Lean on me 2

 ローションまみれだった体はボディソープの泡に包まれていた。
 肌を撫でる啓介の手がただ優しく労わるように背中や腰のラインにかけて滑り、手が止まるたびに舌が絡んで音がするほどきつく吸われてはまた羽のような軽さで泡が肌の上を伝って落ちていく。 向かい合わせの体、同じように背中に手を回しているのにしがみつくような体勢になっている。のぼせているわけではないのに、頭がふわふわとして心地良い眠りに落ちるような感覚に陥る。
「は……、啓介さん」
 重たい瞼が閉じそうになるのを堪えながら名前を呼ぶと、頭の上からシャワーが遠慮なく降りかかってくる。少し温めのお湯は火照った体には水のように感じられ、 眠気はすっかり吹き飛ばされる。反射的に体を離し見開いた目が捕らえたのは悪戯っぽく笑う啓介だった。
「ちょ……ッ」
 わざとですか、と咎めようとする声を啓介の舌が遮る。 腕を掴まれ、深く角度をつけて口内を貪るように犯されて思うように抵抗もできない。言葉の意味をなさず、ただ嬌声となってこぼれ落ちる。
「……藤原、ベッド行こうぜ」
 触れたまま囁き、痺れて開いたままの唇を交互に吸われ、こぼれた唾液を辿る舌先が震える拓海の舌に絡みつく。 緩急をつけた攻撃に敢え無く陥落し、啓介の肩に凭れかかるように頭を預けた。

 バスルームを出て柔軟剤がたっぷりと使われた柔らかいタオルに顔を埋めて大きく息を吐いた。 啓介はバスローブを纏ってはいるが前は肌蹴たままで、濡れた髪を乱雑に拭きながらベッドヘッドにあるパネルで室内の照明の明るさを調節している。
「何か飲むか?」
「水、ありますか?」
 啓介は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取りだしてキャップを捻ると喉を鳴らしてそれを飲み、中身が半分ほどに減ったボトルを拓海に寄越した。 拓海はバスローブに袖を通してからそれを受け取り、残りを飲み干す。後ろから抱きついてきた啓介の手が胸元の合わせから忍び込んで、 せっかく結んだ腰紐を解かれて剥き出しになった肌に噛みつくように吸いつかれた。
「ん……ッ」
 顔だけを振り向かせるように顎をすくい上げ、冷えた唇が合わさるとまた熱を持ち始める。 啓介は空いた手でバスローブの裾をたくし上げ、舌の代わりに拓海の口内へ指を差し込んで唾液を塗りつける。長い指は散々いじられた拓海の後ろへと伸びて様子を探るようにゆっくりと中へと入っていく。
「あ……、んッ」
「痛くねえか?」
「は……、あ、……ぁッ」
 空になったペットボトルが小さな音を立てて床に転がる。 それに構わず、後ろ手に啓介にしがみついて崩れそうになる体を支える。
「啓介さ、んッ」
 立っていられないと懇願するようにすぐ後ろにいる啓介を見上げると、拓海の体を正面から抱きしめ直し目の端に浮かんだ涙に舌を這わせて耳元で囁く。
「……ンな、煽るなって……ッ」
 スプリングの利いたベッドに倒れ込むとバスローブの合わせを勢いよく開いて、中心で勃ち上がった芯を握り込まれた。乾いた手の刺激に目を閉じると、啓介が体の位置をずらして躊躇なく咥え、愛撫を施す。 暗闇の中で卑猥な水音だけが耳に付き、両手で顔を隠しながら声を堪える。扱かれながら吸われると手の隙間からくぐもった声が漏れて、反応を示した箇所をひと際執拗に舌先でくすぐられる。
「んん……ッ、ふ、ぁ……もッ」
 腰が浮き、啓介の舌から逃れるように体をひねると、啓介は拓海のそこから頭を上げベッドヘッドへと手を伸ばす。 何かを絞り出すような音がして、握られている個所にとろりとした液体が注がれる。
「あ、わ……」
 昂りを扱く湿った音が響いて、茎を伝い落ちるローションが啓介の指とともに後孔へと入ってくる。 抵抗なく進む指の感覚に腰のあたりが疼き、足の指先でシーツを掴む。前と後ろを同時に刺激され拓海の内腿が痙攣し始めると、啓介は指を抜いて代わりに自身をゆっくりと埋め込んだ。
「く……ぅ、……ッ」
 慣らされているとはいえ、最初の異物感や圧迫感は変わらない。息を吐き、力を抜くことに意識を向けようとしても中にいる啓介の存在感にあっさりと思考は奪われ体がかたくなる。
「藤原……平気か?」
 優しく前髪を梳かれ、閉じていた目を開けるとすぐそばに啓介の顔がある。汗が浮かんで、いつもより余裕がないような表情なのに拓海を気遣う言葉をかけながら動きを止めている。 こんな状況で寸止めを食らうのがどれほどのものかは、同じ男同士だからこそ分かるというものだ。それでも、無理に体を進めるわけでもなく拓海の負担が少しでも減るようにと気遣う啓介を目の当たりにすると、 とても大事にされているのだと実感する。その気持ちにどれだけ応えられているのか、自分の気持ちをどれだけ伝えられているのかを考えると胸が苦しくなって、 両手を伸ばして引き寄せ、吸いつくようなキスを送る。
「へ、……きです、から」
 腰をくねらせて促すと、眉根を寄せた啓介が小さく「ばかやろう」と呟き、焼け付くようなキスを仕掛けて拓海の中を穿ち始めた。
「う、ぁあッ……、……け、すけさ……ッ」
「おまえン中、すげ……熱い……持ってかれそうだ……ッ」
 耳に触れる熱い息と舌に、ぞくぞくと背中に走る電流に、抗う術もなく翻弄され、目の前の体をただ全部、まっすぐに受け止めたくてきつく抱きしめる。 啓介は首筋を舐め上げ噛みついては跡を残し、深く、何度も口づけた。

