掴むのは
怖いものがないなんてのは、何も失ったことがない奴が言うもんだ。
啓介は貞操の危機というものがわが身に起ころうとは今まで生きてきた二十一年間、頭の隅に考えたこともなかった。
「おい、……ッ、藤原」
「ん、……けーすけひゃん」
プロジェクトDの最終バトルを勝利で収め、これまでの労いと感謝の気持ちだと涼介指揮の元解散式をしたその夜。
飲み足りないメンバーを集めて二次会、三次会を繰り広げ、それでもまだ別れがたい、名残惜しいと涙に咽ぶいつものメンバーで高橋家でついには四次会まで開かれた。
この夏が終わらなければいいのに。
そう言った啓介に、毎年そう言ってるなと兄の涼介に笑われても、だけど今年は本当に心の底からそう思った。今までで一番濃くて熱い夏だった。
その夏の象徴ともいえるエースの片割れである拓海を、啓介はひと時も離さなかった。
遠慮がちで控えめで、だけどバトル本番になれば一転するそのまなざしを、もうこれほど間近で見られることはなくなるのだと思うと、目に焼き付けておきたいと思った。ボーっとしている顔も、怒った顔も、照れた顔も何もかも。
だが啓介の思惑はその拓海本人の手によって別の方向へと転じている。
「何、してんだよマジでッ」
啓介は自宅リビングのソファで眠っていた。そこまで飲んだわけではなかったはずが高揚から酒がまわるのも早かったらしい。
深い眠りに就くことはできずまどろんでいたところに、腹のあたりに何かがかぶさってくる重みを感じて上半身を起こした。そこで目撃してしまったのだ。啓介のTシャツを無遠慮にめくり上げてうっとりとした表情をする藤原拓海を。
あまりのことに啓介は動けず、拓海の指が腹筋を撫でまわしてくるのをただ見ていることしかできなかった。
「かっこいい」
呟くように言った拓海がゆっくりと近づき、臍の横に口づけた。
柔らかい唇の感触は電流のような刺激になって脳に届く。拓海がジーンズのボタンを外し、ファスナーを下ろしていく。
「ちょ、……こらっ」
頭を押さえても拓海は止まらず、ボクサーパンツの中に潜むアレを引っ張り出してしまった。
「はぁ……かっこいい」
「どこ見て言ってんだッ」
啓介は戸惑い、困惑が勝って体が思うように動かない。自分のペニスがライバルの口の中に消えていくのを呆然と見ることしかできない。
アイスを舐めるようにぺろぺろと這いまわる舌は酒のせいか動きも緩慢で、男が悦ぶポイントは微妙に外れていてじれったい。熱い吐息を敏感に感じ取った体がピクリと震えると、拓海は嬉しそうにペニスに微笑みかけた。
啓介は仰向けになって両手で目を覆い、嵐が過ぎるのを待とうとした。だがもどかしい刺激と決して上手いとは言えない口淫を緩い動作でされ続け、半ば勃ち上がったそこは音を上げて解放を求めていた。
「クソ、藤原」
啓介は体を起こし、ソファに浅く腰かけた。正気を取り戻してこの行為をやめてくれるかというわずかな期待は無残に散った。拓海は器用に動いてそれでもその両手は啓介のペニスを離そうとしない。
目の前に跪いている拓海を、ヤケクソ気味にじっと見つめた。
内腿に頭を預け、夢中で啓介のペニスを扱いている。反応の鈍いそこへ必死になっている拓海に小声で呼びかける。
「もうやめろって」
「……いやだ」
拓海は唇を尖らせ、そっぽを向いた。もちろん両手は啓介のものを握ったままだ。その手の中のものに再び舌を這わせ、亀頭を口に含んだ。舌が緩やかに絡んで、鈴口を刺激する。
「――ッ」
声は何とか堪えたが、啓介の反応を正確に読み取った拓海が裏筋とその小さな穴を執拗に攻めはじめた。拓海は苦しそうな息を吐きながら、喉の奥まで銜え込もうとしている。
「ふ……じわらッ」
赤い顔で啓介を見上げる拓海と目があったその瞬間、啓介は口内に射精してしまった。慌ててティッシュを差し出すが、あろうことか拓海はそれを飲み下してしまった。
唾液に濡れた口を手の甲で拭い、拓海はおもむろに自分のジーンズを脱ごうとしている。
「まさかおまえ、やめろって藤原」
「うるさい」
拓海の両腕を掴んだ啓介の肩をソファに押し返し、キスをしてきた。
大それたことを仕掛けてきたわりに、そのキスはやたら拙くて呆れるほどにただ優しく触れるだけのものだった。
「ほんと……何なの、おまえ」
潤んだ目で見下ろしてくる拓海は今にも泣きだしそうだった。
