掴むのは 2

 念のためと何度か電話は掛けたが結局つながらないままだった。だが、啓介にはなぜか拓海が家にいるだろうという確信めいたものがあった。
 豆腐店の前に停車はしたがエンジンは切らず、一度大きく深呼吸する。峠用にチューンが施された車の排気音は昼間でもそれなりのボリュームがある。家にいるなら気がついてもいいはずだが、案の定と言っていいのか出てくる気配はない。
「藤原ァッ」
 車を降り、開口一番大声で名前を呼んだ。エンジン音にかき消されず届いたようで、糸目の店主がしかめっ面を携えて表に出てきた。腕を組んで呆れたようなため息をつかれたが、目の前にあの顔を引きずり出せるならなりふりなど構っていられない。
「逃げんのかよ!」
 もう一度煽るように叫ぶと、二階の窓が開いた。
 拓海はどこか青ざめた顔で下唇を噛んでいる。降りて来いと視線で告げ、助手席のドアを開ける。
「しばらく息子さんお借りします」
 拓海が顔を引っ込めた隙に文太にそう告げると、呆れたように「警察沙汰だけは勘弁だぜ」と言って店の奥に入って行った。 その父親と入れ替わりで出てきた拓海は店先で一度足を止め、啓介を見るなりうつむいた。啓介は何も言わず運転席に乗り込み、拓海が来るのを待った。
 どれくらい待ったのか、たった数分が何時間にも感じられたが、拓海は観念したのか足取り重く助手席に座った。

