柔らかい頬 2
おぼつかない足取りの啓介を、何とか自室へと押し上げる。ご機嫌な様子でくすくすと笑いながら振り返り、拓海に抱きついて頬や耳にキスをしかけてくる。
「ン、ふじわら」
「やめ……ッ、啓介さん」
いつもの愛撫のように、熱い息を吹きかけて拓海の敏感な部分を舐め回す。肩を竦めて逃げる拓海を、啓介は許さない。部屋の真ん中で、拓海の体をきつく抱きしめたまま唇をふさいだ。
舌を吸い、唇を食み、上の歯茎を舌で擦られて拓海の膝ががくがくと震えた。
「ん、ココも気持ちいーの? エロいな」
目ざとく気づいた啓介はからかうように囁いた。誰のせいだという反論は言葉にならず、甘い息が鼻から抜けていく。
「も、いい加減に、啓介さ……っ」
腰を抱き寄せている啓介の手が、ジーンズの上から拓海の尻を掴んだ。そのまま腰を押し付けグラインドさせる。唇はふさがれたままで、抗議の声も出せなかった。
「……本当にしねーの?」
「し、ないって」
拓海が赤い顔で睨みつけると、啓介はシュンとした顔で、それでもまた触れるだけのキスをする。頬をすり寄せ、ぎゅっと抱きしめながら囁いた。
「酒くせーからいやンなった?」
「いや、とか……そういうんじゃなくて」
「じゃあ好き?」
額をつけて鼻先を触れ合わせながらじっと見つめられ、拓海の顔はますます赤を増した。
啓介は顔中にキスの雨を降らし、なあ、と猫のように擦り寄って言葉をねだる。
たとえしばらくは会ってなかったからといっても、寝入り端に電話で起こされて、できる限り眠りたいのにそれさえも我慢して車を飛ばして迎えに行くほどには好意を抱いているというのに、
さらには言葉にしろなんて我儘、これ以上は聞いてやれない。拓海はむっとしながら啓介の体を押し退け距離を取ると、コートを脱いで着替えはじめる。
突き飛ばされた格好の啓介はベッドに尻もちをつき、そのまま倒れこんだ。
「ふじわらー」
寝転がった状態で来い来いと拓海を手招きするように両手を開いて、笑顔を見せる。
スウェットに着替え終えた拓海は唇を尖らせ、その手をはねのけて啓介の隣に横になった。
「なあんだよ、ふじわらぁ。ちゅーしよ」
拓海は啓介の呼びかけを無視してうつ伏せになると、枕に半分顔を埋めてぎゅっと目をつぶった。
啓介は一向に言葉を返さない拓海の背中に圧し掛かり、うなじに舌を這わせた。
「ン……ッ」
「オレは好きだよ」
「ふ、んん……ッ」
「藤原のことすげー好き」
器用に服の中に入ってきた啓介の手が、拓海の胸元に伸びる。
手と舌が連動するように動き、拓海の体温を上げていく。アルコール交じりの熱い息が、耳をくすぐる。苦しい姿勢で振り返ると、啓介はもう一度好きだと囁いて拓海にキスをせがんだ。
拓海は観念したように、唇を触れ合わせたまま啓介の体の下で仰向けになり、広い背中に腕を回した。熱く濡れた舌を擦り合わせ、頭を交差させて口づけを深くしていく。
啓介はゆっくりと唇を移動させ、鎖骨から耳の付け根までを何度も往復してキスを繰り返す。息をひそめて甘い刺激に耐えながら、啓介のコートを脱がそうと手をかけた。
拓海の肩口に顔を埋めていた啓介の動きが止まると、力の抜けた体から規則正しい寝息と、ずっしりとした重みが加わった。
「……え?」
配達を終えた拓海が自室に戻ってくると、そこには部屋を出た時と変わらず、同じ格好のまま眠り続ける啓介の姿があった。壁を背にして横になり、拓海の枕を大事そうに抱えている。
あくびをしながら布団に入り、啓介と向かい合うように横になった。規則正しく続く呼吸には、まだわずかにアルコールのにおいが残っている。
しばらく眺めてみたものの、寝返りを打つこともなくじっと同じ姿勢で眠り続けている。そんな啓介の頬に、拓海は静かに手を伸ばした。最初は指の背で触れて、次に親指の腹で撫でてみる。
目元や耳朶に手を伸ばしても、整った顔は指の感触に歪むことはなく、呼吸のリズムも変わらない。
(全然起きねえ……)
髪を撫でても唇に触れても、鼻をつまんでみても啓介は反応を示さなかった。
拓海は生唾を飲み込み、ゆっくりと顔を近づけて頬に口づけてみた。相変わらず反応がなく、規則正しい寝息だけが聞こえてくる。
いつもなら、たとえそれが頬であろうが拓海からキスをしかければ返り討ちに合うのが関の山で、こんなふうに拓海が自分の好きにできる機会はそうそう訪れるものでもなかった。
