おやすみまたあした 4
電話をかける勇気はあの晩の、ただの一度しか湧いてこなかった。
あれから三週間は経っていたがその間も啓介からは連絡は入らないままで、啓介が頑張っているなら邪魔はできない。たった数日声が聞けなくて顔が見れないだけだ。
自分は全然平気だ。そう言い聞かせるように呟いて、だけど意識的に携帯電話を遠ざけていたのも事実だった。メールくらいは送ってもいいだろうと思っても、いざ送ろうとなると何も言葉が浮かばない。
気の利いたことが言えないのは口だけではなかったのかとここ最近だけで何度もため息をついた。啓介こそ、メールの一通くらい送ってくれてもいいのにと八つ当たりじみたことを思う。
「あーあ」
甘えてばかりの自分ではいけない、あれはできないこれもできないとわがままを言っているだけでは対等になりたいとは言ってはいけないような気がした。だから勇気を出してみようと思った。
そんなことを言い訳に、起き上がると携帯電話を手に取った。ベッドの端に腰を落ち着け、ゆっくりと深呼吸を繰り返して操作する。今度は怖気づく前に発信ボタンを押した。
緊張でどうにかなりそうだ。数回のコール音がとても長く感じる。十回鳴っても出なかったら切ろう、と考えているうちに啓介に繋がった。
『はい』
「あ、あの……え、っと」
少し疲れたような、不機嫌なような啓介の声を聞いたら頭が真っ白になって、言おうとしていた言葉すべてがすっぽりと抜けてしまっていた。
『ん? あれ、藤原か?』
「あ、はい、藤原です」
『電話の掛け方思いだしたかコノヤロー』
「け、啓介さんには言われたくないです」
普段と変わらない様子で、悪かったよと喉の奥で笑う声が拓海の鼓膜をくすぐる。一転元気そうな声に拓海はほっと胸を撫でおろし、安堵の息が漏れる。
「あの、あ、ああそうだ、まだ……終わんないですか」
『あー……まあ、ほぼ終わったけどな。何、寂しくてたまんねえ?』
「そういうんじゃないです、けど」
ああクソ、せっかくのチャンスだったのに。拓海は自分の額を小突いて奥歯を噛んだ。素直に気持ちを伝えるのは難しい。言葉を繋げずに押し黙ると沈黙が流れ、啓介も何も喋らず、そして大きく息を吐いた。
『オレはもう藤原切れ。自分のせいって分かってるけど会いたくてたまんねえよ』
「あ、……え、と……っ」
人を電池のように言うのは止めてほしい。だけどそれは拓海も同じだった。胸を締めつける言葉に目頭が熱くなる。
うまく言葉を返せずにいると啓介はふっと笑った。
『声聞けてよかった。おかげでスパート掛けられる』
「あっ、啓介さん」
切れてしまう、そう思った途端、思わず引き止めてしまっていた。
『んー?』
「あ……、あの……啓介さんち、行ってもいいですか」
『うわ、……おまえそれ反則。もう少しだけ我慢してくんねえか』
あれだけ邪魔をしたくないと思っていたというのに、勇気を出す肝心のタイミングを間違えてしまった。だけどまさか断られるとは予想していなかった。啓介ならきっと受け入れてくれると思いあがっていたのだろうか。
拓海はズキズキと痛む胸の前で拳を握りしめる。
「すみません。けど……ちょっとくらい……」
『藤原?』
「あ……、……会いたい、んです」
『……ッ』
耳元で大きな音と痛えという呻き声がして、どうやら啓介は携帯を足の上に落としたらしかった。
「顔見たらすぐ帰るから……会いに行ってもいいですか」
もういっそ聞こえてなくてもいい。携帯を握りしめながら絞り出した声に、啓介はしばらく無言でいたあと、深く大きなため息をついた。
『ばかやろう』
鼻をすすりながらそう言って、駅前のお気に入りのパン屋でカツサンドを買ってきてくれと続けた。
