あふれる光
「啓介さん、そういう雰囲気に持っていくにはどうすればいいんですか」
ざわつくファミレスの店内で、ケンタが神妙な面持ちで聞いてくる。
「ハァ?」
いきなり何だよと眉根を寄せれば、相手は中腰になっていた体を椅子に深く落ち着けた。
「こないだナンパした子とけっこういい感じになったと思ったんすけど……」
語尾が小さくなったと思ったら、全力で拒否されたと嘆いている。一瞬慰めの言葉も笑い飛ばす言葉を出すのもためらって、ああ、なんて間抜けな相槌を打ってしまった。
オレの隣では藤原拓海──秘密だけど最近付き合いだした──が興味なさそうにアイスコーヒーを啜っている。
「ガツガツしすぎてビビられたんじゃねーの」
なんて一般論を持ち出して、メロンソーダの入ったグラスをつかんだ。
「あんな状況で拒まれたらどうすりゃいいんですかぁ~」
「いやー、オレ拒まれたことねえっつーか……」
顔面を両手で覆ってぼやくケンタを見ているふりをしつつ、隣の気配を慎重に探る。藤原の前でこういう話題ってあんまりしたことないからどんな反応見せるかちょっと気になる。いや、かなり。
「拒まれたことないなんて、これだから男前はっ」
グビグビと音がしそうな勢いでコーラを飲み干したケンタがやけくそ気味にドリンクバーに向かった。
酒でもないのに酔っぱらいみたいな絡み方しやがって、あとで締めるか。
藤原は相変わらず黙ったままで、隣り合わせに座っているせいでお互い目も合わない。
オレらのきっかけは藤原からの告白だったけどそれは事故みたいなもんで、本人は隠し通すつもりでいたらしいのをオレが半ば強引に暴いたようなもんだ。
付き合いだしたって言ってもまだ何回か軽いキスしただけの清らかな関係で、遠慮してんのかは分からないけど藤原からのお誘いもないし、拒むとかそういうんじゃなくてなんか割と不意打ち狙ってやってたなって唇の柔らかさを思い出しながら自分の唇を指でなぞった。
今までは拒まれるどころかグイグイ来られたりとかもあったけど、藤原が相手じゃそのうち鳩尾とか顔面に一発飛んでくる可能性だってあるんじゃねえか?
藤原があんまり積極的じゃないせいか、やっぱりこういう関係を後悔してるのかも、なんてたまには思ったりするわけで。さすがに男相手に”そういう雰囲気”なんてどうすりゃいいのかオレだって知りてーよ。
そんなことを考えているうちに、コーヒーを片手に戻ってきた史浩が向かいに座った。ケンタも戻ってきてまた辛気臭いオーラをまとって史浩にまで絡みだした。こりゃそのうち藤原にも飛び火するなって嫌な予感はすぐに的中した。
「どうなんだよ、藤原」
「オレは別に……だいたい相手が、その……」
「クッソー、おまえもかよ!」
藤原はチラッとだけオレを見て、本人を前に言えませんって感じで口を噤んだ。
涙声で抗議するケンタに困惑するように頭を掻いている。史浩は感心したようにうなずいてケンタを宥めに入った。
「おまえ、自分からはしねーの?」
隣にいる藤原に、オレは無意識のうちにそんな疑問を投げかけていた。目を見開いてこっちを見てくる藤原の顔に少しだけ焦ったけど、引くに引けない。それに聞いておきたい気もする。
ときどきはがっつきたくなったりするのかとか、普段のぼへーっとしてる藤原を見てるとあんまりそういうイメージないからさ。
「それは、……っ」
何かを言いかけて、恥ずかしいのかツンと唇を突き出した。
あーすげ、耳が真っ赤になってる。触りてぇ。
「次はグレープにするかな、っと」
オレは自分の思考に慌ててグラスを手にして席を立った。うっかり手が出そうになって、マジでやばかった。
藤原の気持ちを無理やりにでも暴いたのはオレだって同じ気持ちを抱えていたからだ。絶好のチャンスを逃せるはずなんてなかった。
だからこそ未だにキスすらしようとしない藤原に焦れてんのが正直なところで、触れずにいるのはそろそろ限界ってことなのかとも思う。
グラスが紫色の液体で満たされた後もなかなかその場を離れられず、腕を組んだまま目を閉じて首を回した。
ファミレスを出て史浩たちと別れたあと、FDとハチロクの二台で秋名湖に向かった。あんな話をしたあとじゃただ帰すのが惜しくて誘ってみたら、藤原はぼんやりとした顔で、配達までに帰れるならいいとオレの提案を受け入れたからだ。
ベンチに並んで腰掛けたはいいけど、藤原はすごく緊張しているような気まずい空気を醸し出している。さっきからずっと沈黙が続いている。ただ足元に視線を落としてる風なのに、オレの隣はどうもリラックスできないみたいだ。
どうしたもんかと空を仰げば、暗い空からぽつぽつと水滴が落ちてきた。
「げ、雨かよ」
落ちてくる水の勢いはあっという間に激しさを増してきて、ハチロクに戻ろうとする藤原の腕を咄嗟につかんでFDに押し込んだ。
運転席に収まったオレを、驚いたような顔で見つめてきた。
「ごめん、けっこう濡れちまったな」
「別に啓介さんのせいじゃ……」
