FAKE 2

 拓海への思いを自覚して半年、いやもう一年か。
 例の同級生の彼女とは卒業と同時に疎遠になったと聞いても、自分の気持ちをひた隠しにしてDのときはライバルに徹し、それ以外では何でも話せる友達だったり頼りになる兄貴分だったり、ドライバーの自分達にしかわからない感情を分かち合う仲間だったり、 啓介なりに少しずつ距離を縮めてきたつもりだった。
 だけど、ぽっと出の女にあっさり奪われた。
 拓海だって男だ。そんな話、ないほうがおかしい。頭ではそうわかっているのに認めるのは悔しかった。
 下ネタを振ればすぐ赤くなるし、切り返すのもへたくそだ。たまの酒の席であっても恋愛話には全然乗ってこないし興味なさそうな顔でソフトドリンクばかり飲んでいた。 拓海はそういうのとはすっかり縁遠くなったのだと勝手に思い込んでいたから、啓介にとってはショックがかなり大きかった。 きっかけは偽者騒動のあの男たちと言うのだから、やはり骨の二、三本はへし折ってやればよかったと八つ当たりじみたことを何度も考えてしまう。
 優しそうな顔とは裏腹に意外と気は強いし、若いくせにやけにガンコじじいみたいだったり、かと思えば年相応な笑顔を見せたり背伸びをして気を使ってきたりする。 そういうギャップに惹かれたというのもあるが、一番は拓海の持っている空気感というのか、一緒にいるとソワソワしたりドキドキしたり、なのに落ち着くというか不思議と居心地がいい。 何の根拠もないのに拓海の隣が自分の居場所だという直感が啓介にはあった。端的に言ってしまえば、拓海が拓海というだけで好きだと思ったのだ。
「あの、……」
 ああ、そうだ。そういえばジュースを買おうとした自販機の前で告白されているところだった。好きという言葉を聞いて瞬時に拓海のこと思い浮かべているなんてもはや末期だ。
(あいつにはもう女いるっつーのによ)
「悪いけど今は誰とも付き合う気ねーんだ」
 そんな言い慣れた台詞にはまったく感情がこもっていなかった。自分でも分かるくらいに冷えている。小さく会釈して走り去る彼女の目に光るものが見えたって、だってどうしようもないだろう。欲しいのはあの子じゃない。
 ため息まじりにポケットから煙草を取り出そうとして、背後に誰かがいる気配に気づいた。内心ではかなり驚愕したが顔に出さないようにして暗がりをにらんだ。
「すいません立ち聞きするつもりじゃ……」
「げ、見てたのかよ」
 拓海がなぜこんなところにいるのか。そしてなぜ赤い顔をしているのかも理由がわからない。
 啓介はそっぽを向いて小銭を取り出した。理由も何も、拓海も多分この自販機が目的だったんだろう。もしかして自分を探しに来たのかと考えるなど自意識過剰にもほどがある。
「コーヒーでいいか?」
「あ、ありがとうございます」
 同じアイスコーヒーを買って手渡すと拓海はちょっとだけ気まずそうに笑った。ギャラリーに告白されているシーンを見られたのは実は初めてではないが、拓海はいつもこんな顔をする。
「ハチロクも調整入ったのか?」
「はい、足回りを少しだけ」
 啓介はその場で缶を開けて一口飲んだ。拓海が何か言いたげな空気でいるのをあえて気づかないふりをする。ちょっとは気にしてくれてるのかなんて愚かな期待もしたりしない。啓介はそう自分に言い聞かせた。
「最近、こういうの多くないですか? やっぱりすげーモテるんですね」
「そうか?」
 そりゃおまえがオンナ作ったりするから自分にもチャンスがあるって思うやつが増えたんだろという言葉はコーヒーと一緒に飲み込んだ。
「き、きれいな人だったのに」
「よく見てんな」
 正直顔なんてロクに見ていなかった。拓海でなければどんな美人でもかぼちゃと一緒だ。
「もしかして好みだったか?」
「そんなんじゃないけど」
「ま、勇気は買うけどな」
 自分には到底出来ないと思った。あからさまな拒絶を受けるくらいなら、せめてプロジェクトが続いている間は友達止まりでいい。 今はまだ近くて遠い、それでいてダブルエースでライバルという唯一無二の存在でいられるだけでいい。その先のことは、その時になって考える。