結局拓海のわがままに、また啓介が折れてくれたのだ。邪魔をしたくないと思っていたのに最後の最後で我慢が利かない自分を反省しながら高崎へとハチロクを駆る。
啓介に頼まれたから閉店間際に滑り込んで買ってきたというのに、拓海が差し出した目の前のカツサンドには目もくれず、啓介は拓海を力いっぱい抱きしめた。
「これ最後の一個だったんですよ」
会いたくてたまらず自分から会いに来たくせに、いざ本人を目の前にすると照れくささが先に立つ。
啓介は抱きしめたまま一向に拓海を解放しようとはしない。熱い抱擁で感じる、啓介の愛用している香水の匂いや腕の力強さに、言葉の通り我慢の限界が近かったのかと思うと胸が痛くなった。
少し顔を見たら帰るつもりだった。本当にそのつもりで来たはずなのに頬に触れる啓介の熱や鼻孔をくすぐる匂いが、拓海を捕らえる。言葉に詰まり、夢中で抱きしめ返し耳朶を食んだ。
「は、痛えよ藤原」
「あっ、すみません」
啓介の言葉に我に返り、身じろいで啓介の顔を覗きこむ。
間近で見るのがずいぶんと久しぶりのように感じる。
切れ長の目の下にはクマができていて、せっかくの男前が台無しだ。やつれた顔を親指で撫でると目を細め、口元に笑みを浮かべた。
「うそだよ」
啓介は額を合わせ触れるだけのキスをした。
「ごめんな、オレこんなナリで」
いつもと正反対の、くたびれた顔で髪の毛もセットされておらず、啓介が寝るときに好んで着ているというくたくたのTシャツと、下はカーゴパンツに裸足といういでたちだった。
「すみません、オレ無理言っちゃってますよね」
「いや、もとはといえばオレが悪いんだからおまえは気にすんな」
啓介は頬や瞼に軽いキスを繰り返しながら自嘲気味に囁いた。
「むしろギブアップすんのオレが先かと思ってたからさ。電話すげー嬉しかったんだぜ」
口下手で、器用に気持ちを伝えられない自分をそう簡単に変えられなくても、この顔を見ると、踏み出して良かったと思う。
見入っていると、啓介は照れくさそうにぼさぼさの頭をきゅっと撫でつけると拓海の手からカツサンドを受け取り、そのままその手を引いて階段を上る。
ドアを開けた啓介に続き足を踏み入れたその部屋の状態に拓海は絶句した。啓介の部屋はいつも以上の散らかり具合だった。啓介がいたであろう机とベッドの上の一部だけが辛うじて人が過ごせるスペースになっている。
ドアから続くけもの道のような隙間を器用に縫ってベッドへ辿りつくと、さっそく拓海を組み敷いた。スプリングが弾んだ反動で布団の上にのっていたものがいくつか落ちてしまったが、それを拾う余裕も隙もなかった。
「ん……ッ」
「なあ、オレ今なら感動だけでイケそう」
キスの合間、拓海の髪に指先を絡めながら囁いた。
「そ、そういうこと言わないでくださいよ」
「待った待った、逃げるなって藤原、もうちょっと充電させて」
啓介は猫が甘えるように首筋に頭をすり寄せ、拓海の体を抱きしめる。セットされていない啓介の髪が拓海の首筋をくすぐり、久しぶりの体温と圧し掛かる重みに心拍数が跳ねあがっていく。
「藤原の匂い、久しぶりだ」
緊張し過ぎていたたまれず、拓海の首筋に鼻を近づけながら囁く啓介の肩を押し返す。
「へ、ヘンタイッ」
ドキドキと鼓動が激しく、頬が熱くて仕方ない。これ以上恥ずかしいことを言えないように、拓海は啓介を引き寄せて唇を塞いだ。余裕を見せて茶化すように唇を食んでいた啓介に遠慮がちに舌を差し出せばすぐに絡め取られ、あっという間に啓介のペースに呑まれていく。
「ん、ふ……ッ」
「藤原」
「啓介さ、ん」
荒々しく口腔内を探られ、拓海は酸素を求めて啓介の舌から逃れようと顔を反らせた。唇がじんじんと痺れて顔中に血液が集まったように赤く熱を持っている。じっと見つめられ、啓介を欲しがる心と体に火がついた。弾かれたように唇を合わせ互いの舌を貪った。