藤原の前髪から滴るしずくを指で払い、濡れた頬も親指で拭った。指先に感じる体温に、オレは柄にもなくドキッとした。
視界が煙るほどの雨が窓を叩く。世界から切り離されたみたいに、雨以外は周りの音も一切ない。
藤原に触れたままその手が離せなくて、見上げてくる目に囚われた。右手の甲に一滴落ちて、それが何かのスイッチを入れたみたいに藤原に顔を寄せた。
唇が触れそうになったところで息をのみ顎を引いた藤原に気づいて、オレは下唇を噛んで体を離した。
「……わりぃ」
これで初体験ってワケか。ケンタみたいに全力で拒否されたんじゃないだけマシなのか。そんなことを考えて気まずさに口元を片手で覆いながら、バツの悪さに窓の外に視線を移す。
強い雨は変わらず降り注いで、フロントガラスもボンネットも滝のように水が流れている。藤原の身じろぐ気配を感じつつも顔を見れずにいると、伸びてきた手に強い力で引き寄せられた。
「オレだって、やるときはやります」
「ふじわ、……っ」
強い決意の言葉とは裏腹に緩やかに押し付けられた藤原の唇が、かすかに震えているのがわかった。カチカチに力が入って、せっかくの柔らかさが半減している。熱い吐息を残して離れた藤原は耳まで赤くなっていた。
「おまえからのキスって初めてだな」
「そんなこと、……ない」
「そうだっけ」
鼻先を触れ合わせたあと角度を変えて唇に吸い付いた。慌てて体を離そうとするけど狭い車内で逃げ場はない。
少しだけ熱を持ったうなじに手を添え、空いた手で藤原の手を握った。硬く閉ざされた拳をじわりと開かせ、指を絡ませる。藤原は遠慮がちに握り返してきた。それだけでも嬉しい。
詰めていた息を吐き出す瞬間を狙って舌を差し込む。初めてのことに藤原は小さな声をこぼして、驚いたようにオレを見ている。その眼を見つめたまま、藤原の舌を探る。ゆっくりとシートに藤原を押し付け、絡めた手を首に回させた。
唇を甘く噛んだり舌を吸ったり、止められないのをいいことに好き勝手に貪る。風になびく雨の音と藤原の「慣れてなさ」が興奮を煽ってくる。
「ほら、舌出せよ藤原」
「ンン、待っ、啓介さ……ん」
キスってこんなに気持ちよかったか? 恥ずかしいくらいにはぁはぁ言ってんのはオレのほうかよ?
シートと体の間に腕を差し込んで抱き寄せ、服の中に手をつっこんで藤原の素肌をまさぐった。さすがに抵抗があるのか、藤原はオレの手をTシャツの上から掴んで止めた。
「ま、って」
「……藤原?」
「あの……えっと」
真っ赤になった顔に見惚れながら、続く言葉にビビっている。そんなつもりじゃありませんとか言われたら、なんて勝手に想像して視界が真っ暗になる。
手のひらには藤原の速い鼓動を感じる。それと同時に自分の背中を一筋の汗が伝い落ちていくのがわかった。
「啓介さ……っ」
今はまだ何も言ってほしくなくて、この時間を終わらせたくなくて、強引に藤原の唇を塞いだ。逃げる舌を追いかけてオレのと絡めて、口の中も全部舐めて何も言えなくしてやる。
「好きだ、藤原」
オレの手を掴んでいた手の力が弱々しくなって、ゆっくりと首に回った。ただそれだけで、すげー胸が苦しくなった。
「……ぁっ、……オ、レも、です」
微かに聞こえたその言葉に、いよいよ理性が吹っ飛びそうだ。暗闇に覆われた思考が、虹がかかった明るい世界に包まれていく。好きって気持ちが溢れて止まらない。こんなに欲しいと思ったことなんてない。これじゃケンタのこと笑えねえ。
藤原の体を抱き込んで、さらに奥深く舌で探った。押し返すみたいに絡んですれ違って、また引き寄せられる。
気づけばさっきまでの豪雨がうそみたいに静かになっていた。小雨に変わったせいか、セックスしてるみたいに乱れた息がうるさいくらいに耳につく。車の窓もすっかり曇ってる。どこか冷静さを取り戻しながらキスを止められない。
シートに深く沈んだ藤原に覆いかぶさるみたいな体勢で、藤原はそんなオレの体をぎゅっと抱きしめている。全身で好きだと言われているみたいでたまらない。汗で額に張り付いた前髪をかき上げてやると、照れたように小さく笑った。
鼻の頭にキスをして体を起こそうとするオレを、藤原が引きとめた。
「も、終わりですか」
「え」
さっきまでのしおらしかった藤原はどこに行ったんだ。紅潮した顔と挑戦的な目つき、加えて荒い息に、この先を想像させる何かを見たような気がする。
オレの願望が具現化したのかって思えるくらい、藤原がキラキラして見える。ピンク色のオーラっつーか色気っつーか、欲情してるっていうかなんかよく分かんねえけど藤原の周りに何かが溢れてる。
これ以上はやばいって思いながら、たまらず藤原の頬に手を伸ばす。
「まだ時間ある……けど」
オレは頭に浮かんだ野暮な台詞を飲み込んで、もう一度藤原にキスをした。
2015-08-08
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