もじもじと腰を揺らし、触れるだけのキスを繰り返す。啓介は恐る恐る手を伸ばして拓海の股間に触れた。
「あっ? け、啓……ッ」
「触ってやろうか?」
己の発言に内心驚きつつも、啓介は拓海の耳元でそう囁いた。
これ以上受け手に回るというのが癪に障り始めたからでもあった。
「い、いいっ、啓介さんはしなくていいから」
嫌だと言うなら引いてやればいいものだが、ここまでしておいて拒む拓海が理解できず、厚い生地越しにそこを撫でさすった。
「あ、ぁ……っ」
正直なところ、男の体をどうこうなど想像したこともないし、自分には一生縁のない世界だと思っていた。
「声出すとみんな起きちまうぜ」
「ぅ……ッ」
リビングのソファで拓海にのしかかられているこの状況は、誰に見られても困るという結論しかない。だが目の前の拓海がどうしてこうも可愛く思えてしまうのか、啓介はその理由が知りたくなった。
拓海のジーンズの前をくつろげ、トランクスの中に手を挿し込んだ。まだロクに触ってもいないのに、拓海のそこはもう限界寸前にまでなっていた。
「何でこんななってんの」
啓介の肩にしがみつき必死に声を押さえているらしく、拓海からはくぐもった声しか聞こえない。抱き締めながら片手で数回扱いてやれば、拓海はすぐに熱を放出した。
「はえーな」
腕の中で震える拓海を見ればその赤い頬には涙が流れている。いろんな顔を見たいと思ったのは自分自身だったが、これは想定外だ。啓介は胸が締め付けられるような気分に陥り、一際力を入れて抱き締めてやった。
そうしてしばらくはすすり泣く声が聞こえていたが、強張った拓海の体から力が抜けて、眠ったのだと悟った。久しぶりに他人の体温をすぐそばで感じ、啓介の意識も次第に途切れていった。
「襲われた? 藤原に?」
「起きたらあいついねーし夢かと思ったんだけど、そうでもなさそうだし」
翌朝、目が覚めれば拓海の姿はどこにもなかった。玄関に靴がなかったところを見ると青いインプレッサももうここにはいないのだろう。
携帯を取りだし拓海にコールしてみても、電源は切られているようだった。
ダイニングで優雅にコーヒーを飲んでいる涼介に、啓介は少し迷ったものの昨夜の出来事を打ち明けた。わずかに驚いたような片鱗は見えたが、ポーカーフェイスは相変わらずだった。
「嫌悪感はなかったのか」
「驚いてそれどころじゃねーよ。つーかテクはともかくあの藤原がって思ったらむしろ……いやいや、そういうことじゃねーんだよ。
何回掛けても繋がらねーし、あいつこのままもう二度と会わねえつもりなのかな」
「プロジェクトは終わったんだ。それぞれの道に進む時期だしおかしくはないだろう」
「まったく違う道でもないのにさ、これからもライバルなの変わらねえからなって昨日言ったのに」
「それが嫌だからそんなことしでかしたんじゃないのか? あの藤原が」
「オレじゃ相手になんねえってことかよ」
「……そっちじゃないだろうな」
涼介の一言に、啓介はクッションをソファに叩きつけた。
「アニキ、オレ何でこんな腹立ってんのかな」
「さあな」
「あいつ何も言わないし電話も出ないし、本気でオレを切るつもりなのか」
「どうかな。それは藤原にしかわからないことだ」
「人の寝込みを襲っておいてやり逃げってそれ許されねーよな?」
「最後の思い出が欲しかったかもしれない藤原の気持ちを汲んで放っておいてやったらどうだ」
「それじゃ納得できねえよッ」
「なら藤原を捕まえて、問い詰めて、それからどうするんだ?」
「どうって」
「殴るか?」
「だったら昨夜のうちにやってるよ」
「昨夜は拒まず殴らず、好きにさせたんだろう? ならなぜ今追う必要がある」
「何でって、そりゃ……何で」
啓介は頭をかきむしりながらソファに腰を下ろした。涼介と話しているうちに少しずつ混乱した頭がクリアになってくる。自分が何に納得いかないのか。なぜ涼介の言うとおり拓海の思い出としてそっとしておいてやれないのか。
「そもそもあいつ男もいけたのかよ」
知る限りでは彼女らしき存在がいたはずだ。いつだったかナマイキだとからかったら、そんなんじゃないですと赤い顔で否定していた。
「啓介」
「……やっぱ意味わかんねえ。あいつに会って確かめてくる」
啓介は身支度を整えると、愛車のキーを手に渋川へ向かった。
2017-01-20
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