されるがままの啓介を見ているとだんだんと悪戯心がわいてきて、拓海はもう一度キスをして啓介が起きないことを確かめると肘をついて上体を起こし、ゆっくりと啓介の顔を上向かせてみた。
枕に半分隠れていた顔が露わになると、拓海の顔は自然と綻んだ。きつい印象を与える眦は閉じられていて、安心しきった表情は心を許してくれているようで、無性に愛おしくなった。
閉じられている唇に指先で触れ、その感触を楽しむ。頬を包むと、手のひらに吸いつくように肌がなじんだ。拓海は数回瞬きを繰り返し、ゆっくりと啓介に口づけた。まずは唇を軽く触れさせ、次に少しだけ押し付ける。
力の抜けた啓介の唇の感触が気持ち良くて、食むように挟んでみると、啓介が初めて反応を示した。
「んー」
反射的に体を離すと、啓介は起きてはいないものの寝返りを打って仰向けになり、片腕をあげて顔を半分隠してしまった。
拓海はドキドキとうるさいほどの心臓を服の上から抑えながら、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
(あ、危なかったぁ……)
目を覚まさないのを確かめながら、せっかくの寝顔を隠してしまっている啓介の腕を退かしてみる。
懲りずに頬や唇に触れ、髪にも指を差し入れる。暖房もない寒い部屋で、拓海はひとり自分の体温が上昇していくのを感じていた。
「……啓介さん」
吐息で名前を囁いて、もう一度口づけた。
「…………」
射抜くような視線も、力強い抱擁も、体を溶かすような熱もない。ついさっきまではあんなに浮かれていたのに、気持ちが高ぶっている反面、なまじ寝顔でさえも整っているせいか、今度は反応のなさに物足りなささえ覚え始めた。
拓海はきゅっと口をつぐむと、今までよりも力をこめて啓介にキスをした。人が眠ろうとしているところを呼び出したのは啓介だし、配達前に人を煽るだけ煽ってさっさと眠ってしまったのも啓介なのだから、いっそ起こしてしまっても許される。そんな風に理由をつけて啓介の唇をふさぐ。
頬や首筋にも、リップ音をさせながら唇を這わせた。
「ん、……んぁ、れ、……?」
顎や鎖骨に歯を立てると、啓介が眠そうな声を上げた。ここがどこかさえすぐには思い出せない様子で、片手で髪をかきあげる。
その間も拓海は構わず啓介にキスをし続けている。唇に触れてやっと啓介が拓海と視線を合わせた。
「なにしてんだ、ふじわら……」
寝ぼけ眼の啓介の頬を包んで、薄く開いた唇に舌を差し込んだ。
酒のせいか寝起きのせいなのか、頭が回っていないらしくいつもより断然反応が鈍い。されるまま拓海の口づけを受けている。味わうように舌を絡ませると啓介の手が拓海の後頭部に回った。
少しだけ唇を離して顔を覗き込む。啓介は瞬きを繰り返して、拓海の体をぎゅっと抱きしめた。
「んー……、そうだオレ、藤原にお持ち帰りされたんだったな」
起き上がった啓介が、今度は拓海を組み敷いた。
「わっ」
「どうしたい?」
「え……」
「藤原のいいようにしてやる」
啓介はすっかり目が覚めてきたようだった。悔しいほどに整った顔が優しい笑みを見せて、拓海の前髪を梳きあげて額に口づけた。
脚を絡ませ、腰を押し付けてくる。ただそれだけなのにひどく官能的で、拓海の顔がさっと朱に染まった。
「……キス、したい」
素直に言葉を返し背中に手を回すと、啓介はフ、と笑って覆いかぶさるようにして拓海の唇をふさいだ。
歯列を割って舌を捕らえ、絡め取られた。吐く息が熱く唇を濡らしていく。
上顎を舌先でくすぐられて仰け反ると、首筋から鎖骨にかけて、啓介は舌先を尖らせて拓海の肌を舐めた。喉元のくぼみにも吸いついて、スウェットを勢いよくめくりあげると拓海の胸にかぶりつく。荒く息を吐きながら乳首を口に含み、舌で転がす。
「あ、……、ンっ」
舌で押しつぶしたり、やわく歯を立てたり、音を立てて吸ったりしながら、啓介の舌は徐々にへそのほうへ下りていく。柔らかい皮膚へ何度も吸いついては跡を残し、スウェットパンツをトランクスごとまとめて拓海の脚から引き抜いた。
「ちょ、待っ……てッ」
両膝を広げられたと思ったら躊躇なく咥えられ、背中に電流が走った。まだ柔らかかったそこがすぐに硬度を増し始め、いやらしい水音を立てながら、啓介の口の中に飲み込まれていく。
朝方の柔らかい光が差し込む部屋の中、恥ずかしくてたまらないのに啓介のその姿から視線を反らすことができなかった。
「ん、んっ、は……ぁッ」
愛撫で育ちきったペニスの裏筋を舌でなぞられ、拓海は思わず啓介の頭を両手で掴んだ。
「あ、やば、もぅ……はなし、ッ」