もっと、もっとと目の前の体を掻き抱き、唇に歯を立て、柔らかい髪に指を絡める。火照った体を押し付け合い、舌を絡ませ、どろどろに溶けてひとつになるほど何度もキスを繰り返す。湿った音と吐き出す熱い息だけが部屋の中に響いた。
「舐めていいか?」
息を乱してジーンズのボタンフライに手をかけながら熱に駆られた視線を投げてくる啓介を見てしまえば、小さく頷く以外にどうしようもなかった。
拓海の返事に気を良くした啓介は音を立てて唇にキスをした後、手早くジーンズを下ろすと脚の間に体を滑り込ませた。見たくないのに、啓介から視線を外すことができない。
キスだけでゆるく勃ち上がり期待に震える拓海のそこを、啓介は殊更丁寧に舐め上げ、先の丸みに沿うように飲み込まれていく。漏れる息や吸い上げられる音に耳まで熱を持って、恥ずかしさだけで気をやってしまいそうだ。
拓海は胸元にたくしあげたTシャツを掴み、脚の間で上下する金色の髪にも手を伸ばす。止めてほしいのか求めているのか分からないほどの力で髪を梳き、その手に気付いた啓介が咥えたまま顔を上げる。
視線が絡んだその瞬間、とてつもない征服欲が拓海の心を支配した。ゾクゾクと脊髄を駆け上る快感に背がしなる。先端に軽く歯を立てられ拓海は一気に追い上げられた。
「──ッ!」
目の前に火花が散って、息が詰まった。久しぶりの行為は快感も刺激も強すぎて、荒い呼吸を繰り返しながら柔らかい枕に体を預ける。
拓海の脚の間から体を起こした啓介の顔を見てぎょっとした。
「わ、あっ、すみませんオレッ」
慌てて体を起こし、啓介の顔に飛んだ白濁を拭おうと手を伸ばす。その手を取られ、啓介の下肢へと導かれた。熱く脈打つそれを感じて思わず手を引くと、啓介は艶っぽく掠れた声で拓海に耳打ちをする。
拓海は小さく頷くとベッドから降りて、大きく脚を開いて座った啓介の前に膝をつき、服の上からでも分かるほど立派にそそり立つそれをカーゴパンツの前を開いて恐る恐る取り出して口に含んだ。
「ん……、ふ、……ん」
いつも啓介がする動きを思い出しながら懸命に愛撫する。
その姿を愛しげに見下ろしながら、啓介は着ていたTシャツを脱いで可視率の低い床に放り投げた。
熱く猛ったその部分は拓海の口の中でピクピクと震え、頭上では啓介の吐息が熱を帯びる。大きな手が拓海の髪を撫で、指先が熱を持った耳を弄り始めた。
そのままゆっくりと首筋を伝い、背中を這い、拓海のTシャツをめくると悪戯を仕掛けるように胸の突起を摘まみ上げる。
「んッ」
ビリビリとした痺れが肌を粟立たせ、思わず屹立から口を離してしまった。零れ落ちる唾液を拭いながら、赤い顔のままじろりと睨み上げる。
「藤原、あとちょっとだから」
邪魔をしたのは啓介なのに、耳元でねだるような響きに絆され、渋々と元の位置に戻り裏筋に舌を這わせて舐め上げる。亀頭を口に含み、括れた部分や窪みから滲み出る液を舌に絡める。
軽く吸い上げながら握った部分を緩急をつけて擦ると口の中で啓介が震え、喉の奥に苦みが広がった。
「げほ……っ、は、あ……っ」
「悪い、ヨすぎて間に合わなかった」
咽る拓海の腕を引き上げてその体を組み敷くと、啓介は涙目になった拓海の頬や顎に優しくキスを繰り返した。
拓海の唇を指先でなぞり、ゆっくりと中へと差し込むとそれに応えるように拓海は啓介の指に舌を絡める。音を立てて唾液を塗り付け、吸い付いた。
啓介はTシャツの裾から手を忍ばせ、拓海の汗ばんだ肌を撫でる。肌を辿る唇は徐々に首筋、鎖骨へと下りて、捲くり上げられ晒された胸元へと落とされた。
「ふ……っ、んッ」
舌先で乳首を捏ね、愛撫しながら拓海が濡らした指を尻の狭間の奥深くに埋めていく。久しぶりのそこは固く閉じたままで、指の侵入さえも拒んでいる。拓海は体を強張らせ、両手で口元を押さえている。
