甲骨を甘噛みし、背骨の窪みを舌で辿る。時折吸い付いて、チュッと音を立てられる。拓海は指を噛んで声を堪えた。
「藤原ってさ」
 背後から抱きしめられ、鼓動が跳ね上がった。熱い体が重なって、啓介の心音が伝わってくる。
「抱き心地良いよな。クセになんだよ」
「そ、……っすか」
 なぜだか無性に胸が苦しくなって、切なくなってきた。息を吐くだけで唇が震えてしまう。うなじや頬に口づけられると目に熱いものがこみあげてくる。 拓海の中で啓介が占める割合が大きくなって、何ものにも代え難い存在になっている。
「キス、していい?」
「そ、んなん聞かないでくださいよ」
 期待するつもりも見返りを求めるつもりもないが、こんな風に扱われれば、ただ後腐れなく性欲を発散できる相手だと思われていないんだと考えてしまう。都合の良い夢だと言われようと、そう感じてしまうのだ。 好きだと伝えて楽になってしまいたい気持ちと、この温もりを手離したくないという打算的な思いがせめぎ合っている。
「……いい?」
 耳までが熱い。これ以上耳元で囁かれると達したばかりだというのに再び勃ってしまいそうだ。何と答えるのが正解なのか。もじもじと太腿を擦り合わせていると、啓介が返事を催促するように頬にキスをした。
「だから……っ」
 拓海は啓介の腕の中で振り返り、自分から口づけた。
「い、いちいち聞かなくてもいいですって」
 片手で隠しながら顔をそらせる。目の端に啓介の笑顔が映った。 啓介は指先を拓海の耳に差し込み、ゆっくりと耳の輪郭を撫でていく。声が出る隙を狙ったかのように舌が差し込まれ、上顎を擦られた。拓海が啓介の首に腕を絡めて引き寄せると、啓介は拓海の体をぎゅっと抱きしめてくる。
 キスで蕩けそうになりながら、このまま時間が止まればいいのにと啓介の肩越しに天井を眺めていた。

「あれ、藤原いつもと感じが違うな」
 開口一番、松本が拓海の髪を見ながらそう言った。
「え、そう、……ですか?」
 今夜はラストバトルに向けて決起集会を兼ねたプロジェクトDでの飲み会だ。 それなのにさっきまで啓介と抱き合っていた。自分の大胆さに呆れるも、きっとDでの活動が終われば啓介とのこの関係も終わるに違いないと拓海は考えていた。 だからこそ触れ合える少ない時間を逃したくはなかった。松本は深い意味もなく言っただろうに、背後にいる啓介を意識してしまって上手く答えられない。拓海は風呂上りに啓介がセットしてくれた髪を指先でいじりながら照れ笑いを浮かべた。
「だいたい揃ってるな。涼介は少し遅れるみたいだから先に始めるか」
 松本の隣にいた史浩が切り出した。居酒屋の個室ではケンタが率先して注文を始めている。手前の空いた席に腰を下ろすと、啓介が拓海の左隣を陣取った。
「あ、啓介さんそんな端っこじゃなくて真ん中来てくださいよぉ」
 ケンタの声に、拓海もうんうんと頷いた。啓介は後でな、とケンタに向かってひらひらと手を振って答えた。 驚きを隠せず啓介を見つめていると、啓介は拓海に向かって口を尖らせた。
「何、嫌なのかよ」
「や、そうじゃない、けど」
 勝手に赤くなる顔を隠したい。うつむく拓海を啓介は小さな笑みを浮かべて見つめた。
 時間とともに空の瓶が次々に増えていく。リーダーである涼介がまだ到着していないというのに一人、また一人と出来上がっていく。 FD班のメカニックとケンタは何やら渋い顔で議論を交わしているし、史浩と松本は赤い顔で涼介の噂話に花を咲かせている。拓海はノリと勢いで掴まされた焼酎をちびちび消化している。 父親は毎晩のように飲んでいるのに、息子の自分はアルコールにはさほど強くないようだった。ふわふわとした浮遊感に気持ち良くなってきて、まるで啓介と抱き合うときのような感覚だと思った。ほのかな甘さを含んだ温かい気持ちが湧き上がる。
「啓介さん、この子、どうっすか! 啓介さんにぴったりだと思うんすよ」
 携帯電話の画面に出した写真を見せながら、ケンタがテーブルに乗り上げている。
「合コン、セッティングしていいっすよね。啓介さんなら速攻お持ち帰りオッケーっすよ」