 どれだけイかされたのか、途中からは覚えていられなかった。
 まだ眠気の残る重だるい体は、拓海を抱き枕のように腕に閉じ込めて眠る啓介の重みも借りてマットに沈みこんでいる。 シーツの中で手さぐりで肌を撫でると、裸ではあるもののローションや精液はきれいに拭きとられ、後始末をされていた。立てない体を抱えられてバスルームに連れて行かれた記憶がぼんやりと蘇る。
「啓介さんうますぎるんだよな……」
 夢中で求めたことも自分の火照る頬のことにも無視を決め込んで頭だけを動かし、普段はあまり見ることのできない寝顔を見つめてみる。 切れ長の瞳は閉じられていても精悍さを失わず、意志の強そうな眉や熱く濡れていた少し薄い唇、啓介を象るパーツのひとつひとつをじっくりと視線で辿っていると眉が僅かに動くのが目に入り、 盗み見ていたことを気付かれる前に啓介の腕の中で寝返りを打って背中を向けた。小さく呻きながら「……たくみ」と自分の名を呼ぶ寝言ととも腰に回された腕に体を引き寄せられて鼓動が速くなる。 耳や頬が痛いほど熱くて、だけど少し寒いくらいに利かせた冷房は、触れ合った肌のぬくもりのおかげで心地良く感じてしまう。
「……クセになったらどうしてくれるんだよ……」
 もはや手遅れかもしれない言葉を呟いて、背中から聞こえる規則正しい呼吸のリズムに合わせて再び眠りにつくことにした。