 啓介は秋名湖へと車を飛ばした。車内はずっと無言だったが、湖岸沿いにFDを停めると意外にも拓海が先に口を開いた。
「あの、……昨日のこと、ですよね」
「その様子だと覚えてるんだな」
 酒のせいで記憶がないと言われたらどうしてやろうかと考えていたが、拓海の様子を見ると細部まできっちり覚えているようだ。
「すみませんでした」
 膝につくほど頭を下げる拓海を横目に、啓介は目の前の湖をじっと見ていた。
「謝ってほしいんじゃねえんだけど」
 きっかけは拓海の暴走とはいえお互い様なのだから、謝られても困る。
「ごめんなさい」
「わかった。謝罪は受け入れる。オレも手出したし、悪かった」
「啓介さんは悪くありません。オレがあんな」
「つっても、未成年のお前に手出したオレの方が悪いだろ。ごめんな」
「や、やめてください。オレが悪いんです。男にあんなことされて、許してもらえるとは思ってないです」
 拓海はまるで刑の執行を待つ被告人のような、血の気のない顔をしていた。
「あのな、藤原。オレ別に怒ってねえんだよ。ただ理由が知りたいんだ」
「す、すみません……」
「じゃなくて、理由、な」
 啓介の言葉に、拓海は押し黙った。膝の上で手を握り、小刻みに震えるそれを隠そうとしている。啓介は胸倉をつかんで問いただしたい衝動をぐっと堪えて湖面に視線を戻す。太陽に煌めくそこで、鯉か鮒だろうか、魚が跳ねた。
 捕まえて問い詰めて、それでどうしたいのだと涼介が言っていたことを考える。理由を聞けたとして、それで納得できたとして、結局のところ自分はどうしたいのだろうか。
「オレさ、おまえとはずっとライバルでいたいと思ってるんだよ」
「……はい」
「最初こそあれだし決着つけたい気持ちは変わってない。だけど、今ではすげーいい仲間だとも思ってる。同じドライバーとしてさ、色々お互い分かち合えることだってあるんじゃねーのかって思ってるんだよ、オレは」
「はい」
 掠れた声はほとんど聞こえなかった。
「藤原も同じように思ってくれてると思ってたけど、そうじゃなかったのか?」
「そんなことないです。……でもそれと、今回のこととは……」
「関係ないか? けど今日こうやってオレが来なけりゃあれっきりにするつもりだったんだろ? 今回のことはさすがにはいそうですかってわけにはいかねえよ」
 もどかしさと悔しさに眉間に皺が寄る。
「本当はあんなことするつもりじゃなかったんです」
「じゃあどういうつもりだよ」
「……、啓介さんはオレに何を言わせたいんですか」
「言わせたいとかじゃねえよ。ただ理由を聞きたいだけだ」
「理由なんか」
「ないってのか? そんなわけねえだろ」
 ステアリングを握る手に思わず力が入った。拓海はその手を目で追っていたが、再びうつむいた。
 沈黙が続く狭い車内で互いの息遣いが聞こえる。快晴の空の下、湖では二匹の魚が跳ねていた。
「なあ。あそこにいたのがオレじゃなくても、……誰でもよかったのか?」
「そっ、そんなわけ、……」
「ないよなって言える根拠が、オレにはねえもん」
 普段の拓海を思えば信じがたいことではあるが、らしからぬ行動を起こした拓海とその理由を思い至れないほど鈍くはないつもりだ。
「誰かと間違えたんじゃねーのかとか考えたりもしてさ」
「違います!」
 否定の語気が強くなるが、拓海は慌てた様子で口をつぐんだ。そんな拓海を目の前にして考えれば考えるほど、導き出されるのはたったひとつの答えだ。 そこに確証が欲しいのだろうか。
「まぁでも、昨日あんなことがなけりゃオレずっと気持ちに気づかないままだったと思う」
「え」
 拓海が赤い顔を上げた。啓介は横目でそれを見ながら言葉を続ける。
「だって男もいけるなんて普通想像しねーじゃん」
「な、え、啓介さん?」
「まさかそうだったなんてなー」
 わざとらしく言いながら伸びをして、拓海を見つめた。
「え、だってオレ、え? な、何も言ってないですよね」
「何もって?」
「だ、だからその、え、気持ちって」
「藤原も分かってるだろ?」
「そ、それは……どういう……?」
 みるみる赤くなる拓海から啓介はじっと視線を外さずに、ゆっくりと助手席に近づく。
「あの、啓介さん、近いですっ」
「FD狭いからな」
 額がつくほど近づいて、その眼をじっと見つめる。
「啓介さんこそ相手間違ってます。オレですよ、れっきとした男ですよ」
「だから?」
「だから、って、男同士とか報われねーのに……期待させるみたいなこと、するなよな」
「へぇ、藤原、期待しちまうくらいオレのこと好きなんだ?」
「へ? え、だって気づいたってさっき、え?」
「別におまえの気持ちだなんて言ってない」
「──だ、騙した!」
「藤原が勝手に勘違いしたんだろ」
「そんな」
「なあ。男だとかそういうの抜きにしてシンプルに考えろよ」
 指先で鎖骨を撫でると、拓海は上擦った声を出した。
「常識とか他人の目とか、大事なのはそこじゃないんだ」
「それでも、……オレじゃだめです」
「藤原がどんなに否定しても好きって気持ちは変わらないぜ」
「や、やめてください。オレは、啓介さんには相応しくない人間だって自分が一番分かってる」
「そうやって自分を否定するのやめろよ」
「啓介さん」
「言ったよな、気持ちに気づいたって。それに、藤原はオレが好きなんだろ?」
「ち……っ、ちが」
「嘘だね」
「好きじゃな」
「じゃーなんでオレのこと襲った?」
 言葉を遮るように言うと拓海は視線を泳がせた。
「それは」
 啓介は拓海を抱き寄せた。反応を示さない拓海を、両手に力をこめて抱き締める。昨日と同じぬくもりを感じながら、啓介は拓海の背中をゆっくりと撫でる。
「好きじゃないってんなら、おまえ以外とこういうこととか、昨日みたいなことしてもいいんだな?」
「えっ」
「オレはおまえがオレ以外のやつとって考えただけでハラワタが煮えくり返るけど、おまえはいいんだな?」
 念押しのように繰り返すと、拓海の頭が肩口で小さく揺れた。
「……オレだって、いやです」
 小さな小さな呟きをこぼした拓海の肩を両手でつかみ、その顔を覗き込んだ。悔しそうに歪んだ拓海の目は少し潤んでいる。
「バトルするたびにギャラリー増えてくし、しかもきれいな人ばっかで。啓介さんがその気になったら彼女なんか何人でもできて男のオレなんか絶対無理だって、ずっと諦めようと思ってたんです」
 震える唇で、拓海は声を絞り出すように呟いた。うつむいた拍子に一粒落ちたしずくが手の甲で弾けた。
「昨日ずっと近くにいて、もう終わりなんだなって思って寝てる啓介さん見てたら、いろいろたまんなくなって……誰でもいいわけ、ないだろ」
 やっと聞けた本音に、啓介は目の前が開けたような気持ちになった。
「藤原」
「他の誰かと、なんて……ッ、言わないでください」
「ならいい加減認めて、さっさとオレを手に入れればいいだろ」
 浮かんだ涙を拭うように両手で頬を包むと、拓海が視線を合わせてきた。大きな目を何度も瞬いて、驚いたようにじっと啓介を見つめている。
「……いい、んですか」
「さっきから言ってるだろ、そろそろ解れよ」
 鼻先を擦り合わせ、頭を傾けて口づけた。拓海は目を開けたまま固まっている。
「けー、すけさ……」
「昨日のおまえ、可愛いと思っちまった。でもたぶん、もっと前から掴まってたと思う」
「え……」
「考えたら出会ってからずっとおまえのこと意識してたなって」
 言いながら照れくさくなって、ごまかすようにもう一度口づける。唇が離れると拓海は顎を引いて口元を隠した。
「藤原?」
「ほ、ほんとに……? その、同情とかじゃなくて」
「オレは同情で男の尻追っかけねえしキスなんか死んでもしねえ」
 証明してやるよともう一度キスをしようと拓海を引き寄せれば慌てたように顔の間に手を挟んでくる。じれったくてその手のひらにちゅっと口づけた。
「ち、ちょっと待ってください。起きたときより混乱してます」
「夢じゃねえし紛れもなく現実だ」
 拓海の手を取り、自分の顔に触れさせる。緊張のせいか冷たいその手を上から包み込んだ。
「あんまり焦らすと気が変わっちまうかもしれないぜ」
 その言葉に拓海は眉根を寄せて頭を振った。
「自覚したときから叶うはずないって……ずっと思ってました」
「鈍くてゴメンな」
 そんな台詞に、拓海は困ったように笑った。
「気づかれないようにって必死でした。でも……いいんですね、諦めなくて。──はは、まだちょっと信じらんねぇ」
「おまえが動いてくれなかったらオレ気づかないままだったかもな。だからオレの全部、おまえにやるよ」
「なっ、何言ってるんですか」
「え、嫌?」
「じゃなくて、その……嬉しいけど恥ずかしいです」
 赤い顔で唇を尖らせる拓海に、啓介は笑みを深くした。
「昨日の藤原からは想像できねー台詞だな」
「できれば昨日のことは忘れてください」
「死ぬまで覚えてるに決まってるだろ。つーかこの先夜這いすんのはオレだけにしろよ、藤原」
「も、もうしませんッ」
「そうなの? つまんねー。いいんだぜ? オレ相手ならいくらでも」
「しませんってば」
「じゃあ今後はオレがする」
「はっ? わ、ちょっと啓介さ……ッ」
 真っ赤になる拓海をからかうように何度も口づけ、震える指先をぎゅっと絡めた。  prev  

2017-02-17

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