 酒のせいもあるのか楽しそうに今度は宮口にも写真を得意げに見せている。 拓海は心地良い酩酊感を氷水をぶちまけて台無しにされた気分に陥った。
「はー? ンな軽いのがぴったりってどういうことだよ」
 グラスを傾けながら啓介が不機嫌そうに答える。
「オレも参加しようかな」
 やけに艶めいた低音が頭上から降ってきた。声がしたのは個室の入り口からだった。顔を向けると少しだけ困ったような笑顔の涼介が立っていた。
「涼介さんまで来ちゃったらオレらただの添えものじゃないっすかー」
 アハハハとケンタが自嘲気味に話している。興味ないくせに、と啓介が涼介に向かって軽口をたたいていた。拓海は二人のやりとりを無言で見つめていたが、涼介が視線に気づいて拓海の顔を見た。
「雰囲気が違うな」
 そう言ってすらりとした手を拓海の髪へ伸ばしてくる。あ、触れる、とぼんやりと見上げていると急に体がぐらついて涼介の手が空振りに終わった。 顔がぶつかったのは臙脂色のシャツで、鼻をつくのはもう嗅ぎなれた匂いで、拓海は啓介に肩を抱かれていることをやっと理解した。
「おまえ隙ありすぎ」
 唇を尖らせて言いながら、啓介が少し崩れた拓海の髪を器用にいじって整えている。ホテルでされたときは二人とも鏡に向かっていて後ろからだったが、少し赤くなった顔を正面に見て、拓海の顔はさらに赤みを増した。 軽いため息をついた涼介が啓介の正面に腰を下ろした。啓介とその隣にいる拓海を交互に眺めながら、腕を組んで壁にもたれかかった。観察されているような、変な緊張感に襲われた。
「あっ、藤原も行くか?」
 緊張を解き放ってくれたのは意外にもケンタだった。声のする方へ顔を向けるとケンタは鼻息を荒くした。
「正直、啓介さんがおまえばっか構ってんのが気に入らねえ。藤原には彼女作って啓介さんを解放してもらう」
 だから応援するぜとビシッと指を突き付けてくるケンタに呆気にとられ、少し間をおいてプッと吹き出した。啓介を独り占めしているつもりはなかったが、ケンタの言葉に少しだけ浮かれたのは事実だ。 そんな拓海に不満そうに眉を寄せるケンタに慌てて言い訳をする。
「オレ女の子と遊んでる余裕なんてないっすよ」
「いい心がけだな」
 涼介が穏やかに言い、フッと笑った。啓介は少し眉根を寄せて酒を飲んでいる。
「オレだって余裕なんかないっすよ、けどこの前ダチにすげーいやがらせされたんっすよ。だから女の子に癒してもらいたいんっす」
 何があったんだと一同がケンタを振り返る。 一斉に注目を浴びてうっと息を詰めるが、苦虫をかみつぶしたような顔で白状した。
「ダチが秘蔵だって言うエッチビデオ借りたら……、お、男同士のやつだったんすよぉ!」
 ワッと泣き崩れるように突っ伏したケンタに気まずい視線が送られた。啓介を敬愛している気持ちはあれど嗜好はそうではないということだったのかと妙なところで同情した。 宮口は苦笑いで慰め、史浩と松本は同情を込めた目でケンタを見やった。涼介の表情は読めないが、啓介はひとり爆笑していた。
「相手が啓介さんならまだしも。思い出すだけでケツ痛いっすよ」
 酒の勢いなのかケンタの爆弾発言に啓介は笑っていたまま大口を開けて固まった。拓海もグラスに口をつけた状態で固まった。
「てめーサムイこと言うんじゃねーよ」
「いや、けど啓介さんが望むならキスくらいやりますよ、オレ」
「望まねーしいらねーよ」
 啓介はしっしっと手で追い払うような仕草で一蹴した。
「し、しかしまあレアなもん見れて逆によかったんじゃないか」
 苦し紛れに史浩が切り出し、何事も経験だと気の毒なほど落ち込んでいるケンタの肩を叩いた。気まずい空気に染めた本人は啓介の一言で落ち込み、さめざめと両手で顔を覆っている。 拓海は、酔っぱらいとはこうも性質が悪いものかとどこか冷めた気持ちでその様子を見ていた。
「だから啓介さん合コン出てくださいよぉ。オレ彼女欲しいっすもん」
「何がだからなのかわかんねーよ」
「啓介さんいてくれたらすげーかわいい子来るんですよ」