 最終的に拓海とのバトルにも決着をつけ、その時は完膚なきまでに叩きのめすくらい強く、速くなってみせる。拓海が目を離していられなくなるくらいの、絶対に忘れられない存在になりたい。そのレベルにならなければ意味がない。
「っし、残りも気ぃ抜くなよ」
 拓海に背中を向けて片手を上げ、歩き出そうとしたら呼び止められた。
「あの、今度時間取れませんか」
「え?」
「その、えっと、ちょっと話、あって」
「ナンだよ愛の告白か? いいぜどんと来いよ」
 茶化すように言うと拓海は顔を真っ赤にして全否定した。
(くっそー自分で言っておいて傷ついた。バカかオレは)
 拓海が大きく息を吐いた後わずかに深刻そうな強張った顔を見せるから、啓介もふざけた笑いを引っ込めた。
「イツキとか、池谷先輩には言いづらくて」
 そんな一言にちょっとだけ優越感を覚える自分が哀れだ。ただあの秋名のやつらに言えないってことはたぶん、女のことなんだろう。 十中八九、間違いない。啓介は、だってあいつらモテそうにないしな、などと脳内で失礼なことを思い浮かべていた。
 好奇心半分、怖さ半分。拓海の口から直接聞かされるなんて絶対にショックを受けると分かりきっているのに、でも頼りにされるのは正直嬉しいという矛盾。やっぱり末期だ。重症だ。
「また連絡します」
「わかった。待ってる」
 そう言うと拓海がすごくほっとしたように笑った。
(そんな顔見せるんじゃねえよ。抱きしめたくなっちまうだろうが)
 啓介は強張る表情を隠したくて、今度こそ背中を向けてFDのもとへと歩き出した。

 それから数日後の夜、仕事が終わった拓海から連絡があった。遠慮する拓海を説き伏せて職場まで迎えに走り秋名のファミレスに入った。そこで適当に夕食を済ませてドリンクバーの何杯目かを飲んでいるときだ。拓海が爆弾を落としてきたのは。
「あのさ、もう一回言ってくれ」
「だ、だからその、……を教えてくださいって」
「なにをって?」
「え……え、っち、です」
 聞き間違いかと思って聞き直したが、そうではなかった。確かに拓海がセックスを教えてくれと、啓介に向かってそう言ったのだ。
「い、いやいや、何言っちゃってんの藤原」
 年上をからかうもんじゃないと窘めてみても、拓海はうつむきがちにコーヒーカップに視点を合わせて黙ったままだ。
 まさか本気だというのか。だとすればこんなばかげた話はない。教えても何も、拓海はすでに付き合っている相手がいるはずだ。 こんな申し出はその相手にも、何より自分にだって失礼ではないか。練習がしたいならその相手とすればいい。いくら恋焦がれていようと女の代わりをするつもりなどない。
 それとも何か。男が相手ならノーカウントとでも言いたいのか。
「何でオレなわけ」
 理由を聞いたところできっと受け入れることはできない。頼られるのは嬉しいと言っても相談内容は想像の遥か斜め上をいっている。
「すみません、やっぱり男相手とか無理ですよね。今の忘れてください」
 そんな消え入りそうな声が、なぜか傷ついたように聞こえた。内容も内容だが、言ったそばから忘れてくださいとあっさり引いてしまう拓海が理解できず、啓介は頭を抱えた。
「忘れろっつったっておまえ……」
 最初から敵意むき出しで突っかかっていた啓介に対し、拓海は反発しつつも受け入れてくれていた。今では同じチームで切磋琢磨しているライバルにこんな頼みごとをするくらいだ。よほど深刻に悩んだに違いない。
 これまでを振り返れば、啓介が拓海を振り回したことはあっても、拓海から何かをお願いされたことなどないに等しかった。そこを考えると、己のプライドのためにまだ少年ともいえる拓海の願いを断るのも狭量な気がするし、力になれるなら手を貸してやるべきなのかもしれない。 内容が内容だけに、できないことではないというのが一番厄介だ。そんな葛藤に苛まれ、啓介は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「とりあえず出ようぜ」
 伝票を掴んだ啓介は立ちあがった。拓海も慌てて後を追ってくる。壁際に停めた愛車に向かいながら、啓介は辺りを見回す。こんな日に限って車の通りも少なく人もまばらだ。 立ち止まり、息をのんで振り返ると拓海に助手席に乗るよう促した。
