Happy White Day
さてどうしたものか。
ここは啓介からの告白を受けた後、そのまま連れてこられたとあるファミレスで啓介は店に入ってすぐに掛ってきた電話に面倒くさそうに顔を顰めて店の外で話しこんでいる。
目の前のテーブルには啓介からもらったバレンタインのチョコ……とプレゼント。ファッションに詳しくない拓海でも分かる、とあるブランドのキーケースとストラップだ。
メッセージカードも何もない。もちろん渡された時も何も言われなかった。
「……使えってことだよな」
人知れず頬を染めながら、でもいそいそと携帯を取り出してストラップを結び付ける。よし……と言いながらぶらぶらと揺らしてその存在を確かめる。それをテーブルに置くと、今度はキーケースを手につかむ。
固い感触に気付いて中を見ると、一本のキーが付いている。拓海には見覚えのない鍵だ。もちろん今開けたばかりだから自分で取り付けたわけでもない。頭上に幾つものはてなマークが浮かぶ。
見覚えのない鍵なのに、見慣れた車と同じエンブレムに気付く。
「あ……」
鮮やかな黄色い車のものと同じだ。ということはこの鍵はもしかしなくてもあの人の車のスペアキー……。
手のひらで弄びながら愛しげに見つめる。
「こんな大事なもの人に渡しちゃだめだろ……ていうか……キザだな」
どんな風にこれを付けて包んでもらったんだろうと想像してしまう。
口元が綻んでいるのを誰にも見られたくなくていつもよりもうつむいた。噛み締めるように結んだ唇に手の甲で触れる。
思い出すと恥ずかしいのに頭を占領するのは確かに覚えている唇の感触と背中に触れた腕の力強さ。背筋にぞくりと走る悪寒は気持ちの悪いものではないけれど、拓海の心をざわつかせる。
「啓介さんてキス上手いな……」
小さな独り言は手の甲に吸い込まれていく。
チョコだけならお返しにも悩まなくて済んだのにと思いながら窓の外へと視線を移し、電話の相手には見えないのに大きなジェスチャーを交えて話している啓介を眺める。
欲しいものなんてすぐに手に入れてそうな相手に、一体何をプレゼントすればいいというのだろうか。
しばらくして電話を終えた啓介が席に戻ってきた。手際良くメニューを選んで注文すると、慣れた手つきで煙草に火を付ける。真上に向かって紫煙を吐き出す啓介に拓海はお礼とともにおずおずと切り出した。
「欲しいもの?」
「ハイ。……その……これのお返しというか……」
モニョモニョと語尾が消えそうなほどの声で呟く。
「ああ。いーよ、別に。気ぃ使わなくて」
「でも、もらったままなんて悪いです」
「オレがあげたくて勝手にやったことなんだし、気にすんなよ」
「そうは言ってもやっぱり……オレにできることなら何だっていいです。オレだって何かしたい」
最後のほうは店内の喧騒にかき消されて聞き取れないほどの小声になっていた。
「ていうかオレ……何あげたらいいのかとか全然思い浮かばなくて」
啓介に正直に告白すると、ぶはっと吹き出して豪快に笑いだす。拓海はちょっとム、としてちらりと啓介を睨んだ。
「わり、そういうことな。おまえらしいつーかなんつーか。くくっ」
笑っていたと思ったら、コホンと咳払いをした啓介がまじめな顔で拓海を見つめる。またドキリと心臓が高鳴る。
「んー……じゃホワイトデーまでならまだ余裕あるし、オレも考えとくから一応おまえも考えろよな」
「……分かりました」
ちゃっかり当日デートを取り付けた啓介はご機嫌な様子で運ばれてきた料理に手を伸ばした。
結局いいプレゼントが思い浮かぶこともなく、ホワイトデー当日になってしまった。すっかり暗くなった道を待ち合わせ場所として指定された秋名湖へと急ぐ。
先に駐車場に着いていたFDの横へ滑るようにハチロクを並べる。
「よ、お疲れ」
「すみません、遅くなって……車の中で待っててくれたらよかったのに」
「いや、そんなでもねーし」
ポリ、といつも拓海がするように頬を掻くと、FDから背を離して拓海の前で立ち止まる。そして次の瞬間、ん、と目を瞑って顔を近づけてくる。
「へっ?」
予想もしない展開に、間抜けな声とともに拓海が一歩後ずさる。啓介は何も言わず目を閉じたまま何かを待っているようだ。何か、と言ってもさすがの拓海も啓介の意図に気付いているのだが。
湖から吹いてくる風はまだ冷たく、啓介の立ちあがった前髪を静かに揺らして過ぎていく。赤くなりながら、間近で見る恋人の整った顔に見惚れてしまう。
そっと啓介の頬に触れると冷やりとした感触が指先に伝わる。やはりずいぶんと待たせてしまったらしい。
手の熱を移すように包み込んで触れるか触れないかというぎりぎりのところで目を閉じ、静かに啓介の唇に自分のそれを重ねていく。寒さで少しカサついた啓介の唇は微かに煙草の味がする。
恥ずかしくてすぐに唇を離すと、至近距離で啓介と目が合う。
「もっと」
「ええっ」
「バレンタインのお返し、どうせ思い浮かばなかったんだろ? だから、もっと」
「そ、それは……」
いつの間にかがっしりと腰を捕えられてちょっとやそっとじゃ離してくれないらしい。抱き寄せられると踵が浮いて、そのまま反転してFDに背中を押し付けられた。
いつかと同じように、啓介とFDの間に閉じ込められて拓海が答える間もなくキスが降りてくる。触れるだけだったあの日のものよりは、ずっと深く親密なものに変わったけれど。
名残惜しそうに離れる唇が視界に入り、ようやく解放されたことを知る。
「……きなこの味がする」
「あっ……」
うっとりと止まった思考がその一言で再稼働する。
啓介の指摘通り結局悩みに悩んでも何をプレゼントすればいいのか皆目見当が付かず、自分でも無理なくできることに辿りついたのだった。
力強い腕から逃れ、ハチロクの助手席に置いたバッグからシンプルに包装した袋を取り出して、それをそのまま啓介に差し出す。
「オレに?」
「は、はい。うちの豆腐を使ったドーナツです……簡単なものですみません。チョコのお礼です」
「って、え? まだあったかいけど……もしかして手作り?」
「材料を混ぜて揚げただけです。さっきまでそれ作ってたから遅くなっちゃって。きなことゴマがあって……口に合えばいいんですけど」
ポリ、と頬を掻いてうつむいた拓海とは正反対に啓介の顔がみるみる眩しいほどに輝いて、何も飾らずに包装された袋を両手で頭上に掲げて「すげー!」などと言いながらきらきらとした目で凝視している。
「キスだけでよかったのに手作りドーナツって……オレって超ラッキーじゃねーか。感動で泣きそう」
「大げさな……。あー、とそれと、時間があってすげー暇で豆腐料理でもよかったらうちで晩メシ食べていってくださ……」
「ちょ、何そのサプライズ! おまえって最高!」
勢いよく抱きついてくる啓介はまさしく大型犬といった様相で、ないはずの尻尾と耳が見えたとか見えなかったとか。
2012-03-14
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