「ここ使ってねーんだ?」
どこか嬉しそうな啓介の問いにコクコクと頷きながら拓海は片手で枕を探す。所狭しと拡げられたプリントや書き損じのレポート用紙がバサバサと落ちてしまうのも構わず、拾い上げた枕を抱いて顔を埋めた。
「ちょっと念入りにしねーとだな」
そのまま拓海をうつ伏せにすると、サイドテーブルの引出しからまだ封の開いていないジェルを取りだした。乱雑に開けながら中身をひねり出し、勢いよく拓海の尻にかける。
冷たい刺激に小さく声が漏れ、腰が跳ねた。啓介はジェルを塗り広げながらゆっくりと時間をかけて窄まりに指を埋め、中を広げていく。蠢く指の動きと、耳元を這いまわる啓介の舌に翻弄されて息が荒くなる。
顔を押しつけた枕からは啓介の匂いが立ち上り、体は期待に震えて思考がどんどんと溶かされていく。
「拓海、こっち向いて」
名前を呼ばれ、苦しい姿勢のまま振り向くと、背後から覆いかぶさるようにして唇が重なった。
口づけたまま啓介の体の下で仰向けになり、啓介の腰に脚を回した。腹の間で熱塊が擦れ合い、啓介が腰を揺らすたびにぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てている。
膝の裏をすくい上げられ尻が浮くと、体の下にクッションが挿しこまれた。飛びそうな意識が現実へと引き戻されるといよいよ緊張が高まり、鼓動で胸が破れそうだった。
「啓介さ……ッ、なんか、中、熱くて、じんじん、する」
「ん、実はちょっとそういう成分入ってるやつ買った」
「信じらんね……っ」
えへへと照れたように笑ってキスで誤魔化そうとする啓介の頬を抓り上げた。笑いながら眉根を寄せ、ごめんと言いたげに拓海の手に手を重ねた。
拓海が着けていたリストバンド越しに口づけながら視線を送られ、頬がかあっと熱くなった。啓介は拓海の手を掴むと指先一本一本を丁寧に舐り、手のひらに口づけ、すっかり傷痕の消えた手首にも唇を落として体を起こした。
「気持ちよくなりすぎたらごめんな」
啓介は膨れ上がった自身を拓海に見せつけるように軽く扱きながらジェルを塗り付け、拓海の入り口を先端でノックした。ぐぐぐ、と体重を掛けて狭い入口が押し開かれ、熱い塊が内壁を擦り上げていく。
「うぁ、あ、あ、あ、……ッ」
圧迫感と異物感に背中が仰け反り、侵入してくる啓介を押し戻そうと拓海の中が蠢く。
啓介は萎えた拓海の芯を扱きながら途中で一度腰を引き、今度は少し勢いをつけて肌がぶつかるまで押し込んだ。
「あ、あっ、啓介さ、だめ……ッ」
パタタ、と零れた白濁が拓海の腹を汚した。
「あ……は、ぁ……ッ」
「もしかして入れただけでイッちまった?」
「う……うそ……だッ」
「あーくそ、どんだけ可愛いんだよッ」
見るな、と視線から逃げる拓海を、啓介はきつく抱きしめて首筋に吸い付いた。抜こうとするたびにぎゅうと締まるそこはまるで啓介を離したくないと言っているようで、一度出したばかりの啓介もすぐに達してしまいそうだった。
勢いのまま穿たれ、根元を戒めるように堰き止められながら擦り上げられる。汗が落ち、呼吸が乱れて紅潮した啓介の顔を見上げる拓海の目には涙が浮かんだ。
「ごめ……痛いか?」
荒い息の中でも拓海を気遣い、慈しむように髪を撫でる。自分のより少しだけ大きな手に頬を擦り付け、啓介の耳たぶに触れると誘うように口を薄く開いてキスを待った。
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2012-09-11
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