「あの、怒ってます? ……変なこと言ってすみませんでした」
「いや驚いただけで怒ってるわけじゃねえよ」
 啓介はシートにもたれながらため息をつく。
「オレが断ったらどうするつもりだよ」
「ダメなら松本さんか渉さんにお願いしてみるつもりなんで、啓介さんは気にしないでください」
「……そりゃ脅しかよ」
「でもオレ、こんなこと頼めるの正直なところ啓介さんしか思い浮かばなくて」
 拓海が少し身を乗り出し、啓介の腕に触れた。 指先の感触に啓介はゆっくりと顔を上げ、拓海を見つめた。ほんのり頬を染め、啓介を見つめ返して照れたようにそんなことを言ってくるから、ぐっと心臓を鷲掴みにされたような気分になった。 こんな憎たらしくて可愛くて、だから好きでいるのをやめられない。
「ったく、しかたねーな」
 オレもとことんだな、なんてことを思いながら啓介は覚悟を決めてひとつ息を吐いた。
「いつもどうやってんだ?」
「え?」
「まずはキスな。いつもみたいにやってみろよ」
 啓介の提案に拓海は困惑したように視線を彷徨わせた。 腕に置かれたままの拓海の手に手を重ねると、観念したのかぐっと歯を食いしばり、不自然なほど唇を突き出して口づけてきた。すぐさま離れていった拓海の赤い顔を目にして啓介はため息をつきながら後頭部を掻き毟った。
「おまえ運転以外はまるっきりだな」
「どういう意味ですか」
 むくれる拓海の顎に指を添え、そっとキスをした。 ぱちぱちと音が聞こえそうなまばたきを繰り返す拓海の唇は、啓介が想像していたよりずっと甘く柔らかかった。離れたそこをもう一度押し付け、薄く口を開けて拓海の唇を軽く吸った。
「ン……ッ」
 拓海への恋を自覚してから何度も触れてみたいと思った。 皮肉にもそれが今こんな形で実現している。理由は心底不本意だったが、叶うはずのない相手とキスができるのだから役得と言ってもいい。これから先こんな機会は絶対にないはずだ。 どうせこの一度きりしかないのなら存分に触れてやろう。そんなことを思った。
 拓海の頬に右手を添えて、唇と舌で味わうように優しく抉じ開ける。 奥に縮こまる舌を絡め取り、震える舌の裏側を擦るように舐めてやる。満足にキスも返せない初さを心に刻みつけておこう。
 無意識なのか拓海の手が啓介の腕をぎゅっと掴んだ。きつく閉じた目や赤い頬を見つめながら指通りの良い髪を梳く。 小さくこぼれる吐息に煽られ、自分を止められなくなってきた。もっと深く、濃く、拓海と触れ合っていたい。これほど気持ちを込めたキスはいまだかつてなかったかもしれない。 蕩けた視線を向けられ名前を呼ばれる。目も眩むような甘美な誘惑にいよいよ理性がもたなくなりそうだった。啓介はありったけの理性をかき集めて唇を離した。 互いの乱れた呼吸に頬が熱くなる。
「ちったぁ参考になったかよ」
 平然を装いそんな台詞を絞り出す。濡れた唇を指先で拭い、口元を隠した。拓海から視線をそらせてつい夢中になってしまった自分に歯噛みする。
「ぜ、ぜんぜん、わかんねえっすよ」
「初心者にはまだ早かったか? あとは自分たちで練習しろよ」
「え?」
「藤原オンナいるんだろ。やってりゃそのうち慣れてくるから」
 嫉妬のせいで意地悪な物言いになってしまうが止められなかった。拓海を横目で見ると赤い顔がみるみる青くなっている。啓介は気まずくなってまた視線をそらせて窓の外を見た。相変わらず人通りは少なく、頼りない外灯が点滅を繰り返していた。
「……オレに彼女がいるって思ってるのに、なんでこんなキスするんですか」
 拓海の声は震えていて、啓介は胸が痛んだ。何でと言われれば好きだからとしか答えようがない。
「藤原が教えてくれって言ったんだろ」
「オレのせいにするんですか」
「そういうわけじゃねえけど」
「啓介さんは、オレが付き合ってる相手がいてもこういうこと平気でできるって思ってるんだ」
「そんなことねえよ。けど藤原がオレにこんな頼みごとするなんてそれくらい必死っつーか切羽詰まってるんだと思ったから」
