おやすみまたあした 5

 ふと目を開けると、机に向かっている啓介の横顔が見える。暗い部屋の中でデスクライトだけを点けて、何か書き物をしているようだった。 普段あまり見ることのない姿は、寝起きで見るにはカッコ良すぎて心臓に悪い。一人で勝手に照れながら枕に顔を埋めた。
「あ、起こしちまった?」
「……いえ」
 身じろいだ拓海に気付いた啓介が手を止めて声を掛ける。拓海が掠れた声で返事をすると嬉しそうに笑った。
「悪い。途中で加減できなくなった」
 ペットボトルのミネラルウォーターを差し出しながらベッドへと入ってくると、拓海が起き上がるのを背中側に回って支え後ろから抱きしめた。
「いま何時ですか」
「まだ11時半くらい」
 拓海はこめかみへのキスを受けながら喉を潤す。ペットボトルのキャップを閉じてサイドテーブルに置くと、啓介に遠慮なくもたれて体を預けた。ふうと息をこぼすと顎をすくわれ唇が塞がれた。
「ん……」
 啓介が唇にやわく歯を立て、反射的に開いたそこへ熱い舌が挿しこまれる。頸部へと手を伸ばしてキスに応える体を力強く抱きこまれた。ゆっくりと離れていく唇を指先でなぞると、啓介は伏せた拓海の瞼に優しく口づけた。
「レポートまだ残ってるんでしたね」
「あとちょっとな。ごめんな、ほったらかしで」
「そんなの全然……」
「オレ今回のことですげー懲りた。もう絶対レポート溜めたりしねえ」
 背中に啓介の体温を感じながら、重い瞼を閉じてじっとその熱と鼓動を噛み締める。拓海はレポートそっちのけで自分のわがままに付き合ってくれた啓介にまだ少し責任を感じていたが、そのことは口にはしなかった。
「大丈夫ですか」
「問題ねえよ」
 笑顔を見せる啓介の髪に触れそうになったところで着信を知らせる無機質な音と振動が響き、まだ少しぼんやりとしていた拓海の意識を浮上させる。拓海の肩や頬にバードキスを繰り返していた啓介は小さく舌打ちをして、拓海を抱いたまま電話を手に取った。
「おう、どうした。ああ、あれな研究室のドアの前にポスト作ってあるって。はは、そう、手作りの」
 大学の友達だろうか、リラックスした口調で会話が弾んでいる。自分の知らない啓介の一面を見た気がして、胸が高鳴る。 その会話の合間も拓海の肌を啄ばみ、唇にもキスを落とす。拓海は極力声が漏れないように必死だった。
「ああ、もうだいたい終わった」
 拓海に告げるように視線を合わせ、鼻を擦り合わせた。照れくささにはにかみを返し顔を背ける。預けた背中から啓介の温もりが伝わり、心地良い声が耳に響いてゆっくりと瞼が重くなってくる。
「うん、ああ、いたなそう言えば……え? いや、されてねえよ」
 声のトーンが低くなり、柔らかく笑っていた啓介の顔がきゅっと引き締まった。
「またかよ。おまえ好きだなー、合コン。は? オレ? どうするって……いつ?」
 その一言に、ドキリと胸が鳴る。
 啓介が合コンに行こうが行くまいがあれこれ束縛するつもりはない。 モテることなど分かりきっていることでいちいち妬いていたらキリがない。気にしたこともなかったはずなのに、だけどいざ本人からその単語が出ると、それだけで嫌な汗がじわりと滲んだ。拓海は目の前に回されている啓介の腕をそっと掴んだ。 啓介は気まずそうに見上げる拓海の頬に軽いキスをすると、ベッドから降りてさっきまで座っていた椅子に戻った。指先で器用にペンを回している。
 拓海はベッドの周りに落ちたTシャツとトランクスを拾い上げて身に着けると、そっと啓介の背後に立った。啓介は振り向かずに電話の相手と会話を続けている。 ツンツンと指先で突いてみても、その指を握るだけで振り返ることすらしない。そんなことで寂しいと感じるなんて子供みたいだ、とこっそりため息をついて、後ろから啓介に抱き付いた。
「お、……っ」
 拓海の思いがけない行動に驚いたのか啓介の言葉が止まる。恥ずかしいことこのうえないが、顔が見えないのをいいことに黙ったまま啓介の首や肩、耳の後ろにキスを繰り返す。拓海の腕に添えられた啓介の指に力が入った。
「あ、いや、なんでもねえ」
 軽く息を乱しながら、まだ電話を続ける啓介の首に絡みついて耳元で囁く。
「……啓介さん」
 そのまま耳朶を甘く噛み舌を這わせて吸い付いた。 啓介はいよいよ唇を尖らせ、椅子ごと振り返ると拓海を引き寄せて膝の上に跨がせた。
「あのさ、オレ前も言ったけどちゃんと相手いるから、ああ、数合わせも勘弁しろよ」
 電話で話しているはずの啓介の真剣な目が向けられ、ごくりと喉を鳴らした。
「今一緒なんだ。ああ、そういうこと。じゃあな」
 そのまま電話を切ると拓海の体をぎゅっと抱きしめた。拓海は何も言えず、啓介の首におずおずと腕を回した。