「それじゃ目当ては啓介だろ。いいのか、それで」
 呆れたような史浩の声に、ケンタが顔を上げていかに出会いの確率を上げるのが大事かというのをくどいほど説いている。 しまいにはセックスしたいと泣き出す男を、それまで何となくイツキに似ているなと思ったのを申し訳ない気持ちになった。
「いっそ守備範囲広げて男も入れたらどうだ」
 そんなケンタに史浩が驚くような提案をした。普通に見えて、ずいぶん酔っているのかとさすがの涼介もぎょっとしたようにわずかだが目を見開いている。史浩の言葉にのっそりと顔を上げたケンタはそのまま啓介に視線を定めた。 うげっと嫌そうな表情を浮かべ、啓介は顔をそらせた。拓海はいつの間にか空になったグラスをぎゅっと握りしめていた。
「啓介さんどういうのが好みなんですかー。何なら後腐れなく遊べるような子呼んでくれるよう頼みますからぁ」
「そういうのは興味ねえよ」
 そっけない啓介の一言に、グラスを握る手がびくりと震えた。後腐れのない、遊びの関係に興味がないのだとしたら、自分の立ち位置はいったいどういうものなのだろうか。 考えないようにしていたことが頭の中でリアルになってきて、嫌な汗がにじむ。胃の中がむかむかするような不快感で、拓海は思わず腰を上げた。
「啓介はこう見えて真面目で一途だからな」
 店内用のスリッパに足を入れたところでふいに涼介が切り出し、拓海は顔だけ振り返った。 頬杖をついていた涼介は片手でグラスの中の氷をかき混ぜている。何を言い出すのかと啓介は涼介の目の前で戦々恐々としている。
「最近は特にな」
 思わせぶりにそう言って、啓介を流し見て薄くほほ笑む。 啓介はばつが悪そうに舌打ちをしてグラスの中身を飲み干した。拓海は逃げるようにトイレに駆け込んだ。
(ってことは啓介さん、彼女いたのかよ? 聞いてねーよ。じゃあオレとのアレは何なんだよ?)
 遠からず啓介との関係は終わるのだろうという覚悟とは言えない心づもりはあったはずが、洗面台の鏡に映る自分の顔があまりにひどい。
 期待するつもりがないなんて全くの嘘だ。もうずっと自分の気持ちをごまかしてきた。啓介にとっての特別になりたいと、そう願っている。だが涼介が一途だと評する啓介に、自分は何をさせているのか。 激しい後悔の中にある気持ち、これは紛れもなく嫉妬だ。頭を冷やしたくて、冷たい水で何度も顔を洗った。
「酔ったのか? 次の店行こうかって話してたけど、藤原はどうする?」
 店のネオンで照らされた史浩の背中で、まだ啓介とケンタが騒いでいる。そんな気はないのについ聞き耳を立ててしまう。
「合コンはDが終わってからでいいんですって、ね? 行きましょうよ」
「だから行かねーっつってんだろ」
「何でですか、すぐヤれるんすよ」
「そういうのマジでいらねえから」
「何でですかぁ」
 泣き喚くようにしつこく食い下がるケンタに、啓介は苛立たしげにため息をつき、煙草に火を点けた。明かりを越えて暗い夜空に白煙が上って消えていく。
「オレもう好きなやつとしかヤんねーの」
「啓介さん好きな子いるんっすか」
「藤原? 大丈夫か、顔真っ赤だぞ」
 訝しげに覗きこむ史浩に慌てて両手を振って大丈夫だと答える。
「あ、あのオレは今日はこれで、帰ります。ごちそうさまでした」
 涼介にも深く頭を下げ、二次会への出発を待つメンバーに挨拶をすると拓海はすぐに踵を返して小走りに駅へ向かった。
 ほろ酔いの体で、いきなり走るのはまずかったかもしれない。だが怖くて啓介の言葉の続きを聞けそうにない。今だけは啓介の言葉を勘違いしていたかった。自分の都合の良いように解釈して、些細な幸せに浸りたかった。
 終電には十分間に合う時間だった。弾む息をのみながら心なしか上機嫌でポケットから財布を取り出す。
「何さっさと帰ろうとしてんだよ」
「うわっ」
 突然耳元で囁かれ、小銭を取り落した。あーあと言いながら足元にしゃがむ臙脂色のシャツに心底驚いた。転がった小銭を拾い集めて拓海に差し出したついでに、啓介は拓海の腕を掴んだ。
「え、啓介さん?」
「飲み足りねえからさ、ちょっと付き合えよ」