 言い訳にもならないことを口にしながらあれこれと言葉を探すがどれも説得力は皆無だった。 拓海の視線に耐えかねて下唇を噛んだ。
「女の代わりなんて勘弁しろよって思ったけど、でも他のやつとなんて……それならオレがって思うだろ」
「代わりじゃない。……オレが、素面の啓介さんとキスしたかったから」
「……え」
「他の人に頼むつもりなんてないですよ。でもそうでも言わないとしてくれないって……ったから」
「お、おい」
「オレは啓介さんが酔ってキスしてきたのを嬉しがったり、告白断ってるの見て喜んじゃうような自分勝手でサイテーなやつなんですよ」
「ちょっ」
「だいたいオレ、あの子と付き合ってるなんて言ったことない」
「は?」
「そりゃ確かにたまに会ったり、可愛いなとは思いますけど」
「ふじ」
「練習しろってなんだよ。あんな言い方ヒデーっすよ」
 だんだんヒートアップしていく拓海に口を挟む隙がない。啓介はいろいろと確かめたい発言を頭の中で書き留めながら拓海の顔を両手でつかんだ。
「おい落ち着けって藤原!」
 やっと口を閉じた拓海が啓介を見上げてくる。見つめ返すと何度かまばたきを繰り返し、啓介の目を覗きこんでくる。その大きな目にはかすかに涙が浮かんでいた。親指で拭ってやりながら拓海の言葉を反芻する。
「あのさ、酔ってキスしたって、いつの話?」
「覚えてないんですか」
「う、ごめん……」
「松本さんも史浩さんもされたことあるって言ってました」
「あー……」
 思い当たる節はある。だからと言って自分の覚えていないところですでにこの唇を堪能していたのかと思うと啓介は心底過去の自分を恨みたくなってくる。最初で最後と息巻いたのに、まさか二度目だとは知る由もなかった。
「あんな濃いのしといて忘れるくらいならべろべろになるまで飲むのやめろよな」
 拓海はムスっと唇を尖らせて視線をそらす。
「冗談じゃないっすよ。もしかしてってオレ、バカみたいに期待してすげー悩んだのに。あんたは酔っぱらったら誰にでもするっていうんですか」
「いやさすがに見境なくってのはない……と思うけど。てか、なぁ、なんかさ、やきもちっつーか、オレのこと好きだって言ってるように聞こえるんだけど」
 こんな物言いはイチかバチかの大博打だった。緊張のせいか啓介の声は掠れていた。拓海は何も答えないが、どんどんと熱くなる頬が雄弁に気持ちを物語っている。こみ上がる気持ちに、泣きそうになってきた。
「藤原、オレはさ……」
 言葉が詰まると拓海の肩はびくりと震え、聞きたくないと言いたげに頭を横に振って目を伏せた。震える睫毛を見下ろしながら指先で頬を撫でた。
「あーやべ。すげー嬉しい」
「ンっ」
 かたく閉じられた唇に吸い付き、音も立てず何度も繰り返していると小刻みに揺れる拓海の手が啓介の手に重ねられた。
「オレも好きだぜ」
 一段と頬を染める拓海の体をシートに押し付け、角度をつけて深く口づける。 さっきよりもゆっくりと優しく舌を絡めた。上顎や舌の先をくすぐるとくぐもった声が漏れ、啓介のTシャツを握る拓海の手に力が入った。構わずキスを続けているとその手がふいにドンと背中を叩いてくる。
「なんだよ」
 不満をあらわに唇を離すと拓海がゼイゼイと大きく息を吸ったり吐いたりしている。顔が赤いのは照れているのではなく息苦しかったようだ。
「ほんと、ですか?」
「嘘ついてどうすんだ」
「啓介さんが、オレのことが……好き?」
「ああ。本当はずっと言いたかったし、言わないでおこうとも思ってた」
「な、んでですか」
 側溝のふたを踏むタイヤの音が聞こえ、啓介は拓海の頬をつまんで鼻の頭に口づけてから体を起こした。逆立てた髪に手を差し入れながら、啓介はぽつりと呟く。
「ライバルでいたかったんだ」
「え……」
 啓介の言葉を意外だと思ったのか、拓海は目を見開いた。
「惚れた腫れたで頭ン中いっぱいになってたらバトルに勝てるとは思えないし、オレ色恋絡むとけっこう情けねーから。Dが終わるまでは友達兼ライバルって感じ? でいようかなって」
 拓海の視線を避けるように口元を隠して窓の外を見る。拓海はきゅっと唇を閉じてうつむいた。
