スマイル

 どこと言って目的地を決めていたわけではなかった。
 配達の途中にトラックの中から風に揺れる銀杏の木を眺めていたら急に思い立って、その日のうちに約束を取り付けていた。
 助手席に啓介を乗せて、見知らぬ土地の、見知らぬ峠にハチロクを進める。
 ガードレール沿いの駐車スペースに車を寄せ、せっかくだからと外に出る。 それなりに標高があって車外は風も冷たく、薄いジャケットを選んだことを少し後悔した。
「もうけっこう散ってますね」
「まあ近くで見るとな。昨夜は雨降ってたし」
 ふたり並んで大きな木を見上げながら二言三言交わし、まだ少し湿ったままの落ち葉で足を滑らせないように手を取り合って進む。そんなことができるのは、まわりに誰もいないおかげだ。
 紅葉の時期から少しだけ外れてはいるもののまだ多少の人出はあると踏んでいたが、予想に反して見事に誰もいない。
 カーブに沿って開けた視界は市街地を見下ろす眺めの良い場所だったが、もしかしたらここより絶景のポイントがまだ先にあるのかもしれない。 行き先を決めていなかったために下調べも当然のようにしていない。啓介ならこんなことはないだろうが、いつも誘ってもらってばかりというのも悪い気がして自分から動けば結局こうだ。 せっかくの休日にろくなデートもできないことが申し訳なくて、さらには何となく啓介もいつもと様子が違う気がして、知らず溜息がこぼれる。
「あの、もう少し上まで行きましょうか」
「ん? ああ」
 駐車スペースはあるものの自販機の一つもないところを見ると、やはりこの先にもう少し開けた場所があるのだろうと予想する。
 車に戻り、シートベルトを締めると啓介の手が伸びてくる。 それに気付いたときにはもう唇が触れて、長い指はいつものように耳たぶを弄ぶ。一瞬体が強張ったが、まだ昼間で明るいとはいえ周りには誰もいなかったことを思いだして目を閉じ、 首筋に手を添えて啓介の唇を受け入れた。
「啓介さん……すみません」
「……なにが」
「オレあんま計画立てて出かけたりしないから……つまんなかったら、ごめん」
 地理に詳しいわけでも、観光スポットを知っているわけでもない。ただ何となくハチロクが走るままにここまでやってきて、楽しい話題の一つもなかなか口から出てこない。 いくらなんでも無計画すぎたのではないか、そのせいで呆れられてるのではないかという不安が浮かぶ。
「……もしかして気、使わせちまった?」
「あ、いやそういう意味じゃ」
「いや……違うんだ、おまえが悪いんじゃない」
 気まずそうに目を逸らしながら、指先は耳たぶをいじったままで額を合わせるとそっと触れるだけのキスをして助手席に体を戻した。
「……啓介さん?」
「情けねえなあ……」
 独り言のように呟いたあと、両手で膝を叩いて顔を上げると正面からじっと見つめられた。
「オレ、おまえのこと好きだぜ」
 思いもよらない突然の告白に、一気に顔が赤く染まる。
「だけど、だからか、藤原から連絡きたとき、すげー不安だった」
「なんでですか」
「……怒らねえ?」
「え、な、内容によるかも」
 素直に答えると「やっぱ言いたくねえ」とまた顔を逸らす。
「え、言ってくださいよ、なんですか」
 啓介の腕を掴んで振り向かせると、口を尖らせて頬を掻き、ぼそぼそと小声で話し出す。
「おまえは別れるつもりで、……最後くらいは誘ってやるかってことなんかなって」
「は、はあ? マジ、何なんですかそれ」
 その言葉に、頭に血が昇ってくるのが分かる。
「くそ。オレだってこんな情けねえとこ見せたくねえよ。見せたくねえけど、おまえからの誘いってあんまなかったからさ」
「そりゃ、オレも啓介さんに甘えてたとこありますけど、だからってひでえ」
「疑ってたわけじゃねえよ。けど、一瞬そんなこと考えた。ごめんな。そんくらい、びっくりしたってこと」
 言いながら啓介の腕を掴んだままの拓海の手を取り、強く握った。
「そんで、オレばっか好きなわけじゃねえって分かって、嬉しかった」
 首元に視線が移ったことに気付き、また顔が赤くなる。
 啓介は拓海のトレーナーの襟元を指先で広げ、首に提げているリングを指に乗せた。 七夕の日に指に嵌められたそれを、あの日以来ずっと指には嵌められず、小箱に入れて机の中に入れっぱなしにしていたものだ。啓介が隠すことなくネックレスのチャームの一つとして身に着けて来ることもあり、 同じように身に着けていくことを躊躇ったためについつい機会を逃してしまっていた。今日こそは、と選んだそれを嬉しそうに眺める啓介の顔を、じっと見つめる。
「オレ、啓介さんのこと不安にさせてましたか……?」
「……そうでもねえよ」
「いま、ちょっと間があった」
「そうか?」
「分かりました。行きましょう」
「え、行く……っておい、上に行くんじゃねえのかよ」
 啓介の問いかけには答えず、ハチロクは今上ってきた道を迷いなく下って行く。