 それから数日後、珍しく平日に休みが取れたその日は特に予定もなく、明るいうちから居間のテレビで次の遠征地が撮られたディスクを繰り返し観続けていた。 普段から休みの日を教えろとねだる啓介には前夜のうちにメールを入れておいた。返事はなかったがたいして気にも留めず、普段の休日と変わらずに過ごしていた。 昼食を終えれば池谷やイツキの勤めるスタンドへ寄るのもいいか、くらいに考えていたところでテーブルの上に置いていた携帯が震える。
「モシモシ」
『あ、オレ』
「あ、啓介さん」
 着信の画面も見ずに電話を受けたのに、オレ、の一言で相手が分かってしまう気恥ずかしさに鼻の頭をポリ、と指で掻く。
『何してた?』
「え、次の遠征地のビデオ観てました」
『そっか。今日時間あるんだよな?』
「え、はい」
『今から迎えに行くから、温泉行ってハダカのつきあいしようぜ』
 何とも答える前に電話は切れてしまった。 とりあえずテレビの電源を落とし、手に持った携帯を握りしめる。
「……温泉……?」
 その電話からものの10分もしないうちに店の前に耳慣れないエンジン音が響いてきた。 腰を上げて店の前へ出ると、啓介がバイクに跨ったままヘルメットを脱いだところだった。
「よっ」
「ど、どうしたんですか、このバイク」
「昔な、先輩に安く譲ってもらった」
「ていうか何でバイク……?」
「代車が気に入らねえ」
「ああ……」
 FDはもう少しで仕上がってくるらしく、それまでの足代わりに、用意された代車ではなくガレージに眠っていたバイクを引っ張り出して来たのだと言う。
「だって軽だぜ?」
 考えられねえなどと言いながら啓介は長袖のシャツを腕まくりして、中に着たTシャツの襟をぱたつかせて扇いでいる。サングラスをかけているので表情は上手く読み取れないが、 その姿に見入っていると視線に気づいた啓介が照れたように口を尖らせる。
「何見てんだよ」
「み、見てないです」
「何だよ、そこは見惚れとけよ」
「……えっ」
 見透かされたのかと少し変な間が空いてしまった。マジに取るなよ、と照れたように鼻の下を指先で擦り、ヘルメットのベルトをいじっている。
「……ほら、準備してこい。一応長袖もな」
 タンスの前に蹲り、夏が近づいているこの時期に押入れの中からできるだけ薄手のシャツを引っ張り出して羽織る。 ハチロクで行けばいいのにという考えも浮かんだが、初めて見る姿に何となくもったいなさを感じて言い出しにくかった。
「ていうか何だあれ。かっこいいし……脚の長さ反則だろ」
 ぼやきながら小さめのウエストバッグに必要なものを詰め込んで、店の奥で作業をしている父親に簡単に声をかけて啓介の元へ戻ると、ヘルメットを手渡された。 それを受け取りシートへ座ると見計らったようにエンジンに火が入り、車体が振動を始める。
「んじゃ、行くぞ」
 振り向きながら言い、拓海が頷くのを確認するとゆっくりと走り出す。 目の前の体に抱きつくには暑い季節で、片手はシートの後ろにあるタンデムバーを握り、もう片方の手は風を含んではためいている啓介のシャツの裾を掴む。 車とは違い全身に風を浴びながらどんどんと流れて行く景色に視線をやると、向かっているのはどうやら伊香保らしい。
 見慣れた景色も初めての乗り物のせいかどこか新鮮さを感じさせ、信号で止まるたびに啓介との会話も弾む。濃い色の葉が茂る山道を抜けて駐車場へ入るとその一角へと停車する。 シートを下りるとヘルメットを脱いで、啓介がするのと同じように変なクセがついた髪を梳く。
「おし、んじゃ行くか」
 笑顔の啓介に頷いて、駐車場を後にし露天風呂へと向かう。
 平日のおかげなのか中はわりと空いていて、ふたりが入ると同時に人が出てほぼ貸切の状態となった。なぜわざわざ地元で温泉に入ろうとするのか啓介の考えはいまいち理解できないが、 誘われない限り自分では来ないだろうとせっかくの機会を楽しむことにする。温めのお湯に肩まで浸かり、脚を伸ばして縁石に凭れかかる。
「あー、やっぱ広い風呂っていいな」
 同じように寛いだ体勢で並んだ、自宅の風呂も十分に広い男が言う。
 日差しが降り注ぐ中、解放感のある露天風呂で肩を並べている。生い茂る木々の方角からは鳥のさえずりまで聞こえてくる。 いつもより言葉数は少ないが、同じ時間を共有しているその贅沢さにきゅっと唇をかみしめた。
「バイクもけっこう気持ちいいもんですね」
「まあな。FD乗り始めてからは全然乗ってなかったけど」
「……もうすぐ直って来るんですよね」
「ああ」
 少しの沈黙の間、風に揺れる木の音が頭上を流れていく。
「あのさ」
「……はい?」
 後頭部を掻きながら唇を尖らせる啓介に向き直ると、啓介の両手が拓海の肩に下りる。何事かという視線を送ると奥歯を噛んだような表情を見せて体を離し、横を向いてしまった。
「いちいち言わなくても良いかとも思ったんだけど」
「……?」
 言いあぐねる啓介の言葉をじっと待つ。
「ケリはつけて来たから。一応、報告」
「はあ……」
 一瞬何の話だろうかと思考を巡らせるとふと例の彼女の姿が頭を過ぎり、啓介の言葉がストンと腹に落ちる。
「……そう、ですか」
 素直に喜んでみせることは何となくできなくて、それ以上の言葉を口に出せずに押し黙る。
 いつ自分も同じ立場になってしまうのかという不安を少なからず心の隅に抱えてはいたものの、自分からその手を離すということは考えられなかった。 啓介を好きだと思う気持ちは揺るぎなく、同じチームのドライバーとしても尊敬しているし、信頼のおける仲間だとも思っている。 何より啓介が自分とまっすぐに向き合って与えてくれる気持ちに精いっぱい応えたいと思う。
「オレ……もし啓介さんが逃げたら追いかけちゃうかもしれません」
「逃げるってナンだよ。意味わかんねえ」
 顎まで浸かりながら、湯の中をかき混ぜて小さな波を起こす。 こんなことを言おうという気持ちになるのは多分、露天風呂の開放的な空間のせいだと緊張が高まる自分に言い聞かせて、濁って見えない湯の中で拳を握りしめる。
「だから……、あんたのこと、逃がしてやらねえって言ってんですよ」
「……じ、上等だてめえ、今の言葉絶対忘れんなよッ」
 赤く照れた顔で腕を組んでフン、と鼻を鳴らす啓介の顔を見て自然と笑みがこぼれた。背中を向けて肩を揺らして笑いを堪えていると、啓介がふて腐れたように勢いよく背中を預けてくる。 その重みに今だけですよと呟いて、膝を立てて自分のより少しだけ広い背中を支えながら、晴れ渡った空を見上げる。
「おまえこそ、逃がしてやる気もさらさらねえってこと、あとでじっくり分からせてやるから覚悟しろ」
「え……っ」
 振り返った啓介が首筋に吸いついた。

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2012-01-25

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