「ぜ、全部ってのはダメですか?」
「全部?」
「あの、その……友達で、ライバルで、その、こ、こ……」
「ふはっ。そこはさくっと恋人って言ってくれよ」
 啓介は照れくささと嬉しさで拓海の髪を乱暴にかき混ぜる。拓海は鳥の巣のようになった髪を両手で梳いて戻しながら不満気に唇を尖らせる。
「でも本当にオレとその……できますか? オレも男だし、ってのが、やっぱ」
 恐る恐るといった口調の拓海の言葉に、啓介は口角を上げて口づけようと体を寄せると、ふいに拓海の携帯が鳴った。
「うわわっ」
 反射的にそれを手にした拓海が表示されている画面を見て顔を赤くした。
「ナンだよ、出れば?」
 さては女かと思うと面白くない。 あからさまに不機嫌な色を乗せて言ってやれば、違いますと困ったように手を振って渋々通話ボタンを押した。
「モ、モシモシ……、はい、はい、あの、いま一緒です、はい」
 拓海の台詞に驚いて顔を見やれば気まずそうにこちらを見ていた。 指先で頬を掻きながら電話相手の話を聞いている。
「……はい、ありがとうございました」
「誰?」
「涼介さんです」
 拓海は啓介の問いにたっぷり間を取ってからそう答えた。啓介の眉根が瞬時に寄った。
「なんでありがとうなわけ?」
「それは、その、話せば長くなるんですけど、……相談に、乗ってもらったっていうか、アドバイス、っていうか」
「は?」
「啓介さんモテるし、オレもその、必死で」
「いやちょっと待て、意味わかんねえ」
「啓介さんが酔っぱらったあの日、帰ろうとしたときにたまたま駅で会って、それでその、話聞いてもらったっつーか、松本さんに頼むって言ったら絶対大丈夫だからそう言えって」
「ま、マジかよ」
 ぼそぼそと聞き取れないほどの小声で説明する拓海に、啓介は体の力が抜けてステアリングに顔を伏せた。性格的に拓海が積極的に相談したはずがない。あの兄のことだ。どうせ言葉巧みに誘導したに違いなかった。
「あー、クソ」
 偽者騒動のせいで拓海に彼女ができたのだと思っていた啓介が我を忘れるほど酒に溺れたのはあの日だけではなかった。無理やり涼介を付き合わせたことがあったような気もする。 それすらも記憶が定かではないが、きっと啓介自身が涼介にさまざま暴露したに違いない。涼介がそんなアドバイスを拓海にしてやったというなら、そうとしか考えられなかった。情けなくて恥ずかしくて、啓介は拓海の前から逃げ出したくなった。
「あの、すみませんオレが涼介さんに無理言って」
「あー違う違う、藤原が悪いんじゃねえから、違うから」
 兄の手のひらで転がされたような気分で、少しばかりやり返したい気になった。
「藤原、携帯貸して」
 拓海の手から受け取ると着信履歴から兄の涼介へとすぐさま電話をかけた。
「あ、オレ。うん、そう。おかげさまで」
 啓介の隣でハラハラとやりとりを気にしている拓海の肩を抱き寄せ、電話中にも構わず口づけた。固まる拓海に舌を絡め、抱き寄せている手で耳朶を撫でた。 小さな呻き声を上げた拓海に気を良くして、啓介は受話器に口を近づける。
「今日は出かけるんだよな。ん? ああ、うん。じゃそういうことで、ヨロシク」
 啓介は電話を切ると再び拓海に覆いかぶさった。
「なに、今の何ですか、ちょっとっ」
 拓海は青い顔で抵抗するが、それを難なくかわしてキスを続ける。頭の中では「ほどほどにしておけよ」という兄の台詞がリピートされるが、啓介は強い意志でそれを思考の隅に追いやった。
「うん? 何でもねえよ。そろそろ行くか」
「行くってどこに」
「藤原とセックスできるかどうか、知りたいんだろ?」
 真っ赤になった拓海のシートベルトを締めてやる。指先で拓海の顎をすくい上げ、触れるだけのキスをした。ゆっくりと思わせぶりな仕草で運転席に戻り、アクセルを吹かす。 ギアを入れて走り出したFDが行き着く先は、拓海の予想通りの場所だった。

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2016-2-20

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