「おまえ、人の電話中に何やってんだよ」
「すみません」
「もしかして邪魔されたくなかった?」
「え、え、いや……」
 図星をつかれ、拓海はそのまま口を噤むと啓介の髪に頬をすり寄せた。 見た目の派手さに反して柔らかい髪を撫で、指先に絡めながらそっと唇を寄せた。
「……なんか言えよ」
「え、ええ……っと」
「合コン、きっぱり断ってくれて嬉しいとか男らしいとか感動したとか、あるだろ」
「なんですか、それ」
「啓介さんはオレのものー、とか誘惑に乗るなよとか、あるだろ」
「ゆっ、誘惑って」
 啓介がまさか浮気でもするつもりなのか、それとも誰かに迫られているとでも言うのだろうか。
 不安定な膝の上で詰め寄られ、慌てて距離を取ろうと啓介の膝から降りると、迷うことなく追ってきた啓介とともにベッドになだれ込んだ。
「オ、オレ、全然心配してないっすよ」
 拓海の上にかぶさり見下ろしてくる啓介に、半分は自分に言い聞かせるように呟いた。
「しろよ、心配」
「そんなこと言われても」
「じゃあオレが合コン行っても妬いたりしねえの? 全然? まったく?」
「……っ、電話の邪魔して悪かったって思ってますよ」
「妬いたんなら素直にそう言えよ」
「…………だ、から」
 嫉妬がまったくないと言えば嘘になる。だけどいちいち妬いていたらキリがない。会えなかった時間もそんな心配をしなかったのは本当だった。
「それにオレ、啓介さんのこと信じてますから」
 まっすぐ見上げて、そう告げた。
「…………。オレのこと超好きってことかよ?」
 ギクリと体が強張り、啓介から視線をそらせた。啓介はそれに構わず拓海の頬やこめかみにキスを落とした。
「なあ、どうなんだよ藤原」
 触れるだけの唇がもどかしく、くすぐったさから逃げるように啓介の肩を押し返す。
「ん……っ」
「言えって」
 これ以上何を言えというのかと視線を送ると、切なく歪められた啓介の顔に言葉が詰まってしまった。 見上げる真剣な目はどこか不安に揺れて、頬を包む啓介の手が少しだけ震えている。いくらなんでも思い過しだろうと、考えても考えても、啓介のこの顔を見ると拓海に妬いてくれと訴えているように思えて仕方ない。
 小刻みに震えるその手に自分の手を重ね、頭に浮かんだ疑問を投げかける。
「もしかしてさっきの電話、わざとなんですか」
「うん、ごめん」
 啓介の潔い一言にはははと笑って両手を背中に回して体を引き寄せ、笑顔の拓海とは逆に不服そうに尖らせている唇に自分のそれを押しつけた。触れ合わせた唇の角度を変えて深く塞がれ、挿しこまれた濡れた舌が絡み、上顎や頬の内側までも撫でられる。
「ぁ、……は、……啓介さ、んっ」
「藤原……ッ」
 妬かないとは言っていない。だけどこれほど熱い想いをぶつけられ、不安になれというのが無茶なのだ。
「今は啓介さんの体のほうが心配ですよ」
 くしゃくしゃと柔らかい髪をかき回す。くすぐったそうに目を細める顔も、心臓に悪い。 抱き寄せて、ぎゅっと腕に力を込めると同じような力で包まれる。
「明日も配達あんのか」
 拓海の前髪を梳き、剥き出しの額に口づけながら啓介が尋ねる。
「いえ、ついでに明日は仕事も休みです」
 素直に答えると啓介は勢いをつけて起き上がった。
「わっ、啓介さん?」
「速攻でこれ片づけるから、おまえは今のうちに体休めとけ……ッ」
 捨て台詞のように言うと机に戻り、レポートの仕上げに取りかかった。
「…………」
 まるで目の前に大好物の人参をぶら下げられて激走する馬のように、凄まじい集中力を発揮している。 けれど全開走行のときのような真剣な表情の裏に見え隠れする邪まな動機を感じ取り、心配すべきは啓介よりも拓海自身の体なのかもしれないと思うとぶるりと体が震えた。 頭を掻きながらのそのそと起き上がると、拓海はもう一度啓介の背後に立った。
 そもそもただの一言でこれだけやる気が漲るのなら、しばらく会わないという選択肢よりももっと早くにこうしておけばよかったのだ。
「啓介さん」
「ん?」
 後ろから啓介を抱きしめて、耳元で囁く。
「オレ、今日はもうできそうにないんでまた明日。おやすみなさい」
「えっ!? ちょ、藤原、おい、マジか?」
 呼び止めようとする啓介の腕をするりとかわし、情けない声を子守唄がわりに布団にもぐりこんだ。 赤い顔を隠すように枕を抱いて啓介に背を向けると、啓介の匂いに包まれる中でゆっくりと目を閉じた。
 拓海はレポートを完成させた啓介が布団をはぎ取る朝方近くまで、誰にも邪魔をされることなく啓介の言いつけ通りたっぷりと休息を取った。  prev 

2012-09-13

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