「なあ、本当にいいのかよ藤原」
「オレ、しゃべるのあんま得意じゃないから、こうでもしなきゃ分かってくれねえんでしょ」
「だから悪かったって。なんか……ヤケになってねえ?」
「そんなことないです。オレだって、たまには……」
 ふたりは今、大きめの、スプリングの利いたベッドに並んで仰向けになっている。 普段はあまり利用することのない、つまりはそういう行為のためのホテルの一室にいる。 ハチロクの行き着いた先を啓介が信じられないという目で見ていたが、何も言わず、勢いのまま部屋の中へ入る拓海に続いた。
 啓介をホテルに連れ込むだなんて、我ながら切れたことをしてしまったと思う。 それでも、いつも受け身でいてばかりの態度が啓介を不安にさせていたのだとしたら、誤解を招いたのも自業自得で、その不安をできることなら少しでも払拭したかった。
 天井を睨みつけたまま、少し身じろぐと無造作に投げ出された手が触れ合った。ピクリと震えたその手を握ると、啓介は肘をついて体を起こし、上から拓海をのぞき込む。
「はは、すげー真っ赤……」
 指の背で赤い頬を撫でながら、照れたように微笑んだ。 すぐ真上にある啓介の体を、手を伸ばして抱きしめる。自分にできることは何かと考えても、想いを伝える術がこれしか思いつかなかった。
「……藤原……」
 呟くような小さな声が、耳を掠める。きつく抱きしめられて、体よりも胸が締めつけられた。
「啓介さん」
 頬をすり寄せて首筋に顔を埋めると、さらに強い力で抱きしめられる。 息苦しさに声を漏らすと腕の力が少し緩んで、額に啓介の唇が下りてくる。瞼や頬を伝って唇に辿りつくと、羽のようにそっと触れて動きが止まった。 目を開けると啓介は拓海を見下ろしたまま片手を頬に添えた。その手のひらにさらに頬を寄せ、頭を起こして啓介の唇に軽く歯を立てた。
「……しおらしい啓介さんなんて、らしくないですよ」
 一呼吸の間を置いてぶは、と噴き出した啓介が拓海に抱きついて、胸に顔を埋めて肩を揺らして笑いだす。
「……くくくっ」
「ちょ、なんですか」
「ごめん」
 半笑いの顔で言いながら軽いキスを繰り返す。自分の発言のどこに笑いの要素があったのか分からず、繰り返される軽いキスを受け止めながらだんだんと怒りに似た感情がこみ上げてくる。
「も、もういい。何もしねえんなら退いてください」
 相変わらず肩を揺らす啓介を押しのけようと体を起して腕を突っ張るとその手を軽く捕らえて押し戻され、両手は顔の横に縫いとめられる。
「おまえがここまでしてくれてさ、何もしないわけねえじゃん」
「離し……」
 見上げたその顔はからかうような笑みではなく、欲目でなければとても幸せそうな笑顔に見えて、悔しいくらいに胸を締めつける。
「すげー好き。マジで好き。やばいくらい藤原が好きだ」
 続く口づけに、言葉は飲み込まれていく。口内を動き回る舌が上顎を掠め、酸素を求めて頭の角度を変えればさらに深く潜り込んでくる。 息切れがするほど貪られ、半ば放心状態の拓海をよそに、啓介は上着を脱いで薄い長袖のTシャツになった。その首元には拓海のものと同じデザインのリングがぶら下がっている。 拓海の視線に気付いて照れ笑いを浮かべると、力の抜けた拓海の体を起こして向かい合うように座り直した。お互いが胡坐をかいた状態で正面から見つめられ、思わず目を逸らす。 視線は啓介の首にあるリングや薄い生地の上からでも分かる、細身のわりにがっしりと見える胸の厚みを行ったり来たりしている。
「情けなくて……呆れた?」
 問いかけに首を横に振って答える。 元を正せば自分の受け身な態度が引き起こした事態で、そんなこと、と思っても啓介にとってはそれほどのことだったと言う話で、なかなか気持ちを言葉にできない拓海の一大決心をこれほどまでに 喜んでくれるのならば、いつまでも恥ずかしいとばかり言っているのも同じ男としては情けないものがある。
 勢いよくトレーナーを脱いで、目の前の啓介を押し倒した。

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2012-12-14

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