 笑顔に誘われるまま、連れられて乗ったタクシーが到着したのは高橋家だった。 さすがに帰りますと抵抗を見せたが、家に入らないなら玄関先でキスをすると脅されて仕方なく啓介の部屋に足を踏み入れた。 立派な外観を台無しにするほどの散らかりっぷりには驚かされたが、啓介らしさがそこかしこに見て取れた。こっそりと部屋を観察しながらもわざわざ追いかけてきた啓介に何を言われるのかと気が気じゃなかった。 タクシーの中でも啓介が無言だったからだ。
「適当に座れよ」
 アイスコーヒーを片手に啓介が部屋に入ってきた途端、拓海は今まで感じたことがないほどの緊張感に包まれた。 適当に、と言われても腰を下ろせる場所はどうやらベッドしかなさそうだ。啓介はいつもそうしているのだろう迷わずベッドに上がった。拓海はぎこちない動きで啓介から少し離れた場所にちょこんと腰かけた。
「……あのさ……」
 切り出したものの先を言いあぐねる啓介に拓海は自分から切り出すべきなのか、いよいよかと息をのんだ。今夜くらいは幸せな勘違いをしておきたかったのに。そんな気持ちで啓介を見つめた。
「よく考えたら言ってなかったと思って」
 沈黙の後、啓介がぽつりと呟いた。拓海は膝の上でぎゅっと拳を握る。いざ本人の口から告げられるというのはなかなかのショックだ。 できればDが終わるまでは待ってくれないかと未練がましく考える。本当はまだ啓介といたい。だけど啓介に、大事な誰かを裏切らせ続けるわけにもいかない。 中途半端な関係でも今の自分にはそれさえ拠り所となるのだとしても、それを押し付けるほど厚かましくはなれない。
「オレ、ちゃんと分かってます」
 拓海は啓介の目を見れず、顔をそらせてしまった。 握りしめた拳の、手のひらに爪が食い込む。小刻みに震える手を、啓介が包んだ。ハッとして顔を上げると啓介の唇が触れた。きゅっと目を閉じ、押し付けられる感触に流されてしまいそうになる。 離れていった啓介の顔を、拓海は複雑な思いで見つめた。
「何その顔。藤原がいちいち聞かなくていいっつったろ」
「何で、だって……彼女がいるって……だからもう終わりってことなんじゃ」
「──。やっぱ分かってねえじゃん」
 目の前で啓介が大きくうなだれて、うなじが見えた。困惑する拓海の両肩を掴んで啓介が顔を上げ、そのままきつく抱きしめた。
「最初は正直言ってそんなつもりなかったんだけど」
 大きな手が拓海の髪を撫でている。耳に触れる啓介の頬が熱いのはきっと赤くなっているせいだろう。見たいような見たくないような、ソワソワとした気持ちが胸にあふれた。
「……藤原が好きだ」
 啓介が耳たぶに唇を触れさせながら囁くから、拓海はたまらず啓介から腕の長さ分の距離を取ってまっすぐ正面から見つめた。きっと自分も顔が真っ赤に違いない。けれど照れたような啓介の笑顔を目にして愛しさが溢れかえった。 勢いのまま啓介に抱きついて、背中に回した腕にありったけの力を込める。抱き返してくれる腕の力に、拓海の胸は音が鳴るほど締め付けられた。視界いっぱいの臙脂色をこの先きっと忘れない。 頬をすり寄せ、啓介の匂いを胸に吸い込み、熱を確かめる。
「いつから……、って聞いてもいいですか」
「んー、もしかしたら最初にキスしたときからかも知んねー」
「えぇっ?」
「藤原の声とか反応とかすげー煽ってくんだもん」
「そんな……っ」
 自分から聞いておいて、恥ずかしくて仕方なかった。嬉しいくせに素直にそう言えない。拓海は後頭部に手をやりながら散らかった部屋に視線を移す。バケットシートや角の剥がれたポスターを見上げ何とか気をそらそうとする。
「あんとき藤原は気づいてなかったかもしれないけどさ。オレもダチと抜きあったことねえよ?」
「は?」
「言ったろ、男もいけるのかって。それ、藤原限定だからな」
 あの時は状況を飲み込もうとするだけで精いっぱいで啓介の言葉の矛盾などかけらも気づいてはいなかった。
「で、でも、けっこう慣れてる風だったじゃないですか」
「ぷるぷるしてる藤原見てたら抑えきかなくなってさ。けどそうでも言わねえと手出せねぇじゃん」