拓海の懇願通り、啓介はあっさりと唇を離した。
そのかわりに根元をぎゅっと握り、勢いをせき止める。内腿を舐めあげられて膝が震えた。なぜ、という目で啓介を見やれば、唇は弧を描いて、再び拓海のペニスを口淫する。
きつく吸われ上下に扱かれて達しそうになると、啓介はまた愛撫の手を止めて拓海の内腿に吸いついた。
「んぅ……ッ」
両手で自らの口を覆い、漏れ出そうになる言葉をこらえる。
汗と涙が滲んで、もどかしい刺激に息が上がっていく。
絶頂を迎えそうになってそのたびに寸止めされ、それを何度も繰り返されて全身が性感帯になったように快感を拾う。拓海は耐えきれずに涙をこぼした。
「けぇすけさ、も、イきた……ッ」
しがみつくように啓介に抱きついて腰をくねらせる。啓介は拓海の頬を伝う涙をそっと拭うと、自らの昂りを拓海のものに擦りつけた。
「ッ、ふじわら」
拓海は堰を切ったように夢中で口づけ、啓介の腰に両脚を回した。
啓介はふたりのペニスをまとめて握りこみ、限界へと追い上げていく。小さな呻きとともに拓海の体がびくりと震え、手のひらに熱いものが弾けた。
「はぁッ、はぁッ、……ん」
啓介はキスをしたまま拓海の手を取り自身のペニスを握らせて扱き、その動きに合わせるように腰を揺らして拓海の手の中に射精した。真っ赤に染まった拓海の頬に口づけ、ごめんなと囁いて優しいキスをした。
その後、拓海が眠りから覚めたのは、すっかり日も高くなったころだった。少しばかり感じる息苦しさに頭を上げると、自分のものではない腕が胸の前に回されていた。
腕の主である啓介は、ぴったりと拓海の体に沿うようにして同じ姿勢で眠っている。
「……ぇすけさん」
寝起きで掠れた声ですぐ後ろの男の名を呼ぶと、今度はすぐに反応があった。もぞもぞと動いたと思ったら、首筋に吸いついてきた。
「ン、……ッ」
抱きしめる腕に力が入って、息苦しいほどに締め付けられる。
「い、ってえ」
その言葉を発したのは拓海ではなく、啓介だった。
「悪い、水あるか?」
拓海は小さくため息をつきながら起き上がると台所まで下り、なみなみと水を注いだコップを手に戻ってきた。啓介は喉を鳴らしてそれを飲み、ベッドの上で座り込んで頭を抱える。
「二日酔いですね」
啓介の手からコップを受け取り、机に置いた。下を向いたまま手招きする啓介の前に腰を下ろすと背中から抱きしめられた。
「親父に薬あるか聞いてきましょうか」
「いや、いいよ。それより……もうちょっとこのまま」
拓海の肩に頭を押し付けながら甘えてくる啓介に、拓海は気づかれないように小さく笑って、巻きついた手に自分の手を重ねた。
「涼介さんは何時頃帰ってくるんですか?」
「分かんねーけど、昼過ぎには戻ってるんじゃね」
せっかく仕事も休みの日曜日、天気も良いこんな日に恋人は二日酔いで、どこかに出かけるような元気もなさそうだ。
「あー、ごめんな藤原ぁ」
「今日の昼飯、啓介さんのおごりってことでいいですよ」
「肉でもなんでも好きなモン食ってくれ」
しつこいほどに繰り返されるバードキスを受けながら、ある程度回復するまでは、狭いこの部屋でだらだらしていよう。そんな日があってもいい。拓海はそんなことを思いながら、ベッドの上で啓介に向き直ってキスをすると、正面から抱きしめた。
空が茜色に彩られていく中、高橋邸の前にハチロクが静かに止まった。拓海はサイドブレーキを引いて、助手席の啓介に視線を移す。啓介はシートベルトを外すと拓海のほうへ振り向いた。
少しばかり心配そうな表情を浮かべている拓海の頬をむに、とつまんで引っ張り上げる。拓海は無言で啓介の手をはたくと唇を尖らせ、つままれた頬をさすった。
「家、入れそうですか?」
「……あ、ああ。それより助かった。サンキューな」
ほんのわずかの間だが答えに詰まった啓介に拓海は気づかなかった。夕焼けに染まる笑顔に見とれてうつむくと、啓介は拓海の頬に手を添えて、栗色の髪にキスを送った。
「……じゃあまたな」
啓介は名残惜しそうにハチロクを降りると、指先で進行方向を指した。もう行けということなのだろう、拓海はコクリと頷いて笑顔を見せるとゆっくりとアクセルを踏んだ。
「ゴメンな、藤原」
ハチロクを見送ると、啓介はジーンズのウォッチポケットから鍵を取り出して目の前に掲げ、ぼそりと呟いた。
2014-02-07
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