 白黒つけるのにビビってた。そう笑う啓介の顔に拓海は思わず見惚れてしまった。 沈黙が流れ、じわじわと啓介の言葉が沁みてくる。手の甲で熱い頬を押さえた。
「オレ正直こういう展開は予想してなかったっていうか、びっくりなんですけど」
「さっき自覚したっつーかさ。誰にも触らせたくねえって思ったら体動いてた」
 啓介の指先が、拓海の前髪をかき上げる。居酒屋で涼介に触られそうになったときに抱き寄せられたことを思い出し、耳が熱くなった。 あの行動にそんな意味があったなんて、想像すらしていなかった。
「……オレなんかでよかったんですか」
「なんかってナンだよ」
 啓介の眉間に皺が寄り、眼光が鋭くなった。拓海は慌てて弁解する。
「いや、だからその、啓介さんなら選び放題だろうし、わざわざ男のオレを選ぶなんてって」
「オレもうおまえとしかヤんねーよ」
 両頬を包まれ、啓介に口づけられた。鼻先を触れ合わせ、すぐそばで長い睫毛が揺れている。 緊張のせいなのか分からないが拓海の体も少し震えて落ち着かない。シャツの袖からのぞく啓介の手首にそっと指を重ねた。
「藤原がいいんだ」
 言い聞かせるような優しいキスが、次第に熱く濃いものに変わっていく。
「あの、オレも……」
 ぐっと息をのみ、顎を引いて啓介を見上げる。啓介は唇を引き結んで拓海を見つめた。どこか期待を滲ませているような、熱い視線を肌で感じる。まばたきの速度に色気を感じることなど今までなかった。
「啓介さんのこと、あの……、好き、です」
 言い終わると同時に啓介が満面の笑みになり、勢いよくベッドに押し倒された。昼間に感じた温度よりもずっと熱く、拓海の体中を啓介の手が撫でている。 次第に息が乱れて顎が上がり、喉仏に舌を這わされると上擦った声が漏れた。昼間もしたのに、と止めるだけの理性はほとんど残っていなかった。デニムを膝まで下げられ、下着の中に指が滑り込んでくる。 前の弱い部分を刺激されながら、もう片方の手が後にまわっていくのを感じる。
「啓介さん……あの、どこ触ってんですか」
 拓海の戸惑ったような声に、啓介が鎖骨を舐めた格好のまま顔を上げた。
「……今度ケンタに秘蔵ビデオ借りるか」
「は?」
「聞いたことねえ? 男はココで繋がんだよ」
 ガツンと頭を殴られたようなショックに、拓海の動きが固まった。そんな拓海に構わず啓介が続ける。
「今までは素股でも十分気持ちよかったしそこまでで止めてたんだけどさ」
 むき出しにした拓海の胸に何度もキスをしながら、ショックで萎えてしまった拓海のペニスを片手でプラプラと弄ぶ。
「てことは、え、今までのは、その……エッチじゃないんですか?」
「そんなことねえよ。でも……もっと全部、藤原が欲しい」
 蕩けるような笑顔で腰砕けになりそうな台詞を紡ぐ啓介の唇が拓海のそれと重なった。
「で、でもンなデカいの、絶対そんなとこ入りませんよ」
 啓介の肩を押し返しながらベッドの上で後ずさる。啓介の口元に臍が来ると容赦なく腹を舐め回された。優しく歯を立てられ、強く吸われて赤い跡が残った。
「安心しろって。今日はしねーから」
 拓海が退いた分だけ啓介が距離を詰めてくる。行き場がなくなりヘッドボードにゴチンと頭をぶつけた拓海はなす術なく啓介に組み敷かれた。拓海を見下ろす啓介が舌なめずりをする。 ちらりと見える赤い舌に、拓海は背筋が冷やりとするのを感じていた。
「これからじっくり、ゆっくり、な?」
 まるでパブロフの犬のように、自分に欲情する啓介を見ると、体が熱くなる。 拓海の望む快感を啓介が与えてくれると体は覚えている。拓海は自分が厄介なところまで来ていることを自覚した。できれば知らずにいたかった。だけど心が欲してしまっていた。高鳴る鼓動は未知への恐怖かそれとも期待か。
 触れたらきっと、手離せない。分かっていながら、両手を伸ばし啓介の首に腕を絡めた。

2015-01-31

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